03-45 能力?
突然目の前から彼がいなくなった時。
最初は信じられなかった。
自分から逃れられる奴がいるなんて考えた事なかったし、彼が自分から逃げるとも思っていなかった。
それだけ自分の力に自信があったし、彼には自分に頼るしか生きる道が無いと思っていた。だがそれは、ただの傲慢に過ぎなかったという事だろう。
自分の瞳をまっすぐに見つめて話を返してくれる彼、眼帯奴隷のシンはある日突然姿を消した。
正確に言えば、いつか居なくなると言っていたのだが、それを本気にしていなかった自分にも悪いところはある。
なぜならば、相手は眼帯奴隷だ。鎖でつなぐ事が出来る身分。逃がしたくないなら閉じ込めてしまう事も許される相手。でもそれをしなかった。やっぱり彼は逃げないだろうと言う考えが、少なからずあったから。
そう。
やはり自分は少なからず傲慢であったという事だ。
「お前が姿をくらましてから…どれくらいたつかな?本当はすぐに帰ってくると思っていたんだよ。でもまさか、本当に別の人間に仕えているとは…正直言って驚いたね」
「…っ」
「あぁ。そうだ。逃げる事が出来たなら、自由にしてやると約束した。逃がさないように、逃げないように。囲い込もうとすればそれが出来た。でもそうしなかった。お前には出来ないと思っていたし、きっと逃げないと高をくくっていたさ。何せ俺は、思い通りにならない事なんて無かったからな。…居なくなったときは、正直言って裏切られた気がして、悲しかったんだぞ?」
「自分…は…」
いつか前に話したこと。
屋敷から逃げる事が出来たならば自由にしてくれ。その約束は現時点では守られている。
調子の変わらない声色で『悲しかった』と言われても、冗談を言っているようにしか聞こえないけれど。変な事は返せない。何をどうするべきか。黙ってこの場を去るのも考えたが、草加を放置できない。1人だったら逃げ切る自信があるが、草加を担ごうとした時点できっとアルトゥーロは動くだろう。
距離は数歩程度しかあいていない。草加を担ぎあげるより、アルトゥーロの手が伸びるほうが早い。
まっすぐに視線が交差したまま、流れる沈黙に耐えかねたようにアルトゥーロが懐に手を入れた。現代なら『チャカ!?』と警戒する場面だが、この世界ではそんな武器は存在しない。普通に何を取り出すのだろうと視線を向けると、こぶしを握った状態で服から手が抜かれた。
「…これ、見覚えあるだろう?…いや、近すぎて見た事は…無いのかもしれないな」
そういって親指と人差し指でソレを挟んで、低い位置に居るシンの頭上に掲げるように手を伸ばした。
最初は「何だ?」と眉を寄せたシンだったが、ソレが青く輝く丸い石であると分かるとスッと視線を落とす。
すると、その視線を追いかけるように、アルトゥーロが石をポトリと地面に落とした。まるで計算したかのようにコロコロと転がってシンの身体にあたり、跳ね返る。その位置はちょうど、落とした視線の先に当たり、再び視界に入ってきた石を今度はまじまじと見つめた。
見覚えがあるかといわれればあるような、無いような。だが、同じようなものを一度見た事があるな、とは思った。ソレは義眼の変わりにつぶされた眼に入っていた石。モロンに賄賂代わりに渡したのだから、彼と接点があるアルトゥーロにわたっていてもおかしくは無い。
だが、これがあれと同じものなのか、ソレは自分にも分からない。
所有していた時間は長いが、彼が言ったように近すぎて見る事が出来なかったからだ。
「俺の場所に居たころよりも、髪色はくすんで…前は真っ白だったが今は色味が出ているようだ。瞳の色も、綺麗な青に合わせてこの石を作ったはずだが…今のお前の目とは合わないな」
そういいながら僅か数歩の距離を縮めてすぐそばに寄って来るアルトゥーロ。思わず身構えて、ひねっただけだった身体を戻して正面から彼と対峙するが、背後に草加が居るためにこれ以上は下がれない。
そんな警戒しているような様子を見せるシンを気にすることなく、そばによったアルトゥーロはそっと身をかがめて手を伸ばした。避けようと身を引くと彼の視線がチラリと草加に向くのが分かる。
何をすると言った訳ではないのだけれど、それだけで抵抗が出来なくなってしまった。
そして眼帯に触れると、その上からそっと眼をなぞる。
「やはりあるね。つぶしたはずの片目が。それとも…今の主に眼をもらったのか?」
「それは…」
いつまでも無言ではまずいだろう。そう思って口を開くが、先をつなげる前にアルトゥーロが乱暴に眼帯をむしりとってしまった。
