03-71 発見そして笑み
きらきらと、日陰から外れた水面が太陽の光を反射して輝いている。
数回ずぶ濡れになったアルトゥーロだったが、普段なら立ってぼーっとしている間に大量にかいた汗すらカラッと乾いてしまうほど乾燥した風が吹き抜けるのだが、今この時はいまだ湿った服が肌に張り付き、しかしそれが不快ではなく。しっとりとした優しい風に包まれて、何とも言えない居心地の良さを感じていた。
水の中を見ると、ゆらゆらと揺れる水草…ではなくて普通の草。ただの砂の上に穴を作って水を入れただけではあっという間にしみ込んで即席の池は枯れてしまうと判断したための水底なのだけど、彼にはそんな事分からない。ただ水の動きに合わせてゆらゆらと揺れる緑を見るのが楽しくて、こんなにも水に近い場所に居ることが出来るなんて初めてで、何もかもが新鮮だ。
あっという間に出現した広大な水たまりに何度目か数えることも忘れた、感激のため息を吐き出した。
「そろそろ、戻りますか?」
エルビーの声にそちらを向けば、いつの間にか一緒にトバルス付近に来ていたチームもそろっていた。水たまりが出来るときにかなり振動があったらしいが、その時水にもまれてグルグルしていたアルトゥーロにあまり自覚はない。彼らもまた、目の前に広がる大きな水溜まりに驚き、喜んでいるようだった。
「いや、もう少しだけ…そうだ。今夜この水辺にテントを張って野営しないか?」
「え?」
「水辺で野営なんて初めての試みだろう?まずはどんなものか把握しておく必要がある。ルールを作るためにも、まずは体験してみなくてはな!」
「…そうですね、わかりました。そういう風に、手配しておきます」
風による水面の揺らぎを見つめていたエルビーだったが、思った以上に大きな感動をアルトゥーロに与えていた事実に気付いて思わずパッと彼を見る。当然視線がぶつかって朱色の瞳に慌てるが、なぜだろう。いつもより縛りが緩やかで、強制力が弱い気がして内心狼狽えた。
しかしすぐにその理由がはっきりする。
嬉しそうな笑顔を隠すこともなく、エルビーから水面へと顔を動かして水を見つめるアルトゥーロに背を向けて歩き出しながら、思わず笑みがこぼれた。
「そうか。…俺も同じことを思っていれば、彼の言葉は強制ではなく、願い事として受け取れるんだな…」
新たな発見に笑いがこみ上げるのが抑えられない。これが間違いでないのなら、アルトゥーロの側にいることが苦痛ではなくなるだろう。そしてハタと気づく。
ずっとそばに居たから、何でもわかる気がしていた。ずっと近くで見てきたから、自分の事も知られていると思ってきた。けれど、この発見が正しいのだとしたら、いつしか自分とアルトゥーロの考えは同じ方向を向いていなかったという事になるのではないだろうか。
「…それも当然か。やりたくもない掃除という仕事を彼は請け負ってきたんだ。俺もさせたくはないと思って来たけど、結局は嫌々な部分があった、というわけだな。お互いに」
歩きながら口元に手を当てて考え込む。今、この事が気付けて良かったとは思う。もっと早くわかっていれば、と思わなくもないが、現状は決して悪くはない。そんなことを考えながら、エルビーはチラリと振り返り主であるアルトゥーロを見つめた。
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「部室の扉が移動できたとは…うん。考えなかったわけじゃないけど、誰も聞かなかったしね」
仕事を終えて再び部室内での会議の時間。今度は全員が集まっての話し合いである。
そこで一番最初に確認をとったのが部室を移動できるのか?という問いかけだったが、結果「可能」という回答を得た。ただ、同じ世界で場所を変えるだけであっても移動エネルギーを使うので、無償というわけではない。だが、エネルギーさえたまっていれば、何回でも移動ができるというわけだ。
「くそう。なんで誰も聞かなかったんだよ…」
「なんで誰も…って、キョウタロウがそれ言う?」
「盲点だったぜ。そりゃ部室が移動出来れば屋敷に帰るって行為が普通に部室に戻るって事に出来たよな」
「何なのよその口調。もしかしてキャラ作ってんの?…でも屋敷をもらった当初は部室から離れ手屋敷に行くの億劫だなって思ったけど、今は店に部室があるほうが楽じゃない?水の販売も始めたところだし、屋敷から水をいちいち持ってくるの面倒だよ」
「…た、確かに!」
何かのキャラになりきっているのか、あえて渋い顔を作ってそんなことをブツブツとつぶやく守屋に九鬼が突っ込みを入れるが、彼はそれを無視して先を続ける。そして次の発言に獅戸が現在の状況を考えて質問を返せば、ハッとした顔をして同意した。
