03-64 遺言
使うのをためらっていたらしい水を使って知名度が集まれば、きっと簡単にエネルギーは溜まるだろう。
確かなことは何も分からないけれど、この世界で水以上に高価なものなど無いのだからそう確信出来る。ただ、水の販売が長期になると、裏を知ろうとする人や儲けを狙った盗人などが現れる可能性がかなりあるので、それまでに水事情を改善させないといけない。
両手で抱きしめるように荷物を抱えたまま、脳内で今後どうするべきかを考えながら八月一日はアルトゥーロの屋敷を目指していた。彼と話をしに行くためではあるが、その前にやらなければならないことが1つ。植物の目で調べたところ、その野暮用の相手もこの屋敷に居るようなので手間が省けるなと考えながら視線を荷物に落とす。
この中にあるのは前世の首。
前世と言っていいのか分からないが、この世界に存在するために乗っ取ってしまった相手。
降りた時にはすでに死んでいたと知っているけれど、それでも申し訳なく感じてしまう。
それにまさかまた同じ世界に降りられるとは思っていなかったから、客観的に自分のものだった顔を見るなんて思わなかったし、自分で自分を供養出来るとも思わなかった。
最後の時を思い出してそっと自分の首筋をなぞると、ピリッとわずかに痛みが走った。
「…強情な奴だ。知っている情報をはけばこれ以上痛めつけないと言っているだろう」
「ふん。…何されたって言うものか!さっさと殺せ!殺す気が無いなら片目を抉って眼帯奴隷にでも何でもするがいいさ!」
屋敷の近くにまでやってきたときに聞こえた声に足を止めると、どこかで聞いたことがある気がするなぁと、あたりをキョロキョロ見渡して誰も自分を見ていないと確認してからそっと塀の内側をのぞきこむ。するとやはり、屋敷の庭にあたる場所にエルビーがいた。縛られている人たちを前にしている彼を見るに、昨晩の事件を企てたチームから情報を聞き出しているんだろうが、どうやらうまく行っていない様子。その中には知った顔もちらほらいた。ベナサールもその一人で、おそらく先ほどエルビーに向かって吠えていた声だろう。領主が出てきて朱眼を使えば一発で解決するだろうに、忙しいのか面倒なのかアルトゥーロの姿はこの場所には見えない。エルビーのことはシンだったころから知っているが、彼は八月一日を知らないはずだ。部室に入っていないのであれば船長とも出会っていないはずで、このまま声をかけるのは怪しまれるだけだろうと、とりあえず塀が途切れて中に入れる場所まで歩いていき、堂々と顔をのぞかせた。
「すいません、誰か居ますか?」
自分は何も聞いていないと主張するように、空気を読まずに声をかければ当然近くに居たエルビーが気付いて此方へと向かってくる。見覚えの無い相手に対して少し怪訝そうな顔をするが、それでも客人としてそれなりの扱いをしなくてはと思ってくれたのだろう、無視されることはなかった。
「何か用事か?」
「はい。俺はマッサージ屋の関係者です。アルトゥーロ様にお話が合って来たのですが」
「そうだったか。尋ね人があるかもしれないとは聞いていたが…見ない顔だな」
「そうですね、あまりあの店にも居なかったので。俺もあなたを見るのは初めてですよ」
怪しまれないように笑顔のままで返事を返すが、エルビーは八月一日が本当のことを言っているのか判断ができないようだ。怪しい者を見るような目つきを隠すこともせずに上から下まで観察するが、僅かな時間の後で「中に入れ」と促した。
「入っていいのですか?」
「あぁ。用事があって来たのだろ?」
「そうですが…失礼かと思いますが、歓迎されていないように感じましたので」
「まぁ、怪しいと思っていることは確かだが、アルトゥーロ様の前では嘘もつけないし、今と同じ態度がとれる奴も居ないしな。だが、俺は今ここを離れられない。中に入れば奴隷たちもいるから、アルトゥーロ様の居場所も尋ねれば案内してもらえるだろう」