“バチン”
と痛そうな音を響かせて眼帯の紐が引きちぎれ、シンの素顔があらわになる。思わず顔を背けるが、それを許さないアルトゥーロの手がシンの頭をがっちりホールドした。
「…綺麗な双眼だ。まだ一応、青色が強いかな。…なぁ、シンよ。教えてくれ。奪われたはずの瞳を取り戻し、髪色だけならまだしも、瞳の色まで変化させてみせ、そして俺の命令に拒む事が出来る。その方法を」
シンの顔には眼をえぐられた際に出来た傷が残っている。だが、それで奪われたはずの眼は、その場におさまってた。
最初は人違いかとも思った。他人の空似…にしては似すぎている気がしないでもないのだが。
だが、数日の観察で彼がシン本人であるとアルトゥーロは判断した。それほどまでに似ていたし、似ている事が分かるほど傍にいたのだ。
ゆえに気になる。失われた肉体を取り戻し、簡単にはまねの出来ない変貌を遂げた彼。僅かな変化ではあるが、もしも自分の瞳の色が変えられたら…と思わずにはいられない。
そこで1つの推測を立てた。
アルトゥーロが朱眼の魔王として恐れられているように、シンにも何かしら、特別な力を持っている人間なのではないのか。
青白い月明かりの下で、くすんだ髪色は白銀に輝いている。
夜の闇に溶け込んで、瞳の色も、この距離でなければ紫色が混じっている事には気付かない。
あの日居なくなった彼が、やっと帰ってきたような感覚を覚えながらも、アルトゥーロはその喜びを胸にしまい隠した。
「さぁ、答えろ。俺を見た第一声が『ご主人』だった。いまさら人違いだとは言わせないぞ」
さて。
此処までは自由が守られていた。
それはアルトゥーロが約束を守っていてくれていたのか、シンを見失って追う事が出来なかったのか定かではないが。
これは慎重に答えなくてはいけない。シンはこちらを見つめるアルトゥーロを若干にらむように見つめ返しながら、小さく息を吐き出した。
**********
先ほど居た家から数件隣の小さい家に移動したシェイラとモロン。
誘拐が発生したという新鮮な情報に部下を動かして夜の街へ送り出し、自分達は土で作られたテーブル代わりの段差の天面を削ったり、小石を配置したりして作られた簡単な地図を見ていた。
「あの眼帯奴隷と鉢合わせたのはあの店の近くだったんだろ?」
「そうネ。マッサージ屋さんヨ。出会ってから主の彼を拉致って来たから「先ほど」の言葉が嘘で無いなら居なくなったのはあの辺りネ」
「じゃあ、あそこら辺に配置しといたやつらが何か見てるかもしれないな。とりあえず指示は出した。報告待ちだ」
中心部に近いマッサージ屋があるところへ白い石を置いたモロンは腕を組んで近くのいすを引き寄せた。
「今回も先を越されたネ?せっかく私が近づいたのに。途中でいきなり仕事押し付けるから、こういうことになるヨ」
「五月蝿いな。要注意人物が接触してたんだ、怪しむのは当然だろ」
「けど我慢できずに先走ったヨ。ボスは短気、これ短所ネ」
モロンが先日夜に奇襲をかけた事を指していると分かって苦い顔をした。これは内々に進めていた事で、知られていると思っていなかったのだ。
モロンはガスパールが怪しいな、と思っていた。新参者のマッサージ屋メンバーには当然分からない事なのだが、たびたび起こる失踪事件の周囲にガスパールの姿があることが何度かあったからだ。ただ、親しくなった相手が居なくなって、悲しんでいるという姿を多く見たので、自分達の掃除による失踪者に、知り合いが多くいたのかどうかが良く分からなかった。
掃除で排除される対象者は多くが奴隷から選ばれて、あまり『人』である事を意識していなかったせいもある。
そしてあの襲撃は別に襲おうと思って向かわせた訳ではなかった。
彼が何をしているのか。本当に無関係であるのかを探ってほしかった。だが、それも失敗に終わったわけだけど。
「まだあのグループが白と決まったわけじゃねぇぞ。自作自演って事もある。気を抜くな」
「はいはいヨ」
軽い調子で返事をするシェイラを少しにらんだが、モロンはすぐに視線を目の前の地図に落とした。ちょうどそのタイミングでやってきた部下に声をかけられて、そちらへ移動していく。そして報告を聞きはじめたその様子を一瞥してから、シェイラは1人地図に視線を落とす。
彼女自身はシンの素性を知っているため彼自体は怪しんでいなかったが…
「あぁ、駄目ね。誰も彼もが怪しく見えるわ」
ポツリとつぶやいた山の言葉は、誰に藻聞き取られる事なく闇に消えた。




