03-61 失
先ほどあがってきた階段をアルトゥーロの後に続いて再び下りていく鷹司。下では誰かが降りてくる気配を察知したのか、先ほどは階段に腰掛けるようにしていたシンが立ち上がって、降りてくるためのスペースをあけて待っていた。
「シン、お前の処刑人が決定した。現主の1人だ。…嬉しいだろう?」
一番下までやってくるとアルトゥーロはシンに向かってそう声をかけて、持っていた剣を一度見せびらかすようにかざしてから鷹司に手渡す。シンはそれを見て嬉しいと言うよりは申し訳なさそうに眉を寄せて僅かに顔を伏せた。まるで「そういう決断をしたんですね」とでも言うかのような物悲しげな表情に、思わず鷹司は視線をはずして小さく息を吐き出す。
今だって、シンを助けられるなら助けてやりたい。だが、窓が無い地下室、シンと知り合いではあっても考えが違う人たちに囲まれて、誰にも気づかれず、なおかつ怪我もさせずに脱出するのは困難を極める。
それにさらに、助けたいと思っているシン本人に助かりたいという思いが見られない。ぎりぎりまであきらめたくは無かったが、どうにもできないこの現状に“ギリッ”と渡された剣を握り締めた。
「お前、確か…ナガレといったか。刑執行前に少しシンと話がしたい。すぐ済むし別に秘密にしたいことではないから其処に居てもかまわないが、気持ちを落ち着かせたいなら一度上へ行っていても構わんぞ」
鷹司のほうへ顔を向けることもせずそう言ったアルトゥーロ。一応無言でうなづいて見せたが、もう一度上に上がってしまったら再び降りてくることができなくなりそうだと判断して、彼らの会話に耳を傾けることにした。
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「…っ」
一人ガスパールの傍に残っていた草加は抑えてもとまらない出血にかなりあせっていた。首元であるためにきつく抑えることは出来ないし、かといって少しでも手を緩めればあっという間に血が噴出す。最初のほうは血を直接触れないようにと気をつけていたが、今となってはそんな些細な事に気を配っている暇もなく、真っ赤に両手をぬらしながら苦しげに呼吸を繰り返す彼の首を押さえていた。
「何とかしなくちゃ。何とか…」
あたりをキョロキョロと見渡しても、薄暗い月の灯りの下に使えそうなものは見当たらない。焦る草加をまるであざ笑うかのように、夜風がスイッと吹き抜けた。視線を落とせば青白い顔を血で真っ赤に汚したガスパール、もういっそのこと楽にしてあげたほうが彼のために良いのではないかという考えすら浮かぶほど。だが、彼はまだ暖かい。目の前で知り合いを死なせたく無いという思いは強いが、その思いに力が及ばすに自然と涙が滲んだ。
「草加君!」
「…月野先輩」
名を呼ばれてはじかれるように顔を上げる。先ほどまで一緒にいた相手だ、顔を見なくても誰だかすぐにわかる。力では運動部である草加の方が強いと自覚していたが、心が折れそうな今そばに知り合いがいてくれるのがとても心強かった。だが、彼女が連れてきたもう1人に気付いて思わず驚いてしまう。
「あ…れ、猫柳…先輩?」
「あぁ、良かったリヒト。君もここに居たんだね!お店で待っていたのに帰ってこないから心配してたんだよ」
「あ。す、すいません」
「いいんだ。色々あってナガレと此処に来たら、マッサージ屋の人間がどうやらここに居るらしいって聞いて…あぁ、再会を喜びたいところだけど、まずはガスパールさんを何とかしないと…」
一緒に来たという鷹司の姿が見えないことに草加が不思議そうな顔をしたのがわかったのだろう。詳細は後にして、最優先事項へと意識を向けた。
「容態は?」
「…悪くなってる一方だと思います。傷が深いせいで血がなかなか止まらなくて」
「止血剤代わりになりそうな薬は用意したんやけど、まずは大きな傷口を何とかせんとあかんてなって…」
殺すつもりで一撃を放ったなら、今ガスパールが生きているほうが奇跡なのだろう。傷口を縫おうにも針になりそうな物も使えそうな糸も無い。何度も草加がしていたように猫柳もあたりを見渡してから、1つのものに目を留めた。この家を囲う門、そこに掲げられて辺りを朱色に照らしだす…
「…仕方ない、焼いて傷口をふさぐしかない」
「焼く!?…まさか、火で、ですか?」
「ほかに血が止められそうな手段を思いつかないんだ。…針が無ければ糸もない。何もしなければ死んでしまう!」
一度傷口を押さえている草加を一瞥したが、彼に頼むくらいならと猫柳は自分で門のほうまで走っていく。赤々と燃える炎は松明かと思われたが、この世界特有の固形燃料のようなものが炎をまとっているものだった。直接つかむには持てる場所が無く、熱すぎて手が出ない。若干イライラしながら再びあたりを見渡すと、この世界では珍しい木材が転がっているのが見えた。何故こんな所に?なんて思うより先にそちらへ走り、適当な大きさの木を1本拝借、そして再び戻ってきて火をつける。
