03-66 未来の歌
水蒸気が霧のように立ち込めるトバルスの麓。
本来ならばかなり湿度の高いはずの日陰でさえ、地面に水滴がつくことは無くかなり乾燥している事が見て分かる。
山の上から落ちる水、それが途中で霧になり、地面に落ちる前に消えていく光景を見上げ、八月一日はラクダの背に乗ったまま、小さな声で歌を口ずさんでいた。
「何を、しているんだ?」
そんな八月一日の行動に疑問を抱くのは同行していたアルトゥーロ。水汲みには適さない日中の山の麓に来たいと言ったのは八月一日であり、水を砂漠に降ろすためだと言われれば詳細を語られなくても行動させて見せるほかは無い。一緒についてきたほかのメンバーはアルトゥーロを恐れてか、八月一日を不審がってか傍には来ておらず、見渡してみても2人だけ。
そんな中で歌っていた歌を止めて振り返り、朱色の瞳をまっすぐ見る八月一日に怯えはない。そして穏やかに笑ってから再び顔を戻して山を見上げた。
「歌、を歌ているんですよ」
「歌?」
「えぇ。…そういえば、ここに来てから音楽を聴いていませんね。楽器なども無いのでしょうか」
「音楽?楽器??」
「あ、これも分かりませんか?うーん…歌というのはさっきみたいに普通に話す方法とは少し違くて、言葉1つ1つに音を付けて音程を変えていくものです。音楽はその音程の流れを表したものの総称で、楽器は音楽を奏でる道具、ですね」
「…よくわからんぞ?」
「うん。自分で言っててわかりにくいなって思ったから、たぶん理解できていないと思った。そうだね、実践できれば一番わかりやすいんだけど」
そう言ってあたりを見渡してみるが、楽器になりそうなものは見当たらない、少し遠いが植物があるので草笛でもできるかとも思ったが、この世界の植物は葉っぱが肉厚で適さないとすぐに考え直してから軽く咳払い。そしてきちんとした歌を歌おうと口を開いた。
「進む道は輝き…♪」
日本語で紡がれるそれは、アルトゥーロからしてみたら何を言っているのか分からないだろう。それでもメロディーに合わせて言葉を紡ぐ様子をどこか呆けた様子で聞いていた。
「いかがでした?」
「こんなの知らない。それに…知らない言葉だった」
「とある団体の歌なのですが、要約するとより良い世界を作るため、みんなで頑張りましょうという歌詞なんですよ」
「かし…?」
「歌についている言葉の事です。音楽に言葉をのせる、これが歌なんですよ。…やってみますか?」
「…いや、俺には少し、難しすぎる」
「そんなことはありません。適当な音程で適当な言葉を紡ぐだけでも歌になりえます。1つお教えしましょう」
さて、どんな歌を教えるべきかと考えてふと思いついたのが「エーデルワイス」。この花がこの世界にあるのかは知らないが、よくわからない単語が入っていた方が、声に出すのに恥ずかしくなかったりするものなのだ。1度ゆっくりと歌ってやれば、それだけで記憶したのかアルトゥーロも追いかけるように声に出す。
いまだ羞恥が勝るのか声は小さいが、慣れてくれば堂々と歌えるようになるだろう。何より大きな声を出すのはとても気持ちがいい。
この音程を覚えたら別パートを歌ってあげてハモリを経験させてあげるのも良いかもしれない。初めての音楽、楽器は自分の喉で、観客は居ない。それでも剣を振るうよりは楽しいのか、アルトゥーロの表情も悪くなかった。
“ドドッ…ドドッ…”
遠くから近づくラクダの蹄の音すら合いの手を入れる打楽器のよう。
すぐそばに来るまで視線すら送らず、八月一日とアルトゥーロは歌を歌った。
「…何、してるネ?」
自分をチラリとも見ない2人にやってきたシェイラが声をかけた。そこでやっと顔を向ける2人だったが、誰が来たのか確認した後アルトゥーロはすぐさま顔を背ける。自分の視線にとらわれるのを防ぐためだ。そのため八月一日が対応するべく少しラクダを寄せた。
「歌だよ。山の上にもあっただろ?」
「確かに、歌うたう、珍しくないヨ。けどさっき聞いた歌、初めてネ」
「…そうか。山の歌はどちらかというと和歌のような音程が単調なものが多かったね」
「ワカ?…なんネ?それは」
「えっと…。まぁ、その話は後にしよう。山の人と話は出来た?」
「フン。あいつらマジ石頭。何度言っても理解しないネ。年寄りはだめヨ。でも、このままでは駄目思てる人も居る確かネ。乗り込んで来れば対応する、仕方ないヨ」
「つまり?」
「勝手にやって大丈夫ネ」
「それはよかった」
もっと八月一日の話を聞きたいとも思ったが、シェイラは一番大切なことは何であるか思い出してフンと軽く鼻を鳴らしてから上の様子を口にした。
アルトゥーロを中心に5名ほどの人数で山の麓までやってきた時、シェイラが山の上の住人「サソリ」であることを告げた。その時の反応は人それぞれだったが、多くの人間が驚きよりも恐れを抱いていたように思える。そして山の上にも人がいる事を話し、此処にきた目的はお互いの人間が交流が出来ないか考えている段階であることを説明した。
一番気がかりだったのは、ずっと続けていたトバルス侵略だったのだが、どうやら断崖絶壁を登るのは相当困難なようで、山の周りをまわるように足場を築いている最中だった。戦いで勝ったメンバーが建築作業かよと思ったが、岩肌に張り付く形になるこの作業はいろいろは獣に狙われやすく、作業しなければならないけれど尚且つ戦える人材でなければ捗らないといった具合だったらしい。
