03-67 砂漠の池
「すごい。どんどん水が流れ出てくる。…まさかこんな光景を見る事が出来るとは…」
蔓の内部を伝って流れてくる水、それを受け止める池の内部はあっという間に満たされていく。しかし、溢れそうになると最初に出現した草原部分が広がっていき、そこがガクンと陥没して水をためるエリアを広げていくので池はだんだんと大きく深くなっていた。その間もずっと蔓に手を当てて水がたまっていく様子を見ていた八月一日に対して、暫く水の中で水泳を楽しんだ後やっと池の水から上がったアルトゥーロが声をかけた。
シェイラは元山の上出身という事で水に慣れていたのか、特に珍しく思うことも無かった様子。早々に自ら上がると顔をしかめながら服を握って水を絞り、草の上に座っている。
ぼたぼたと落ちる雫をそのままに、髪を掻き揚げると気持ちよさそうに眼を細めてから八月一日を正面に見る。視線だけで彼の行動を追いかけていた八月一日も、まっすぐに受けた視線を見つめ返して微笑んだ。
「そこ等へんの調節はするつもりだよ。今はある程度池を大きくするところが重要だと思うから」
「ねぇ、この草なんネ?何でこんなに直ぐ伸びるカ?」
ずっと疑問には思っていたのだろう質問をシェイラから受けると、視線を彼女に移してから自分が手にしている植物へと落とす。説明が難しいというのもあるが、なんといっていいのか分からないというのが本音で、うーんとうなった後でポンポンと蔓をたたく。依然として水を吐き出すそれを見ていた2人だったが、先を促しそうになるのをこらえて八月一日の言葉を待った。
「…これはね、俺の力の一部なんだよ」
「一部?これだけの事が出来るのに、これで全てでは無いと?」
「あんた本当の事言ってるネ?こんなの出来るの人、信じがたいヨ。しかも一部て、それこそ信じられないネ」
「言いたい事も思ってることも分かってるつもりだよ。俺は普通じゃない…のかもしれない。なるべく異常さが目立たないようにしていたつもりではあるんだけど。隠れるのだけは得意だったからね」
「確かに…あの店の人数は12人と聞いていたが、11人しか確認していなかった。此方の調べが足りなかったのか、貴方が隠れるのがうまかったのかは分からないが…」
「そう言えばそうネ。私もお屋敷、何度も行た。でも会わなかったネ。今まで一度も」
八月一日が名乗り出るまでその存在すら把握していなかったとハッとした2人だったが、それを今考えさせるつもりはないらしい八月一日は「話がそれたね」と言って再び軌道を修正した。
「一番最初に見せた力は、遠くを見ることだったよね」
「…あぁ、そうだな。見るだけではなく、シェイラの様子もまるで見聞きしていたかのように実況してくれたが」
「実況?…え、何ネ?そばに来てたカ?」
「違うよ。俺自身は山のふもとから動いていない。ただ、自分の能力を使って遠くのものを見聞きできるってだえけ。その時に使っていた媒体が植物なんだよ」
穏やかな表情のまま視線を触れている蔓に落とす八月一日につられるように、2人も緑の太い幹を大地に晒す植物を見た。今まで植物と言えば人を食らう捕食者であり、人が食らう食糧であった。それを使うとはいったいどういう事か、想像するのも難しいが、八月一日は詳しい説明を省いて先を口にする。
「植物は…これは種類にもよるんだけれど…根っこがね、地中でつながっているんだ。沢山あるように見えて、実は1つの個体、なんていうのもあるんだよ。その性質を利用して、植物が受けている感覚を自分の人体で感じさせることで、遠くのものを感じているんだ」
「よく…分からないネ…つまりどういう事カ?」
「植物があれば、死角がない…と?」
「うーん、まぁ、そんなところかな?」