そんな仲良しグループのふざけあいのようなやりとりを軽く無視して、舞鶴が視線を同じ席についている八月一日に向けてから何かを言いかけて口を閉ざし、船長を見る。
「船長、エネルギーはどれくらいたまったの?」
「もう移動は可能だ」
「その移動というのは、この世界での場所の移動?それとも世界の移動ができるくらいって事?」
「世界の移動だ。水の販売がかなりの興味を引くことが出来た」
「ちなみに場所の移動だとどれくらいのエネルギーが必要なの?」
「世界の移動よりは断然少ない。皆の世界の金銭でいうなら2千円程度といったところか」
「…良くわからないよ!?ちなみに世界の移動を金銭に例えるなら?」
「数億、で行けば良いなといったところか」
「とりあえず簡単じゃないって事だけはわかったよ」
億とか言われてもピンと来ない。けれどとりあえず移動が出来るという事実を確認できて、改めて視線を八月一日に向けた。それに合わせて一同の視線が集中するが、当の本人は困ったように笑うだけ。
皆の気持ちが1つになったところで、一緒にいけないという事実は変わらないのだ。どこか気まずそうに頬を掻いた後で、八月一日が口を開く。視線は伏せてテーブルの上を見つめ、どこか意図的に誰とも視線を合わせないようにしているようだった。
「移動はいつにするの?」
「…何時って言われても…」
「移動したいと思うのであればすぐにでも可能である、とさっき言われたばかりでしょ?この世界に特にやり残したことがないなら、今すぐにでも移動するべきだと俺は思うよ」
“ガタン!”
いきなり立ち上がった鷹司に思わずみんなの視線が集まる。移動するべきなのは言われなくても分かっている。けれど、そうしたら八月一日とは別れなくてはいけないではないか。そう言いたいのが分かる苦痛に耐えるような彼の表情。しかし鷹司は何も言わない。言われていることが正しいという事が理解できるからこそ、何も言えないのだ。
「ナガレ…」
「いい。わかってる。最終目的は地球への帰還だべ?したらンなとこでもたついてる暇は無ぇ。…アコン、お前の出発はいづ?」
「俺の移動は、はっきりとは分からないけど近いはずだよ。もしかしたら今夜、なんて事になるかもね」
「なら…明日が良い。移動すんだば明日、にしよう」
八月一日を引き留めることはできない。ならば限界までそばに居たいと思うのはやはり当然といえるだろう。家族である鷹司がそれで良いと言うのなら、たとえ「もっと長く一緒に居たい」と心のうちで思っていたとしても意義をとなえる者など居るはずもなく、出発は明日という事で話はまとまった。
そのあとは2階の共有エリアに出現させた広いソファーの方へ移動してしょうもない話でもりあがったり、八月一日がみんなの旅の話を聞いたりしているうちに時間はあっという間に過ぎていった。そして深夜をまわった頃になって1人2人と寝落ちしていくメンバーが増えていき、残っているのは鷹司と八月一日だけ。
それでも“放さない”というか“逃がさない”というか、メンバーのほとんどが八月一日にのしかかっていたり服の端を握っていたりと様々だった。
「…ナガレは寝ないの?」
丁寧に1人1人をはがしたりどかしたりしながら問いかける。少しばかりの考える時間をあけてから、鷹司も口を開くが視線を合わせようとはしない。
「そのうちな」
「そのうちって。…いや、次の世界でも頑張らなきゃなんだから、身体は休めておかないとだよ?」
気が付いたら居ない。
そういう状況が嫌で眠りたくないんだろう。だけど目の前で移動してやるわけにはいかないのだ。八月一日はそっと鷹司に手を伸ばし頭をなでるように手をかざした。その手の動きを見ていた鷹司は別に避けるでもなく受け入れれば、八月一日の指に鷹司の黒髪を絡ませる。
「頼んだよ。皆のこと」
「…」
嫌だと言いたい。でも言えない。そんな事を考えていることが分かるほど苦々しげにゆがめられた鷹司の表情に思わずパシンと頭をたたく。
「痛っ…」
「そんな顔しないの。頼りにしてるんだから、ナガレのこと」
「だが!」
「しょうがないだろ?…一緒にいけないのは、誰のせいでもないよ。だから…。ナガレもおやすみ?明日のためにさ」
「だけど…ん?…え?…な、なに…が…」
叩いて乗せた手をそのままに、微電流を使って睡眠を促す。ギリギリまで抵抗していたようだったが、身体に疲れもたまっていたのだろう、バランスを崩した上体を支えると、そのまま静かに横たえた。
「大丈夫、また会えるから。…また、会いに行くから」




