03-49 伸るか反るか
「ん…」
フッと眼をあけると、飛び込んできたのは暗い土色。ぼんやりとそれを眺めていたが、鼻をくすぐる土のにおいに『あぁ、自分は地面にうつぶせになっているのだな』と理解した。
何故此処に居るんだっけ?そう考えて自分の記憶を探ってみる。まず自分は闘技場に居た。チームの方針で負けるという役目を完璧…とは言えないかもしれないけれど、こなしてきた。
その結果腕輪は3つに減ったけれど、確かその後何かが…
「はっ!」
大会がひと段落するまでは、闘技場に居たほうが安全だと聞いていたのだが、月野が危険といわれてそこを離れた。部室まで戻ってきて、その後…
「あれ、此処は…」
やっと直前の事を思い出して、草加は身体を起こそうと地面に手をついた。覚えているのは、部室付近に居た怪しい人影を追いかけて走り、曲がり角を曲がった…と思われる箇所まで。そこからブツリと記憶が途切れ、首を振ってあたりを見渡してみても今現在の自分が居る場所が良く分からない。とりあえず屋根があり、壁もあるという事はどこかの建物の中なのかもしれないが、仲間が回収してくれて此処が屋敷であったなら、地面に転がってるという事は考えにくい。うぬぼれでは無いけれど、ちゃんと寝床に運んでくれる位には親しい間柄のはずだ。
「やっと眼が覚めたか。気分はどうだ?随分と…良く眠っていたように見えたが」
「えっ…」
暗い部屋に明かりは無く、誰かが傍に居るなんて分からなかった。まるで闇に解けるかのような落ち着いた男性の声にびっくりして肩を震わせて声のしたほうを振り返ると、そこに居たのは黒い布をまるでフード付きローブのように身にまとい、素顔を隠した人影があった。部屋の壁に寄りかかって地面に座っていたその姿が夜の闇に溶けかけて気付けなかったのも原因のひとつだろう。
「だ、大丈夫です。それより…此処は?…それと、あなたは…あっ!そうだ、シン君…眼帯奴隷の男性が一緒に居たはずなんですけど、知りませんか!?」
「落ち着け落ち着け。とりあえず、お前と一緒にいた眼帯奴隷とは一度会っている。同じ人間を指しているかは分からないが、たぶん大丈夫だろう。意識もはっきりしているな」
ぼんやりとしていて気付かなかったが、黒い布の人はナイフを鞘から抜いて手入れをしていたようだ。素材のせいか、意図的に染色したのかわからないが、真っ黒な刀身は僅かな光を反射して鈍く光を放っている。しかし意識を取り戻した草加に視線を移し、何かの荷物に据わっていた状態から立ち上がると布のしたにあるらしい鞘に“カチン”と小さな音をさせておさめると、顔色をうかがうかのように少し身を乗り出すが、こちらが顔を確認するまえに身を引いてしまい立ち上がった。草加を心配するようなことを言ってくれているが、相手はいったい誰なのだろうか。頭がはっきりしてくると、目の前の知らない人物を警戒するべきか否かと思考を巡らせて、フッと視線を足元に落とす。するとまるで心を読んだかのような言葉が投げかけられた。
「警戒するなら顔を背けるな。できるだけ視線を向けていろ。そうすれば相手はお前に見られていると勘違いする。やましい気持ちがあったなら、それだけで牽制できるものさ。…さて、体に異常がないならつて来い。お前の連れが待ってるぞ」
地面に倒れていて、腕をついて上体を起こした状態の草加は、立ち上がって見下ろしている相手の言葉にパッと顔を上げて視線を向けた。薄暗い部屋の中、黒い衣服が彼をよりいっそう見づらくしている。こちらを見下ろすフードの下の眼光が、キラリと光ったような気がした。だが、その瞳の色が朱色だとは気付かない。
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時折背後をついてくる草加を気にしながらも暗い廊下をズンズンと歩きながら、アルトゥーロは少し前の出来事に思いをはせていた。
少し脅してみたりもしたけれど、結局シンは何もしゃべらなかった。
しゃべろうかどうしようか迷っている様子ではなく『これは絶対に話せない』といった感じで、決して口を開こうとはしなかったのだ。こうなると彼から情報を引き出すのは不可能に等しい。朱眼の力が効かないことがこんなにもじれったく、少しだけ嬉しくも感じた。
「あ、あの、ここはいったいどういった施設…いや、家?…なんですか?」
思い出し笑いをしていたところ、後ろから声がかけられた。ハッとして意識を戻すと、廊下で立ち止まってくるりと振り返る。すると、思いのほか早歩きだったのか、小走りだった彼がぶつかりそうになって慌てて立ち止まった。
「…えっと、いまいち状況がわからないのですが、助けてもらった…って解釈していいのですか?」
「そうだ、と言えば信じるか?」
「え?」
「お前を攫ったのは俺たちだ、とも言ったら、お前はどちらを信じる?」
「…さらった…まさか、本当に?」
確かに、アルトゥーロは今現在草加に対して敵意を向けてはいない。正体がばれないように顔も隠しているから、あまり怖くも感じないのかもしれない。
だが、目が覚めて、知らない場所に知らない人と2人だけ。この状況で、ここまで相手を信じようとすることが出来る人間がいただろうか?
