犠牲と撤退
レイとアヴィスの魔法の効果が消えると、レグルスは胸に刀を差したまま石畳へと着地する。
着地した拍子に刺さっていた刀は水晶へと変化すると、石畳へと澄んだ音を立てて落ちた。
「は……はは。真の名を思い出し、切り札が刀とはな……。その刀の名を聞こう」
レグルスは俯いたままアルビレオに刀の名前を問う。
“これは君の…… としての切り札だ。刀の名前は――君の名前と同じ意味の銘を付けた。大切にしてくれると私としても嬉しいよ。”
そう言ってくれた人は誰だったのか。少なくともレグルスではないとアルビレオは思ったのだが、声だけしか今は思い出せなかった。
「……鵠」
「鵠……良い名だ」
レグルスは一旦言葉を切り、顔を上げるとアルビレオへと身体の向きを変える。
レグルスの瞳が両目共に濃い紫へと変化しているのにアルビレオは気がついた。と同時にあれだけの攻撃を食らってもまだ片膝を付かない強靭さがある事に、アルビレオは驚愕するようにごくり。と喉を鳴らした。
レグルスはジャケットに付いた埃を軽く落とすような仕草をすると、レグルスの着ていた服や身体の傷があっという間に回復していく。
「どの悪夢か忘れてしまったと、先ほど言った言葉は撤回しよう。お前の切り札を見て私は一つの悪夢を思い出した。それは、最初のお前との戦いだ」
「あれはお前の一方的な勝ちじゃないのか」
アルビレオはレグルスの顔をじっと見つめたまま呟く。
「……いや。私とお前が拮抗する戦いだったさ。あの時の全身と血が滾る戦いをもう一度したいと……思っていたのだが、あれからお前がへっぽこすぎてなかなか私にたどり着けないと知った時は私は愕然としたがね」
レグルスはアルビレオを馬鹿にするような表情を見せると、槍を右手に持ちアルビレオへと近づいて行く。
「私はお前に何時会えるか指折り数えて待っていたんだ。この時を。この瞬間を」
レグルスはアルビレオの顎を掴むと上へと向かせる。
「今ここでぶっ壊したい。お前の悲鳴と血と肉体が引き裂かれる音を狂騒曲として奏でてやりたいぐらいに……!」
レグルスが言葉を紡ぐたびに彼の身体から狂気が靄のように流れてくるのを感じると、アルビレオはレグルスの腕を振り払い、咳き込んだ。
レグルスは振り払われた事には気にもせずに咳き込んだアルビレオをじっと見つめている。
「アル君! そこから離れて!」
前から掛かったオブシディアンの声と共に二つの影が同時に跳躍し、レグルスへと襲いかかろうと腕を前へと付きあげる。
離れて。と唐突に言われても、アルビレオは左右どちらに逃げたらいいのか判らずに勘で右へと転がるようにその場から離れた。
「Deus regit vitam et mortem. Da nobis in Pearl flumen audire votis vota nostra nunc」(生と死を司る神よ。今我らの願いに耳を傾け我らの願いを叶えたまえ)
「死神共よ、また私の邪魔をすると言うのか!」
レグルスはアルビレオから視線を外し振り返ると、右手に持った槍を両手に持ち石突きを石畳へと振り下ろす。
アベルとカインに憑いたオブシディアンとディアナは、それぞれ黒い布と一枚になった鉄扇を手に持つとレグルスの問いかけには答えずに次の言葉を紡いだ。
「Da nobis unum ultimum libro!」(我らに最後の一振りを与えよ!)
その言葉と共に黒い布と鉄扇は姿を変え、黒い光と白い光となってレグルスへと迫る。
だが、レグルスには直撃はしなかった。黒と白の光が直撃したのは――。
「アベル……君。カ……イン……君」
微笑みながらアベルとカインに向けて両手を伸ばすバルドルの姿だった。
水晶を纏っていた両手は先ほどの攻撃で粉々に砕かれ、無数の傷から血が宙へと弧を描く。バルドルから流れ出した血は、石畳の溝を伝い広場全体へと広がって行く。
みるみる内に身体がしぼんで行くバルドルを見たカインとアベルは、涙を流すと両目を閉じる。すると、彼等の内側から骸骨が二体飛び出してきてそれぞれ血に染まった石畳を転がると頭を押さえながら起き上った。
カインとアベルは死神を身体から追い出すと、両目を開けて皮と骨になったバルドルを抱きしめると大声で泣きはじめる。
「お前……何をしたんだ……」
目の前で起こった一瞬の出来事に思考が付いて行けずに、アルビレオはレグルスへと聞いた。
「何って見て判らない? さっきの君達と同じ事をして見せただけじゃないか」
「だからって……なんでバルドルさんなんだよ」
少し楽しそうに言ったレグルスの言葉に、アベルの言葉が割り込む。
「たまたまだよ。本当はここで盾にしたくなかったんだけどね。あまりにも死神共の攻撃が強くてさ……あの攻撃相殺するのに六十人もの魂を斬ったんだよ。君達はさ」
六十人という突飛な数字を聞いて、アルビレオは周りを見渡した。
(そういえば、さっきから観客の声が何も聞こえない……)
あれほど騒いでいたのにいつの間にか静かになっていた事に気が付いたアルビレオは、レグルスに向かって悔しそうな表情で見つめる。
「さっきの君の攻撃でも一人の魂を使ったから合計で六十一人か。にしてもサズって言う男はどれだけの魂を集めたのやら。そんなにこの『扉』を開けたかったのかね」