「なるほど、わかりました。ありがとうございます」
「あと、次からは正面の門から来てくれ。こちは裏口に当たる。今は俺が居たから良かったが、基本的に無人だからな」
「裏口?こんなに立派な門なのに?それに無人って…不用心では?」
「基本こちらの門は閉じられているから。今日だって表から来ればちゃんとした門番に案内してもらえたかもしれないんだぞ?」
「そうなんですね」
そういって軽く頭を下げてから指された建物の中に向かった。その途中で塀の外側で声が聞こえたあたりを見れば、数名の人が捕まっているのが見える。その中の1人に見覚えがあって、フと足を止めると元の場所に戻りかけたエルビーがピクリと反応し、鋭い視線を飛ばしてくる。思わず苦笑いをしてしまうが、別にエルビーを止めようと思ったわけでは無いんだと、弁解するかのように口を開いた。
「あの…彼らは?」
「お前には関係ない…っと思ったが、そういえばあの事件で奴隷を失ったんだったな。昨晩の事件の首謀者たちだ」
「なるほど。今取り調べ中であると」
「そうだ。もういいだろう?さっさと行け」
「わかりました。ただ…」
「ただ、何だ?何か問題でも?」
言いにくそうに言葉を濁せば、エルビーがスッと目を細める。本来はもっと優しい感じのする人なのだけれど、全く面識のない相手にこんな事を言われたら警戒するのも仕方ないなと。荷物を右腕で抱えて、左手でポリポリと頬を掻きながら視線をベナサールに向けた。
「いえ、問題という問題ではないのですが…。男女平等に扱われていて、少し素晴らしいな、と思ったしだいで」
「…は?」
「おや?勘違いでしたか?…どうも見目麗しい方でしたので、女性かと思いました。でも…いえ、すでに調べられている後ですよね?余計なことを申しましてすみません。ではこれで」
そう。八月一日は知っていた事だが、おそらくほとんどの人間が勘違いしていたであろう事実。実はベナサールは女性なのだ。これが尋問をしているのがエルビーのような紳士ではなく「大将、こいつ女ですぜゲヘヘ」なんて言うようなゲス野郎だったら伝えるつもりはなかったのだけれど。
ベナサールは傍から見ても結構重要なポジションにいた人物だ。頭と思われるガスパールの側近、この世界ではそんな重要ポジションにつくのは男性であると決まっている。実際アルトゥーロの近くにも女性は居ない。その思い込みが、恐らく調べずとも「こいつは男」と思わせた原因であろう。たとえ綺麗な顔立ちをしているな、丸みを帯びた体つきだなと思われていたとしても。現にエルビーは驚きと戸惑いの混ざった眼でベナサールと八月一日を交互に見ている。が、続けて声をかけられる前に退散してしまったので後は彼が何とか自分で対処するだろう。
あまりしっかり会話したことはないけれど、エルビーは町の人間に恐れられているアルトゥーロを献身的に支えて女性にも優しい男…のはずだ。
「さて、ご主人様に会う前にまずはコレをどうにかしないと」
シンだったころを思い出してアルトゥーロを主人と呼んでみるが、当時はなんの抵抗もなく口にできた言葉が今だととても違和感がある。魂は同じはずなのに、身体が変わった影響だろうか?そんなことを考えつつ、床に膝をついて地面の砂を少しだけ払った。建物の中に入ったが、この場所に床板は設置されておらずに土がむき出しになっていおり、その表面を軽く払えば植物の根が顔を出す。そっと触れて目を閉じれば、まるでマッピングされていくかのように周囲の状況が脳裏に浮かんでいき、その中で目当ての人物を探し当てると再び立ち上がって歩き出した。
「帰ってきたばかりだったのかな?案外近くにいるみたいだ」
数回角を曲がったとき、前から声が聞こえてきた。探していた人物であるという事はその口調ですぐにわかる。
「またく、せっかく待機してたのに、朝まで出動なかたヨ。あぁ、眠いネ!」