「よし…よしよし、これで何とかなってくれれば…」
そしてその炎を片手に再び走って戻り、ガスパールの傍に膝をついた。真っ赤にぬれている首元を見て、それを抑えている草加の手を見て。そして視線を上げて2人の顔を見渡す。
「…。じゃあ、僕が当てるから、リヒトは…」
「まって、そのままやと危ないわ。せめて火を消してからにせんと」
「え…でも月野ちゃん火がないと…」
「熱で傷口を焼くいうんは分かってる。けど、揺れる炎がついたままやと、思いもよらん場所に飛び火するかもしれんやろ?」
「あ。た、確かに…」
「木が燃える温度は、確か400℃からやったはず。なら、火が消えた直後なら、同じ効果が望めるはずや。それに、灰には多少なり洗浄効果もあるさかい、消毒の変わりになるかもしれんし」
「そっちのほうが安全ですね。…大丈夫ですか?猫柳先輩。なんなら僕が変わりますよ」
「…いや、大丈夫。僕がやる」
「なら、合図してください。そうしたら手をどかすので」
「…フー。…よし、いくよ」
鷹司の真似じゃないけれど、やりたくなくても年下の2人には任せられないという意識が勝り、施術役を引き受けた。一度深呼吸をしてから合図を出して開始する。
あたりに不快な焦げた臭いが漂い始め、思わず月野は顔を背けた。
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「うん。これで一応はできることは終わったな」
あの後、精根尽き果てた様子の猫柳と草加に変わり、月野が傷口に薬を塗って布を巻いた。依然として野外での施術だったが、この後は何処か安静に出来る場所で寝かせたい。そう思いながらガスパールを見る。
顔色は悪い。正直言って、弱弱しくも胸が上下していなければ、死んでいると思うだろう。腕の骨折には再び木材を拝借し当て木をして固定。頭部の傷は出血がひどかったから心配したが、圧迫を続けているうちに血は止まっていたようだった。頭は小さな傷でも大げさに出血することがあるので、傷自体はたいしたことがないと思いたい。だが、もしどこかに強打していたりして脳のほうにダメージがあったら自分達では何も出来ない。
「…ウチ、もう一度部屋使えんか、見てくるわ。2人は…少し休んでてな?」
2人の様子を確認してからそう声をかけて月野は立ち上がった。果たして自分達の判断は正しかったのだろうか。
傷が深いならば、内部も縫合しないと気管に入ってしまうかもしれない。とりあえず今は呼吸が出来ているようだけれど、いつ容態が急変してもおかしくは無い。だが、医療器具もない、知識も無い、技術もない現時点では、最高のパフォーマンスであったと信じたい。
建物の中に走っていく月野を見送って、地面に座ったままで猫柳はボケーっと空を見上げた。ガスパールからは少し離れ、彼には背を向けている。本当は傍に居たほうがいいのだが、今はちょっと心に休憩がほしかった。
「…大丈夫かな…」
思わずポツリとつぶやいた言葉に、同じく疲れた様子で猫柳と一緒に地面に座り込み、手についた血の汚れを自分の服の上にまとっていた布で必死に落としている草加が顔を上げて猫柳を見た。
「何がですか?」
「えっとね、実は…あ!そうだ!ガスパールさんが助かるかもって言って来なきゃ!」
放心していたせいで忘れていた。
ガスパールを助けたいと思ったのは何も良心からだけではなかったのだ。慌てて立ち上がった猫柳だったが、走り出そうとしたときに扉が開き、鷹司が出てきたのを見てピタリととまった。
彼の服もまた、赤く汚れている。
「…ナガレ…終わっちゃったの?」
「…」
猫柳の問いかけには答えずに、鷹司は深く息を吐き出した。
それを見てすべてを悟った猫柳が、思わず襟首をつかむ勢いで突っ掛かる。
「なんで…どうしてさ!ガスパールさんを救う事が出来たかもしれないのに!」
「猫柳先輩!…いきなりどうしたんですか、落ち着いてください!」
慌てたのは状況が分からない草加だ。間に入るようにして猫柳を止める。彼自身も鷹司が悪いわけではないと分かっているのに、今は気持ちが追いつかなかった。その事が分かっているとでも言うかのように、鷹司は取り乱す猫柳に食って掛かろうとはしなかった。そして静かに口を開く。
「何処だ?」
「…は?何が?」
「ガスパール、此処で見てたんだばねぇの?」
「え?…彼ならそこに…あれ!?」
振り返った2人は思わず動きを止めた。
月野が去って数分も経っていない。
誰かが来て運んだならば気付いたはずだ。そして、彼自身が動くには重症すぎる。
地面には出血した証である大きな血溜まり。散々活用した木材の破片と、月野が用意した薬の数々。
だが、あるべきはずのガスパールの身体だけがそこには無かった。