この場所の人間は、気を抜くと狩られる立場に成り下がる。ゆえにあまり他人を信用しない傾向にあるのだが、シンが見初めた新しい主たちは、バカがつくほどお人よしなのか、それとも正真正銘のアホなのか、今の段階では判断できない。警戒しているのかもしれないが、それよりも不安の色が濃く見て取れると、こいつはどれだけ安全な場所で気心知れた仲間と生きてきたのか、と意味もなくイラついてきてしまう。
誘拐されるという事がどういうことか。
脅迫するための文章を、この世界は持っていない。文字が無いから。
身を保障できそうな金品も、この世界ではあまり意味が無い。お金が無いから。
家族だという証明になるものもこの世界には存在しない。名前はあっても苗字が無いから。
さらわれたらそれで終わり。
よくて奴隷にされるか、悪いと殺される事もある。女性だったらおもちゃにされて、きっと壊れるまで逃げられないだろう。
「信じる信じないはお前の勝手だ。だが、俺はお前を殺す事が出来る。それだけは覚えておけ」
危機感のかけらも感じられない相手に、これくらいの脅しは掛けておいても損は無いだろう。何かあったときに困るのは自分ではない。
そしてまた廊下を歩き出す。
ところどころに空けられた明り取り代わりの小さい窓から月の光が差し込んでいて、アルトゥーロにとっては普通の光景なのだけれど、蛍光灯や、明るい光に慣れてしまっている草加にとってはそうではなかった。スタスタと歩いていく黒い背中を見失わないように、しかしどこか危ない足取りでついてくる草加を、立ち止まって待とうかとも考えたがやめた。
「これから、俺達は大きな仕事に取り掛かる。そこで、お前に選択肢を与えよう」
「選択肢?」
今まで質問をしても答えがキチンと返ってきたためしがない。そのために『仕事とは何なのか』と一番気になった事よりも、話の流れを折らない形で相槌を打つ草加。本当は名前ももう一度聞きたいけれど、此処はぐっと堪える。
「そうだ。この選択肢はお前の今後の人生を左右するかもしれない事柄だ。まずは1つめ。この後何も見なかった、聞かなかったこととして、仲間の待つ家に帰る」
「帰る…ということは、見逃してくれるって事ですか?」
「まぁ、そういう事だな。次に、俺達の仕事に参加し、俺達を手伝う」
僅かに歩く速度は遅くなったが足は止めないまま、背後に居る草加に見えるように左手を上げて親指を立てた。草加は『何サムズアップしてるんだ?』と疑問に思ったが、次の選択肢を言う場面で人差し指を立てた事から、これがこの世界の指で数字を表す方法なんだろうと推測する。
「仕事…先ほどから疑問でしたが、仕事、とは具体的に何を?」
「人殺しだ」
「え、嫌ですよ!」
「人探しもする」
「でも…主に殺す、お仕事なんですか?」
「まぁ、そうだ。…嫌だ、って顔してるな」
絶対にNOだ。人殺しなんて、平和な世界で生きてきた草加には出来ない。
そんな考えが顔に出ていたのだろう。肩越しに振り返っていたアルトゥーロに見破られて、気まずそうに視線をさまよわせる。
「心配するな。今回は一応、人探しだ。だいいち、俺はお前を知らな過ぎる。武器を持たせて万が一があったら困るだろ。だから殺しはさせないよ」
「けど…いや、ならば最初からそういってくださいよ」
かといって引き受けるかは別だけれど。
いまさらながら、強要しない相手に、やはり優しい相手なのでは、と感じ始めて彷徨っていた視線を男の背中に戻した。完全に前を向いた相手の顔は当然ながら見る事が出来ない。だが、お互いにお互いを知らない現状で、草加に背中を簡単に見せるというのはどうなのだろうか?
やはり、やはり。彼は何か…
「そうだ。言い忘れていたが、この作戦には眼帯奴隷のシンが参加している」
「えっ!?」
「お前の知ってる奴隷と同じやつかは分からないが、俺がお前に会ったときに傍にいた男だ」
「シン…何故彼が!?まさか強制的に従わせたんですか!?だったら僕は…」
「『僕は』なんだ?俺を殺すか?言っておくが強制してないぜ」
「でも…なら、何でこんな…」
やや激しくなってきた言い合いの最中。アルトゥーロはやっと足を止めて草加に向き直った。幾分か眼が慣れていた草加も、今回は危なげなく立ち止まり、布と布の影に隠れて直視できない瞳がある部分をにらむように見つめる。
「ターゲットが反抗軍だからだ。やつらの手中には、あいつの仲間が居る可能性が、あるらしい」
「反抗軍…え、ちょっとまって。仲間…僕達の仲間?…って、もしかして…」
月野の名前を出しかけて、口をつぐんだ。
おそらく月野がさらわれた相手を、彼は知っている様子。まだ姿を確認していないが、シンもそれを信じて参加を決めたらしい。
彼は草加にこう問うて居るのだ。
『仲間を見捨てて家に帰るか、仲間のために人を殺すか』
正確には人探しだと言っているけど、突然の事にテンパッて頭が真っ白になった草加には、究極の2択に感じられた。心の内側であせっているその様子に、アルトゥーロの唯一見える口元はゆっくりと弧を描き笑みを作った。