「大声出すなよシェイラ。こっちだって寝てないんだ、お前の声はキンキンして頭に響く。…あぁ、奴隷商の仕事だって山積みなのによぉ」
「モロンなに言うカ!か弱い女性が弱ってるネ、嘘でも慰める、男ヨ!」
「…嘘で良いのかよ」
「シェイラ」
曲がり角から1歩踏み出して2人の前に姿を表すが、何も変わっていない気がする2人の会話に思わず吹き出しかけてしまいそうになり、慌てて口に手を当てることでそれを抑えてから声をかけた。名を呼ばれたシェイラとモロンは足を止めて視線をこちらに向けるが、見たこと無いよな?と記憶を探っているのだろう。視線がキョロキョロと動いて時折隣のモロンを見る。モロンはモロンでシェイラに見つめられると「俺も知らない」というかのように首を振るので、やはり初対面だと結論付けたようだ。
「…誰ネ?私、知らないヨ?」
驚かさないように、怯えさせないように。
此方から歩み寄らずに持っていた包みをわずかに掲げ、ちらりと周囲を一瞥してほかに人影がないことを確認。そして「山の言葉」で語りかけた。
「彼から、遺言を預かったんだ」
そう言って視線を手元に落とせば、その中に入っているものが何なのか想像が出来たのだろう。バッとシェイラが距離を縮め、ひったくるように手の中の包みを奪う。そしてわずかに縛り眼を緩めて中の白髪を確認してから勢いよく顔を上げてキッとにらむような視線を八月一日に向けた。
「どういう事!?…何があったの!?いったいこれは…それにあなた、その言葉は…」
八月一日と同じように山の言葉で返したシェイラだったが、その口調は慌てていて状況がうまく飲み込めていない様子。少しだけ言葉が分かるモロンもなんとなく事情を察したようだ。まずは落ち着けと言うモロンに肩を軽く叩かれたことでシェイラは一度大きく深呼吸をしたが、それでもオロオロとした様子は落ち着かなかった。八月一日が「落ち着いて」と言ったところでモロンよりうまくなだめる事は出来ないだろう。今はこのまま話を進めようと判断した。
「何度も繰り返さないからね。しっかり聞いてよ?…『これは、俺が望んだ死。姉さんの力に成れなくて申し訳ないとは思っているけど、許して欲しい。最後に一つ願いを聞いてもらえるならば、砂漠と山の人間を引き合わせて欲しい。砂漠に水を引き入れる方法がある。砂漠に緑が広がれば、今の水のために命を賭ける砂漠での生活も、生きるために人口を制限する山の生活も、改善すると思うんだ』…水を山から引き込む方法は俺が知っている。シェイラ、君には架け橋になってもらいたいんだ」
一言一句聞き漏らさないようにと相槌を入れる事無く聞いていたシェイラ。包みの中の首は誰か知らない人間で、目の前の男は嘘を言っているかもしれないとも思ったが、遺言と言って伝えてきた言葉の中に「姉さん」という単語があったことで全て本当の事だと裏付けられてしまった。シンとシェイラの関係はそれこそモロンでさえ知らなかったのだから。
「色々と引き合わせるための下準備をしてきたつもりだけれど…分かったわ。それがあの子の願いなら。…で、架け橋になるのはかまわないけれど、この街トロアリーヤの代表はどうするの?まさか貴方がトップに立つつもり?」
「まさか。この街の代表はアルトゥーロだけだよ。だから彼に頑張ってもらう」
「頑張ってもらう、って…私は彼の前に出た事が無いから…いえ、あるけど…あの眼を見たことが無いから詳しくは分からないけど、朱眼の魔王は一筋縄じゃいかないらしいわよ?」
「うん。俺にちょっと考えがある。それに…たぶん大丈夫だと思う」
シンはアルトゥーロの眼を見ることが出来た。
それは何故か?種族の違いかと思ったけれど、シェイラに経験が無いなら彼女は大丈夫とは断言できない。
だがあの時、そして今も普通の人間とは決定的に違う部分が身体にはある。
たぶん大丈夫と言ったまま詳細をなかなか口にしない八月一日を見て、シェイラとモロンは「大丈夫だろうか?」と顔を見合わせた。




