03-63 路線変更
記憶にある間取りとまったく変わらない部室の中へゆっくりと歩み入り、椅子を引いて腰掛けた八月一日。その隣に鷹司が、向かい側に舞鶴が座ると何をどう聞けば良いのやらと鷹司と舞鶴は視線を合わせた。
「…。あ。俺達だけじゃなくて、皆呼んで来た方が良いよね。何か話を聞くにしてもアコちゃん2度手間になっちゃうし」
「いや良いよ、大丈夫。何度でも言うよ。何度でも来るし」
一度座ったのにすぐに腰を浮かしかけた舞鶴だったが、完全に立ち上がる前に八月一日がそう声をかければ中腰の体制でぴたりと止まる。
とりあえず今呼びに行かなくても大丈夫だという事はわかったが、後に続いた言葉の意味を図りかねて眉を寄せると、それを代弁するかのように鷹司が口を開いた。
「何度でも来る?何度だばへる(言う)っていうのは分からばって、何度も来るていうんはどういう事だ?」
「これからずっと一緒でしょ?違うの?だって此処アコちゃんの部室だし…」
同じ世界の仲間だから、この後の帰還の為の旅に合流して一緒に行くと思い込んでいるようだ。しかしながらこの船には定員というものが存在し、メンバーが減ることはあっても増えることはないという事実を忘れてしまっているのだろうか。
彼らに会う前にすでに船長と数回顔を合わせて話をしたため大体の事情は理解している八月一日だったが、自分からそれを言ってしまうと「なぜ知ってるの?」と疑問を抱かれてしまうと考え、説明を求める視線を船長に向けると、彼はその視線の意図を正確に理解して一度小さく頷いてから会話に割り込んだ。
「話の腰を折るようだが、彼は部室で一緒に旅をすることはできないぞ」
「え!?」
「なぜだ!?」
反射で返事をした2人に、一度した定員の説明をもう一度懇切丁寧に繰り返す。そのあとで視線をゆっくりと八月一日に移した船長は、彼の為に入れたコーヒーを要らなければそのまま放置出来るように、手を伸ばせば届くけれど少し離れた場所に置いた。
「最初の世界を脱出する時に、八月一日はメンバーとして乗っていなかった。だからこの後の移動にも彼が乗ることはできない。もしもこの船に乗せたいのであれば、代わりに誰かが下りる必要がある」
「…あ…そうだった」
「だばアコン、お前はどうしてこの世界サ来たんだ?」
どうして。どうやって。どのようにして。
この部室という船が使えないならば、当然思うだろう疑問ではあるがそれを今伝えるわけにはいかないな、と。誤魔化すように笑ってから船長がおいてくれたコーヒーの入ったカップにスッと手を伸ばし、その湯気が出るコーヒーの温かさを確かめるよう両手で包んだ。
「皆はどうやってこの世界に来たの?見たところ此処は園芸部の部室だよね。部室事一緒にここに来たの?」
「うん、そうなの。詳しくは船長に聞いたほうがわかりやすいと思うんだけど…あ、彼のことね。アコちゃんにそっくりの彼」
質問に質問を返していったん返答を伸ばすと、説明の途中でそういえば船長を紹介していなかったと思い出した舞鶴が彼の紹介をする。それを受けて八月一日は初対面であるかのように挨拶をしながら頭を下げれば、それに船長も普通軽く頭を下げたあと、旅の初めに他のメンバーにした世界を渡る法則を簡単に説明。その後は再び会話の主導権を譲るために口を閉ざしたのを見て、脱線しかけた話に戻る。
「えっと、この簡単に要約すると、この部室ごと丸っと一緒に誘拐されちゃって、それで元の場所に戻るのにこの場所ごと世界を渡り歩くってことをしているんだ。ここで2つ目の世界だよ。…あ、最初の星を入れると3つ目か」
「そうなんだね。俺は皆の部室に当たるようなホームとなる場所はないよ。説明するのも難しいんだけど、気が付くと世界が変わっていて、別の星にいるんだ。そのタイミングを決めるのは自分じゃなくて…誰かの意思が働いてるんだとしたら神様、なのかな」
「自分の意思で移動でぎ無いのか?移動すんのに必要な事とがは?」
「特に無い…ね」
「セン…あいづみたいなナビは?」
「居ないね」
「なるほど。本当はアコちゃんにも移動エネルギーをためる必要があるけど、教えてくれる人が居ないから分からないんじゃない?」
「…なるほど。そうかもしれない」
移動となる原因や、自然に移動する期間は大体一緒のため深く考えたことはなかったが、確かに残り時間を押してくれるナビゲーターが居たらもっと色々と分かったかもしれない。おそらく居たところで寿命が延びるとは思えないけれど、ここは素直に驚きを見せた八月一日は1度大きく頷いた。しかしこの話をこれ以上続けるとボロが出る恐れがある。それに話したいことはこれではなく、本題に入ろうとばかりに一度コーヒーを飲んで口を潤してから視線を2人に向ける。