簡単に山とつながる事が出来るならばと、大会と一緒に一時中断した工事の作業員たちも少し離れたところで休憩をしていたが、中から登れるなんて調べたこともなかったのだろう。八月一日はシンだったころの記憶があるので知っていたが、シェイラはまだ砂漠の民を信じ切る事が出来ず、この仲間に教えることが出来ないと言うため、まずは1人で戻ってもらって様子を伝えてもらったのだ。かかった期間は5日間、もう戻ってこないのではと囁くメンバーも出てきたが、ここは植物の力で遠くを見ることが出来る八月一日が実況中継よろしく状況を伝えたため騒ぎにならずに済んでいた。
この時に当然信じない人が出てきたため「眼は朱色では無いけれど、俺は遠くを見通せる」といって何回か他メンバーの行動を実況してあげた。そのせいでアルトゥーロ同様になんとなく恐れられてしまい余慶に人が遠ざかってしまった。
別に気にはしていないのだけれど。
「で、どうするつもりだ?簡単に言っていたがこの高さの山の頂上とこの砂漠をつなげるんだろう?」
「それは私も興味あるネ。しかも水をおろす言ってたヨ?どうするつもりネ?」
興味津々と言った様子で問いかけた2人。
山までは少しばかり距離があり、いったいこの場所から何をするつもりなのかと言う眼で見つめる。その2人の視線を受けて、八月一日はヒョイっとラクダから降りると、少し山のほうへ歩み寄ってから振り返った。
「見て。この場所、日中一番日が高い時、丁度山の陰になる場所だ」
「…そうだな。だから休憩ポイントにもなっている」
「活動しやすい場所ネ。その分野生動物も多いから、危険もあるヨ」
「直射日光がさえぎられると言う事は、その分熱エネルギーが遮られると言うわけで、水面が広くても蒸発していくのをある程度妨げる事が出来る」
「…は?」
「何ネ?意味分からないヨ?」
ぽかんとしている2人。当然だろう、理科、科学なんてこの世界には無いのだ。小首をかしげる様子を見てから再び山のほうを向いて、右手を包むように左手を沿え、その手を胸元に持て行き眼を瞑った。
「俺の力は、遠くを見ること。でもそれだけじゃないんだ」
ゆっくりと手を身体から離していく。まるで自分の魂を抜き取っているかのように、その手には輝く何かが握られていた。言葉も出せずに凝視している2人の視線を感じながら膝を折って地面に近づくと、その輝くものをそっと大地に押し込む。
「行け!育て!」
その声をきっかけに足元に緑がブワッと広がり、その部分だけ草原へと変貌する。しかし変化はそれだけではなく、ボコンボコンと奇妙な音を立てながら1本の太い蔓がまるで水面をはねる魚のように砂漠を突っ切り、トバルスへと向かって行った。
「な…何なんだこれは…」
「こんなの、奇跡としか言いようが無いネ…」
2人の言葉を背後に聞きながらも、八月一日は一生懸命植物を操る。なるべく地中を進み危険を回避し、山の麓まで来ると建設していた足場をたどるようにグルグルと山の周りを回らせて。そして次第に高度を上げて行き、蔓の先端は雲の中へと突入して行った。これ以上は目視で確認ができないが、それでも大地に手をつけた八月一日は動かない。
声をかけようとしたシェイラだったが、1歩踏み出したところでアルトゥーロにとめられた。
「やめておけ。…何かあれば、きっと自分で言うだろう。まだ終わっていないんだ」
「…なんで分かるネ?」
「なんとなく、だ」
「なんとなく、ネ」
そんなやり取りのあった後、伸びて行った蔓の根元、八月一日が居る部分から“ゴーッ!”という聞いた事が無い音が響きだした。その音が大きくなるにつれ、感じられるほどの振動が足裏から伝わってくる。思わず顔を見合わせたシェイラとアルトゥーロだったが、行動に移る前に足元の草原が突然窪み、思わず2人はその場に転んでしまった。
「キャァー!」
「な、何だ!?」
慌てて立ち上がり周囲を確認しようとするが、その前に降りかかる衝撃に思わず息が詰まる。冷たい何かが身体を覆い、グルングルンと回る世界に恐怖よりも困惑が勝ち、数秒間動けずに居たらクグモッタ笑い声が聞こえて、頭上から伸びてきた手によって引っ張り上げられた。
「ぷはぁ!」
「はぁっ!?」
「あははは。…注意が遅れてごめん、コレが水だよ。…いや、知ってるか」
思わずとめていた呼吸を再会して、改めて周囲を確認して驚く先ほどまで何も無かった砂漠の一角。底に周囲を緑に囲まれた池が誕生していた。先ほどの衝撃は水が流れ込んできたときのもので、アルトゥーロは初めて水につかるという経験をしたのだ。
「ど、どうやって…?」
「この植物、中が筒状になっていてね。コレに力を送って山の頂上に登らせたんだよ。そしてその中を通して、水を此処に運んできたって訳。唯落ちるだけの滝だと砂漠まで届かないってことは見て分かっていたからね、何か伝って降りられるものがあれば違うと思っていたんだよ。…あ、安心してね。今の環境をなるべく壊さないように考えて支流を作ったから、霧状の水が落ちてくる現状も…変わって無いでしょ?」
水からあがるのも忘れて呆然と池の縁に居る八月一日を見上げる2人。
アルトゥーロの朱眼をまっすぐ見ても問題が無い八月一日の事を、普通の人間では無いのかもしれないとは思っていたが、此処まで圧倒的な力を持っているとは思っていなかった。
「お前は…いや、貴方様は…神か?」
唯呆然と口にしたアルトゥーロ。
それに対して八月一日は、笑って首を横に振った。
「いいや、俺は唯の人間だよ」




