03-42 反魔王
薄暗い室内で、閉ざされた扉をじっと見つめている月野。
この部屋に窓はなく、家具らしい家具も無い。4方を土壁で囲まれている事しか分からないが、出るための扉が石を積み上げられた階段の上、天井部分にあることから、この部屋は地下室なんだろうな、と考えられる。
建てつけがいいのか夜なのか、扉の隙間から明かりが漏れることもなく、今の時間帯も分からない。
当然、ここに連れて来られてからどれくらい時間が経過しているかも分からなかった。
それでもただじっとここで座っているわけには行かない。
無駄な事と知りながら、壁に近寄って“トントン”とたたいて回る。もしここが地上に立てられているならば、壁の厚みが音で分かるかもしれないと思ったからだ。
…いや、出入り口が天井部にあることで既に『地下なんだろうな』と思ったばかり。
今の自分の行動はまったく意味の無いものだといえるだろう。
だが、気がついたらたった1人。
信じられると思った相手が実は怖い人だった。
座り込んでしまえば色々と考えてしまうだろう。
涙を堪えつつ気持ちをくじけさせないために、身体を動かしているしかなかったのだ。
「それにしても、結構大きな木の扉…やね。うちの玄関はツタを編んだようなやつやのに…。もしかして、結構良いとこのお宅なんやろか?」
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月野を閉じ込めた扉の上に椅子を置いて、完全にあかないようにし塞いでしまい、そのうえに座ってチビチビとお酒を飲んでいたガスパール。傍のテーブルに肘を置いて何かを考えるように視線は何処にも焦点があっていない。その白濁した液体の入った容器がある。それはこの世界のお酒で、アルコール度数は高くなく、正直言っておいしくないが、他の酒なんて無いのだから比べようも無いのだが。
「よう、ガスパール、調子はどうだ?」
お酒を飲んでいたガスパールに仲間の1人が声をかけた。黒い短髪に深い緑色の瞳をしたその人は、驚かせようとでも思ったのか近づくまで気配を察知されなかった。ガスパールが考え事をしていて気づかなかったのかもしれないが、声をかけられて思い出したかのように手を動かして酒を一度口に含み、飲み下す。
「悪くないよベナサール。いつもどおりだ」
チラリと一瞥してから淡々と返事を返すガスパール。
ベナサールと呼ばれた相手は近くの樽を引き寄せて傍に置き、自分も一緒に酒を飲もうとする。そのいすを引く音にあからさまに眉を寄せてしかめっ面をすると、ガスパールは軽く咳払いした後で地面を指差した。
下にあるのは地下への階段。
連れてきた人間が居て、自分は見張りをしている。
扉で仕切られているとはいえ、たった1枚の木の板が間にあるだけ。声が大きければ聞こえてしまうからしゃべる内容に注意しろ、という意味がこめられていた。
ガスパールと長い付き合いらしい相手は下を指差す動作だけで内容を理解し、軽く肩をすくめつつ頷いて空のコップをずずいと差し出す。軽く顎で指して『ついでくれ』と眼で訴えれば、こちらも慣れた様子であきれたように息を吐きながらも酒をついであげた。
「やっと連れてきたんだ。例の彼女」
「…まぁ」
「何不服そうな顔してんだよ。力を借りるって決めたのも、さらってくるって言って実行したのも君だろ?」
「そうだが…。まだ若い」
「若い?あの年齢まで生きられない子が何人居ると思ってんのさ。…って、正確な年齢は知らないけれど、自分の足で立って歩けて、自分の意思で行動できれば、それでもう生きるための条件は満たしているのさ。…そんな餓鬼どもの言動が正しいかどうかは別として、な」
半分くらいの量で酒を注ぐのをやめようとするガスパールに気づいて『もっと注げ』と視線で促し、会話しながらも並々と酒を注がせると、ニッカリと笑って口をつけた。そして何を言っても無言のままのガスパールに少しだけさびしそうに笑うと背もたれに身体を預ける。
「…思い出しちゃうの?」
「何をだ」
「分かってるくせに。…生きてれば、あれくらいだよね?…君の娘さん」
「…言うな。もう過去の事、既に忘れた」
「そんな事言うなよ。かわいそうじゃないか」
「生きてる人間が死人に縋って何になる?『あの時こうしていれば、ああしなければ、生きていれば、死ななければ』…嘆いたところで過去は変わらん。だが、嘆く事でその魂を縛りかねない。そうだろう?」
「もう次の命を生きているって…思ってるの?」
「そう願っているだけだ。死してなお、こんな愚かな父親の傍に居るくらいなら、すべてを忘れて別の人生を歩んでいた方が健全だ」
「…そして、君だけが縛られるんだね。…気持ちは分かるよ。私だって同じ、半身と呼べるパートナーを失ったわけだし。だけど…やっぱりそう簡単には忘れられない」
このグループは反魔王を掲げていいた。