「…で、話は変わるんだけれど。後移動するのに必要なエネルギーは、あとどれほどためる必要があるの?」
「どれほど…?」
「まだ全然溜まってはいない。MAXが100だとすると、やっと目盛1つ分動いたくらい微々たるものだ」
「此処に来てどれくらい経ってる?」
「…一ヶ月…強くらい?」
シンとして拾われて大会に参加するまでの機関がそのくらいだった気がする。正直に言うと八月一日は聞かなくても分かるのだが、彼の質問はずっと傍に居なかった彼からの問いかけとして不自然ではなく、鷹司と舞鶴は一度顔を見合わせるも普通に返事を返した。
返事を聞いて、八月一日は考え込むように僅かに顔をうつむけ視線を落とした状態で、両手で握ったカップの縁を人差し指でなぞり始める。視線はカップの中のコーヒーに向けられたままで、時折両手の振動によって生まれる波紋を、あるいは薄っすらと立ち昇る湯気を集中して観察しているようにも見えるが、園芸部部長が集中するとこういう行動をとることを知っている2人は黙ってその様子を見つめる。
「…やっぱり、水を使おう」
何分経過しただろうか。やっと口を開いた八月一日は、船長へ視線を向けてから2人にそう告げてコーヒーを一気に飲み干すした。長く感じた沈黙を破ったその言葉に、鷹司がいち早く反応を返す。
「水…売るって?」
「そうだよ。この世界にはお金がない。人の意識…興味って言うべきなのかな?…を引くには、マッサージ屋だけではインパクトが弱すぎる。その点水は生活必需品として多くの人間が求めるだろう」
「でも、水はこの世界で貴重品だよ?そりゃ、この部室があればいくらだって用意できるけれど、それは俺達がこの世界にいる間だけだし、だいいちこの街の領主が出てきたらあの朱眼のせいでこの部室を隠す事も出来なくなっちゃうよ!?」
言いたいことは十分分かる。自分達がいる間だけの贅沢を覚えさせるのは忍びないと言うことだろう。あとアルトゥーロの力に対抗できないと言うことか。しかしそれを問われることを想像していたのか、八月一日は静かに立ち上がるとまっすぐに真剣な眼差しを舞鶴に向けた。
「舞鶴さんの意見ももっともだ。部室が他の世界に行くまでの間だけの水分供給源では、去った後が悲惨なことになる。だけど…だから、もっと根本的に水問題を解決しようと思うんだ」
「え?そんなこと出来るの?」
「出来る。いや、断言はちょっと出来ないんだけど、俺は皆が来るより少しばかりこの世界に長くいるからこの世界の状況を良く分かっているつもりだ。あてはある、とだけ言っておくね」
「アコン、俺も行く」
「駄目だよナガレ。…君は少なくとも今日一日は、ゆっくり休んで。ね?」
黙って自分の力で何とかしようとするのは八月一日の悪い癖。一人にすると無理をする。それが分かっているから自分もと立ち上がった鷹司だったが、考える時間も持たずに断られてしまった。少しばかりショックを感じて力なくストンと再び椅子に座るのを申し訳無さそうに見ながらも、八月一日は船長へ手を伸ばした。差し出された手と八月一日の顔を交互に見比べていたら、軽く手を振って握手を求めるようなその動作をしつつ船長に歩み寄る。
「見て。俺の考え。今から行くところがあるからこの先は船長、君から説明しておいて貰えると助かる」
「…分かった」
そしてそっと囁かれた言葉に、小さくうなづいてから手を握った。そして怪しまれないように軽く振って本当に握手をした後そのまま出入り口に向かう。
「アコン!…やっぱ俺…」
「大丈夫。すぐ来る。またすぐ来るから。…良い?領主アルトゥーロは俺が何とかしてこの街トロアリーヤの外に連れ出す。だからその間になるべく多く水をバラまいて、エネルギーをためておくんだよ」
「…何するつもりだ?」
「危ないことじゃないよ。ただ、友好の架け橋になるだけ。…大丈夫。大丈夫だから」
何度も大丈夫を繰り返し、これ以上追い縋られる前にとまるで逃げるように部室を出て行ってしまった。後を追おうとした鷹司だったが、しまりきる前にドアノブを掴もうとした鷹司の手は横から伸びてきた船長によって止められてしまう。振り払うように手を大きく振れば、簡単に離れていく船長の手。
「離せ!」
「…分かった」
僅か数秒。
八月一日と同じ顔、同じ声の彼と見つめあった後、鷹司は外へと飛び出した。慌てて舞鶴も後を追い外へ出たが、既に彼の姿はなかった。




