03-70 上手な別れ方について
イライライライラ。
ここ数日担当となっている水売りをしながらも、鷹司は部室の中に残してきた八月一日が気になって仕方がなかった。幼いころは病院にしょっちゅう世話になるほど体が弱かったから自分がついていなくてはと思っていたのに、いつの間にか自分独りでなんでもこなすようになってしまって、こちらがどれだけ心配しているのか気づいていないのだろうか。
「鷹司。…おい、鷹司、次のお客が待ってるぞ」
「あ?…あぁ」
マッサージやの一角を水売り場にしてそこに立って店番をしているのだけれど、チラチラと視線を部室の扉がある方向に向けていて意識も向こうへ向いていたために、傍にいる雨龍に言われて今自分がしている仕事を思い出したようだった。不服そうななんとも言えない返事を返し、そこで改めて自分の前に立つ客を確認する。
「…やっぱり彼もこっちに連れてきちゃったのは可哀そうだったんじゃないかしら?八月一日先輩と鷹司先輩は従妹で家族だし、こんなところで再会するなんて思ってなかっただろうし」
「心配…だよな。やっぱり時間をあげたほうが良かったかもしれない」
こっそりと傍に来ていた天笠が雨龍に囁くかのように声をかけると、彼も頷いて同意した。かなり慌てた様子で八月一日を抱える鷹司を見て、少し冷静になってほしいと考え距離をあけさせたのだが逆効果だったかもしれない。
「水売り、俺が店番変わりましょうか?」
気もそぞろな鷹司に九鬼も気になっていたようで、コソコソと会話をする雨龍と天笠の後ろから声をかけてきた。そこで初めて傍に来ていたことに気づいた二人は首だけ回して彼を見る。
少し前に雨龍が同じことを思ったのだが、自分の容姿を思い出して口に出せずにいたのだ。水売り場の近くに立っているだけで水を求める人の列が気持ち少なくなる気がする。いろいろなことが変わり始めたこの世界でも、朱色の瞳は恐怖の象徴であるという事は変わらないらしい。
「九鬼君、でも本業のマッサージのほうは?」
「そっちは俺、施術担当じゃないからいなくても別に大丈夫だしね。今までも飲み物運んだり片づけしたりって雑用してたわけですし」
「でも水は貴重品だぞ?どれほど強面のやつが来て脅されても鷹司みたいなツンとした態度で対応できるか?」
「そ、それは…雨龍さんが側にいてくれれば大丈夫じゃないかと思ってます」
「俺が?」
「はい。その朱…いえ、雨龍さんの一睨みがあればきっとどんな奴もビビって小さくなりますって」
「あぁ。この目だな」
「すいません…気、悪くしました?」
自分が考えていた事をズバリ言い当てられてため息とともにつぶやいた雨龍をみて、九鬼はまずい事を言っただろうかと心配そうに視線を向けていた。それに気づいて少し慌てて首を振り、そんなことはないと口にしたところで誰かに肩をポンと叩かれる。
天笠からも慰められているのか、とチラリと視線を肩越しに背後へと向けると、そこに居たのは彼女ではなかった。天笠だったら身長が自分より下のため、顔が見えるだろう位置へ視線を向けたのだがそこにあったのは誰かの胸で、内心「あれ?」と思いながら視線を上げる申し訳なさそうな苦笑い浮かべる八月一日だった。
「何もしなくても周りがビビるって、結構お得な感じするけど…やっぱ避けられる本人は辛いものがあるよね」
「え、八月一日!?もう出てきて大丈夫なのか!?」
先ほど倒れたばかりで、先ほど運び込んだばかりだというのにもう起きて来て大丈夫なのだろうか。慌てて身体の正面を向けてオロオロと様子を確認するように視線を動かすが、今はフラついたりしている様子もなく自分の足で立っている。
「アコン!?」
「わぁ、ナガレ先輩、お客さん放置しちゃダメですよ!?」
当然鷹司にも雨龍の声が聞こえて、バッと効果音が聞こえそうなほどの勢いで振り返り姿を確認するとお客を放り出してこちらへツカツカと歩み寄ってきてしまった。それを見て九鬼が慌てて対応するべく売り場の方に走っていく。だがそんな事は些細な事だとでも言いたそうな態度で八月一日の前にまで来るとポンポンと怪我を確認するかのように体を叩きだす。
「大丈夫だよ。怪我はしてないから」
「…そうだった。怪我だばのぐて、病気だったの」
「病気でもないよ。さっきのはちょっと疲れが溜っちゃってただけ」
胸のあたりで手を振って否定する八月一日を疑いの眼差しで見る鷹司。だが、問い詰めたところで正直に本当のことを言う相手ではないと理解しているために深く突っ込むのはやめて、その代わりに今すぐ休めとでもいうかのように傍の荷物を引き寄せて軽く埃を払う。
「とりあえず座っとけ」
「え、でもみんな仕事中でしょ?俺も手伝うよ。さっきまでぐっすり寝ていて、気分も良いんだ」