詳しく話して聞かせている様でいて、肝心なところはぼかしている彼の言い方に少しじれったく感じるが、問い詰める事は何故か出来なかった。
“ドドッ…ドドッ…”
フと訪れた沈黙。轟々と水が流れる音だけが支配していた空間に蹄の音が響き、アルトゥーロが顔を上げた。ぐるりと見渡してみれば此方に走ってくる3頭のラクダ、その先頭のラクダに騎乗しているのがエルビーであると分かると、軽く手を上げてから顔を背けた。
傍から見ていた八月一日とシェイラはその動作に少しばかり寂しい思いを感じるが、これが彼らのいつものやり取りなのだろう。此方に近づいてきたラクダをシェイラが向かえ入れるべく数歩ばかし歩をすすめた。
「アルトゥーロ様」
「来たか。…と、何だかお客人が居るようだが…」
なるべく視線を向けないように意識しているのだろうアルトゥーロが後ろの2頭のラクダを一瞥して人が乗っている事を確認するとそう問いかけるが、すべて言い終わる前に乗っていた人物が転がるようにして降りて八月一日に駆け寄った。
「アコン!」
「八月一日!まさか本当にお前まで…」
心配そうな顔の鷹司と、目の前に居る相手が信じられないとでも言いたそうな複雑な表情の雨龍が目の前にまで来ると、蔓に手を当てたままで八月一日は微笑んだ。
「ナガレ。それに雨龍さんも…わざわざこんなところまで来てくれたの?」
「わざわざだ?アコンはいぢいぢ言葉が足りねんだし。勝手サ行っていいだどか、大切な事ば直接言いに来!それに…お前置いて行けとか、出来るわげねべが!」
「でも、部室には…」
「まずは一度戻ろう?アコン。皆もお前に会いたがってる。今はラクダを借りる関係上代表して俺達が来たけど、本当は皆、飛び出したかったんだ」
「皆…が?」
アルトゥーロとエルビーは少し離れたところ煮立っていたが、話をしているフリをして此方の会話を聞いていた。しかしそれに気付かないまま、少しばかり驚いた顔をして思わず1歩雨龍たちのほうへ歩き出した八月一日だったが、手が蔓から離れた途端に唐突に立ちくらみを覚えてガクッと膝を折り、縋るように太い蔓の幹にしがみつく。するとすかさず鷹司が支えるために傍に寄って手を出した。
「大丈夫か!?」
「あ、あれ…?おかしいな、今までこんな事…」
「…きっと疲れてるんだよ。ずっと一人だったんだろ?どれほどの世界を飛んだのかは知らないけれど、見知った顔を見て安心したんじゃないか?それに、鷹司はお前の従兄弟で家族だしな」
「そう…かな…?…あ、まってナガレ。この蔓の幹の内部に少し手を加えておかないと。このままでは山の上から水をすべて抜いてしまいかねない」
「え?…なんて?」
強引にでも引っ張って部室戻ろうとした鷹司を八月一日は慌ててとめた。言ったことは聞き取れたが、内容が理解できず聞き返すと、それの返事をする代わりにスッと眼を閉じる。すると轟々と音を立てて流れてきていた水の流れが穏やかになり、やがてあたりは静寂に包まれた。
「何をしたんだ?水は…もう降りてこないのか?」
アルトゥーロが一番に心配するのは水のこと。この世界の住人で、多くの人の命を背負っているのだからしょうがない。彼の疑念を晴らすため、八月一日は笑顔で首を横に振る。
「いいや、降ろす水の勢いを抑えただけだよ。この植物を切り倒さなければ此処の池は枯れることはない。…あ、あと山の水が枯れない限りは、ね」
「何を、したんですか?」
事の起こりを見ていなかったエルビーだが、簡単に説明を受けて現状を把握しているつもりである。それでも何が起こったのか、自分の眼で見ても分からなかった彼は呆然として、アルトゥーロとまったく同じ質問を思わずしてしまった。しかしそれに嫌な顔一つせずに八月一日はエルビーのほうを向く。
「この蔓の内部の空洞の割合を変更したんです」
「…は?」