レグルスは両肩をすくめると、まだ開きっぱなしの『扉』へと視線を移した。
「この『扉』は死者を呼びよせるモノじゃないただの『扉』なのに。湖も血で染まってこれじゃあ本当に『冥府の扉』になっちゃうよ」
けらけらと笑い始めたレグルスに、泣いていたアベルが音も無く立ちあがった。
「ただの『扉』だと……! お前が言った言葉にサズさんはどれほど救われたか!」
「お前達の血縁ではないだろう。『おじいちゃん』と言う資格はお前達二人には無いはずだが。長い事連れ添って情でも湧いたのか」
アベルの言葉にあざ笑うように言ったレグルスに畳みかけるようにカインが口を開く。
「バルドルさんだって……お前の言ったあの一言で殺されなかったかもしれないのに!」
「だけど今殺されたじゃないか。お前達の……死神の手で。怨むなら死神にしろ」
『扉』から死神二人に視線を向けると、レグルスは槍の切っ先をオブシディアンへと向ける。
「相変ワラズ、口ハ達者ダナ。《アジン》」
「それは褒め言葉として受け取っていいのかな?」
この状況でも笑顔で居るレグルスにオブシディアンは皮肉を込めたつもりだったが、どうやら相手は気が付いていないようだった。
「はぁ。死神達のおかげで君への興が削がれちゃったよ。狂騒曲を奏でるのはまた今度にするかな」
大げさにため息を付いたレグルスに向かってアルビレオは一言吼えた。
「逃げれると思っているのかよ」
「逃げる? さっきも言ったけど、興が削がれたから帰るだけだよ。武器も槍しかないし。ああ、こんな事なら獅子王でも持ってくればよかったなぁ。それにこんなにも実力差を見せつけたのにまだ果敢に攻撃できるなんて、君達の粘り強さには私もお手上げだよ」
両肩をすくめたレグルスにアルビレオは、落ちている水晶を右手に召喚し鵠へと変化させるとレグルスへと真っ直ぐに走り近づいて行く。
レグルスは近づいてくるアルビレオに向けて、槍の石突きを石畳へと突くとランダムで召喚した街の人二人をけしかける。
二人は剣を手に迫ってくるアルビレオを認識すると、迎撃しようとそれぞれ剣を振り上げる。
「邪魔だ! お前ら!」
一人目の剣が振り下ろされる前に、アルビレオは刀を下から上へと切っ先は胴を薙ぎ、振り上げた両腕に滑らせるように斬って行く。一人目の両腕が大量の血と共に石畳に落ちて行くのをアルビレオは目で追いもせずに、二人目の持っていた剣の切っ先が視界に入ると、刀を上から下へと下げて剣の刃と刀の刃をかち合わせる。
かち合わせた反動を利用して、二人目の首を狙い刀の切っ先を閃かせる。
ぶしゃ。っと頭が離れた身体は血を吹きだしながら石畳へと倒れて行く。
「――やめて……もうやめてください! もうこれ以上街の人が殺されるのを見たくないんです!」
カインの絶叫に近い叫び声はアルビレオには聞こえていたが、心までには届いては居なかった。
二人の血を被ったアルビレオはそのまま刀を振り上げながら跳躍すると、レグルスへと切っ先を振り下げる。
ガツッと一瞬槍の持ち手に刃が当たったが、カランと音を立てて槍は二つに分かれ落ちる。アルビレオが顔を振り上げると、レグルスは黒い霧となり扉へと逃げている最中だった。
「まったく乱暴すぎるよ君は。それとも記憶を少し取り戻したら元の性格が蘇ったのかな? ……まぁいいや。その答えは今は言わなくていいよ。ここから出られたらまたいつか会えた時にでも答えを聞かせてよ」
黒い霧は『扉』に近づき一瞬人型になると、そんな捨て台詞を吐いて『扉』の中へと消えて行った。
アルビレオが「待て」と言う間もなく『扉』は勝手に閉まると、音を立てて崩壊した。
◇◆◇◆◇
『扉』が繋がっていた場所は一面黒で統一された小さな部屋だった。柱は四本あり、東西南北の壁にそれぞれ『扉』型の全身が映る鏡が設置してある。
その内の一つの『扉』から出て来た霧は、磨かれた黒いリノリウムの床で人型になると這うように前身する。
「どうだった……って口ではあんなに余裕だったのに、致命傷まで行かせるとは。さすが《アジン》いや、レグルス様のライバルだねぇ」
上から降って来た男の言葉にぎょっとした表情でレグルスは顔を上げた。
「《ドゥヴァ》……見ていたのか」
見上げた先に居たのは、茶色い髪色で歳は三十代ぐらいの男性が柱にもたれ掛かっている姿だった。
「あら、私も見ていましたわ」
柱の影から聞こえて来た若い女性の声もすると、レグルスはその場で立ち上がった。
「《トゥリー》も一緒だったか。俺の無様な姿を二人で笑っていたのかね?」
「笑う訳ありませんわ。……にしても、彼が真の名を思い出したのは予想外だと話していた所でしたの」
そう言いながら女性は車椅子の車輪を両腕で回すと、器用に柱を避けながら二人へと近づいて行く。女性は目が見えないようで、両目を固く閉じたままだ。
「……そうか。ならいいんだ」
二人の反応にほっとしたのか、レグルスは安堵のため息をついた後にその場にへたり込んだ。
「おい! 誰か来てくれ!」
《ドゥヴァ》はへたり込んだレグルスを見ると部屋の外に待機しているメイドを大声で呼び始めた。
◇◆◇◆◇