「ん事言ってねぇで、とりあえず座れ。お前は無茶してる自覚がねぇから困るんだ」
座るのを渋る八月一日の肩に両手を乗せて強制的に座らせようと奮闘するが、近づいた鷹司の耳元で八月一日は口を開いた。
「いつもと同じように振舞ったほうが良い。俺が邪魔ならどこかに行くから」
「…は?何…言って…」
「船長さんが言っていたよ。おそらく今日中にエネルギーはたまるって。そうしたら移動でしょ?水の問題もちょうど解決したところだし、いいタイミングだったと思う」
何が言いたいのかわからずに返事に困って鷹司は口ごもるが、それを気にせずに八月一日は先をつづけた。
「気づいていると思うけれど、貴重な水を魔法のように出現させるこの店は、今とても注目を集めている。それを狙って水を使った訳だけどね」
少しだけ声の音量を上げれば傍にいた雨龍や天笠にも聞こえるだろう。やけに真剣に語る八月一日に相槌すら入れずに話に耳を傾けている。
「おかげでいろんな人が目をつけているんだ。悪いことを考える奴ら、って言ったほうが分かりやすいかな?」
「奇襲を受けるという事か?」
「可能性がある、という段階だけれどね。でもここの世界の人は結構アウトローというか、すぐ手が出る人が多いからさ、逃げるなら早いほうが良い」
思わず突っ込んだ雨龍にはしっかり1度頷くが、確定していることではないと付け足す。想定していたことだけれど、実際その危機に面してみると面倒なことだ。貴重な品を扱っているから仕方ないのかもしれないが。
「逃げるっつっても、アコン、お前はどうすんだ?」
まっすぐ見る鷹司の視線は「お前は一緒にいけないだろう?」という意味を込めているが、それを口にすることが出来なかったのだと分かって思わず口を閉じる。いつもそばにいてくれた家族、きっと自分を心配してくれる。大丈夫だといっても傍にいる限り、その無事を確認しなくては気が済まないんだろう。
だからこの場合「旅立ちを見送る」という選択は良くないと判断した。
「移動するタイミングは自分では選べないけれど、俺も近いと思うよ。ここにきて長いからね」
「だば、アコンが移動すらまで俺はここにいる」
「…それはダメだよ。ナガレ、君のわがままで部室の仲間を危険にさらすつもりかい?」
「仲間はお前もだべ?アコン。…1人で残るなんてダメだ」
あぁ、移動のタイミングを選べないのは本当だけれど、今はそれがじれったい。先に移動した事が分かれば、彼らはすぐにでも追いかけようとするだろう。だが、しょせん魂だけの存在で、自分が移動した後は肉体が死体として残るわけで。
使っていた身体は一時的に八月一日の外見に変わるけれど、抜けた後は元の姿に戻るらしいことがブラートのジューンの葬儀で分かっている。そのため仲間に死んだと誤解されることはないけれど、それだと移動した事が伝わらない。
…さて。どうしたものか。
「アコン…?」
急に黙った八月一日を心配して、鷹司が声をかける。それにこたえるように視線をあげるとにっこり笑った。
「まずは仕事を終わらせよう?誰かに聞かれたら困る話だ、こんなところでするものじゃなかったね。今日の予定が終わったら、部室でじっくり話し合おうよ」
「…そうだな」
「それにしても部室かぁ。屋敷とちょっと距離あるのが問題よね。私たち一応あっちに帰るって設定だし…あ。屋敷も私たちがいなくなったらどうするべきか考えないといけないのか」
ずっと黙って聞いていた雨龍が肯定すると、それに乗って天笠も口を開く。返事というよりは不便な点をあげた発言に聞いていた雨龍たちが頷くのが分かるが、それを見て八月一日は首を傾げる。
「なら、移動すればいいんじゃないの?」
「移動?引っ越しか?…いや、屋敷は貰い物で、家を近くに構えるのは…」
「いやいや、違うよ。動かすのは部室のほう」
「…どういう事?」
「え?起きた後ちょっと船長さんと話をして聞いたけど、、あの部室船なんでしょ?世界を渡る、さ。だったらこの世界の数メートルの移動くらい楽勝に思えるんだけど、ダメなの?」
質問というは返答というか、八月一日の言葉を聞いた一同は衝撃に固まってお互いに顔を見合わせた。
船長は確かにあの部室を「船だ」と言っていた。だが、見た目が「部屋」であることから、位置を変えるなんてことができるはずがないと思い込んでいたのだ。
誰か船長に聞いてみただろうか?いや、皆が同じ思い込みをしていたのだ、考えてすらいないだろう。第一誰かが聞いていたとしたらすでに部室は移動しているはずなのだから。
「…あー。後で聞いてみたらいいと思う。便利そうだしね」
誰か聞いてみたか?と視線だけで会話していることがに気づいたのだろう、八月一日は控えめにそう提案した。
なんだか少し強引だけど、もうちょとでこの章を終わりにしたい。
と思っております。