「この植物の内部は空洞になっていて、その中を水が伝ってきていました。ですが、山の上の人の生活を守りつつ、この砂漠に水をもたらすためにこの池のこの水位を守れるだけの水を植物が自分で取り込むよう調節したのです」
「良く分からないが、すごいということだけは分かった」
「それだけでも分かってもらえれば…良かっ…た…」
「おい!…アコン?」
説明の途中でまるで必死に眠気と戦っているかのように、唐突にガクンと傾きかけた八月一日をすかさず鷹司が抱きとめる。疲労の色が濃く残る八月一日の顔を覗き込み、大丈夫かと声をかけるが、聞こえているのか居ないのかその問いかけには答えない。
「蔓を使って、山を登ることも…出来るでしょう。…表皮を軽く傷つければ…水が飲める。…それに…植物は生きている。定期的なメンテナンスも…必要…無…い…」
「アコン!?しっかりしろ、アコン!」
完全に眼をつぶってしまった八月一日は、今度は軽く頬を叩かれても眼を開けなかった。疲労による睡眠であるならば良いのだが、久しぶりに見る家族の青白い顔に鷹司の胸に不安が募る。
「八月一日!…鷹司、直ぐに戻ろう。休ませる必要がある!」
「だな。悪りが連れてけぇるぞ!用事があるならそっちが来い!」
領主であるアルトゥーロがその場に居て、大会の途中で失踪したシェイラが居る事も確認していたが、今はそれど頃ではない。体格を考えてラクダに乗った鷹司に八月一日を抱えてもらうべく押し上げると、2人は来た道を急いで戻っていった。
「…アレは、力の代償というやつだろうか?」
残ったアルトゥーロが砂埃を上げて走り去るラクダを見送りつつ、隣に立つエルビーに声をかけた。思い返すは突然倒れてしまった八月一日。隣の彼がアルトゥーロの方を見る気配がしたが、その瞳を見返すことはしない。
「分かりません。ですが…可能性はあるのでは?かなり大掛かりな事を、してくれたようですし」
「彼と比べると、俺の能力なんて…。他者を操る?あの男が神ならば、まるで此方は悪魔だな」
「何を言っているのですか!?そのような事、あるはず無いです」
「だが…。俺も、彼のように人に役立つ力があれば、もっと違った役立ち方が出来たはずなのに…」
「ほいやぁ!!」
悲痛な表情を浮かべるアルトゥーロに気付き、エルビーは言葉を失ってしまった。しかし突然、それをじっと聞いていたシェイラがタックルをする勢いでアルトゥーロをどつき、再び水の中に突き落とす。
「うわっ!??」
「ちょ、え!?…お前、何をしてるんだ!?」
「何言ってるネ。人が人と違う、当たり前ヨ。持ってる人を、持って無い人が羨むも、仕方ないことネ。…アルトゥーロさん、貴方自分を蔑みすぎ。貴方は十分、持ってる人ヨ」
「…え?」
怒りがフツフツと湧き起こるアルトゥーロだったが、そんな事を言われつつ手を差し伸べられると、呆然とシェイラを見上げる。水に落ちたアルトゥーロを助けるために差し出された手に躊躇いは無く、その視線もまっすぐと彼を捉えていた。差し出される手に自分の手を重ねるべく伸ばしかけた手は、しかし迷いから空中に留まりただ呆然と彼女を見つめ返す。
と、暫く待っていたシェイラだったが容赦なくアルトゥーロの頭にチョップを落とした。
「水、そんなに気に入ったカ!?出たい思たから助けようとしたのに!そこで一生泳いでるといいネ!」
「また!…ちょっとお前!失礼すぎるぞ!?」
「知らないネ!私の主、あいつと違うヨ」
「あいつ!?…アルトゥーロ様にたいしてなんて口の聞き方を…」
「ふ…ふふっ…あははは!…そうか。俺も持ってる人間か…羨ましがられているのは、俺もなのだな」
今度はエルビーと口論を始めたシェイラ。
それがむしょうにおかしくて、水の中につかったままアルトゥーロは笑い声を上げた。