トロアリーヤという住みやすい町は大変ありがたい事ではあるが、それでもそこで生きるには収容できる人数が少なすぎる。いや、人間が集まりすぎているのだ。広さではなく『得られる水』の量が原因だ。
ここに来たばかりの頃は『生きるために人数を減らす』というこの町の秘密を知らなかったし、知ったところでどうなるわけでもなかった。自分に決定権は無い。自分達が多くの犠牲の上に生きる権利を得ているという事が分かっただけ。
だが、切り捨てられる者として自分に刃が向けられたとき、このシステムはおかしいと強く思った。
当事者にならないと分からないなんて、どうかしていた。
それほどまでに砂漠での生活はつらかったのだ。
水が得られるならば。そう、自分さえよければ。そんな気持ちだったのだ。
きっとこの町で普通に生活できている人間には自分達の気持ちは理解されない。
長くこの場所で生活している人はほとんど排除の対象になっていないのも知っていた。だが、切り捨てる人間を眼帯奴隷や新参者等から多く選んでいたとしても、人間同士のつながりは何処にあるか分からない。
取捨選択をしていく中で、仲間を、同胞を、家族を、恋人を、切り捨てられて、亡くしてしまった人間が増えていった。そして次第に膨れていった不満は、今、こうして爆発しようとしている。
敏感なことに、ベナサールの笑顔の中に悲しみの色を見つけたガスパールはあっという間に空にしてしまった相手のコップに向けて酒の入った容器を軽く傾けた。
「あぁ、言い方が悪かった。…娘が居た事は忘れていない。生まれてきた瞬間や、すごした時間も忘れてはいない。だが、死んだということも、忘れては居ない。…もう後悔ばかりではいけないんだ。前を見なくては。これ以上無駄に人が死なないように。そうだろう?ベナサール」
「あぁ…そうだね」
返事をしながらベナサールは掲げられた酒の容器からおかわりをもらうべくコップを軽く持ち上げた。
そこに1杯目と同じくらいの酒をついであげれば、ベナサールは再び笑顔になった。
「まずは魔王をつぶして平等に発言できる場を用意する。そうだよね?」
「あぁ。だが、その第1歩がかなり難関なのだがな」
「あの魔王だもの。そう簡単にはいかないだろう。こちらの犠牲も、ゼロとは行かないだろうね。…で、その後で水問題を考えるの?」
「まさか。それでは遅すぎるだろう?…今のこの町は残酷なルールの上で成り立っているが、それで救われている命があるのもまた事実。同時進行で水問題は考えているが…これもまた難しい」
「そう、同時進行してるんだね。…でもそれなら彼女をさらってくるの早かったんじゃない?だってまだ全然解決策出てないだろう。砂漠を流れて旅していた時のような、朝露を集める方法は本当に微量な水しか取得できないし」
「魔王を倒すのは難しい。タイミングが大切で、1度訪れたチャンスが最初で最後かもしれない。それほどまでに難関だ。だから、魔王の暗殺は最優先で最重要な案件にした。事が成功した後、水問題が解決するまでは彼の所業を代行する。それしかない」
許せないルールではあるが、それに守られていたときもあったのだ。
現にこの町は魔王に守られ、にぎわっている。
朱眼の魔王、アルトゥーロ。
娘を奪われたガスパールだが、実を言うとアルトゥーロに強い恨みがあるわけではない。眼の力があるとはいえ、荒くれ者が多いこの町で安全な住処を守っているその手腕は凄いと思うし、いつからはじめたのか知らないが、このルールをひたすらに守ってきたその心の強さに男として惹かれるところもあった。
だが、彼とは対話が出来ない。
あの眼が無ければ、話が出来たかもしれない。
話し合いで解決できればそうしたかった。
あの力が無ければ、簡単に話しかけられたかもしれない。
助け合う事ができるならばそうしたいと思っていた。
だが、彼の持っている能力のせいで、平和的解決は無理だとメンバーのほとんどが理解していた。
だからこそ…
「魔王を殺す。速やかに」
「でも…所業を代行するって、それじゃあ君が今度は恨まれるじゃないか。魔王と違ってガスパール、君には朱眼や特別な力なんて無いんだよ?狙われでもしたら…」
「掃除をする人間を狙う人間が増えるという事は、この町のルールがおかしいと気付くやつが増えるって事だ。それに、俺ならば話し合いをしようと思ってくれる人間が出るかもしれないだろう?…このチームのメンバーも居るし、八百長だって仕組める」
「…もう決めたの?それでいいの?」
ベナサールが心配そうな瞳を向けるが、その中には希望の色のほうが色濃く出ているのが分かった。
あの力が無ければ、真っ向からぶつかっていけるのだ。だからこそ、魔王の排除が最優先事項なのだから。
だから、たとえ自分の死期を早め事になるのだとしても、ガスパールは心底うれしそうに笑って見せた。
「もちろんだとも」




