血まみれた『鍵』
とんっと軽い音と埃を立てながら広場の石畳みに着地したオブシディアンは掴んでいたアルの服を解放すると、尻もちをつくアルや街の人々の視線は気にせずにサズとドレスを着た紅髪の人物へと近づいて行く。
「ちょっと! そこのお兄さん。近づいたら危ないよ」
司会をしていた男性は親切心でオブシディアンに声を掛けたのだが、返事はなかった。
「その『扉』で誰を生き返らせようとしているのですか」
オブシディアンの黒い虹彩は真っ直ぐにサズへと向けられている。
「おぬしには言わなくても判っているのではないかね?」
サズは立ち止り振り返ると、茶色の目でオブシディアンの視線を受け止める。
その間にも紅い髪の人物は『扉』へと近づいて行く。
「もう少しだ。もう少しで我々の願いが叶う! 時の止まったこの街でこの瞬間を夢見て生きて来たのだ。何百年、何千年……我等がどれだけの時間を失ったかも解らぬ者達に想いなど言い聞かせたとて解りはしまい」
サズは頭を振ってアルとオブシディアンの二人を見つめる。
「それとも、あやつの換わりに『扉』を開く『鍵』となるか?」
音も無くサズの視線が鋭くなる。
「レイ……レイなんだろう? 何でオレ達に顔を向けてくれないんだよ……それに、『鍵』ってなんだよ! なぁオブシディアン説明してくれよ!」
アルは紅い髪の人物に向かって叫ぶと、次にオブシディアンに喰ってかかろうと立ち上がり彼の胸ぐらのシャツを掴んだ。
オブシディアンはアルがシャツを掴む事にたいして一瞬不快な表情を表わすと、反対にアルの胸を右手で強く叩く。
その不意の行動に動揺したのか、アルはオブシディアンのシャツを放した。
「心配無い。あやつにはすぐにでも会えるだろう。この世界の狭間でな」
サズは手に持っていた黒い日傘を一回転させると傘は一瞬にして槍へと変化し、『扉』の前に居る人物の胸へと投げつけた。
ばしゃん。
槍が刺さった人物は、そのまま倒れて湖の底へと沈んで行く。
「レイ!」
アルは彼の名を叫びながら、今まさに湖に飛び込んだ場所へと走り近づこうとした。だがアルがその場所にたどり着く事はなかった。それはオブシディアンにより腕を掴まれたからだ。
『扉』がゆっくりと外側に向かって開きはじめると、振動で湖の水面は時化たように荒れ狂う。
時化た波が『扉』にぶつかると、湖に沈んでいた『レイ』が空中へと放り投げられる。
『レイ』は空中へ放り投げられた状態からネコの様に素早く着地態勢を整えると石畳に降り立つ。ずぶ濡れの全身など気にしない様子で胸に刺さった槍を自らの手で引き抜いた。
純白のドレスがさらに紅く染まり、ドレスから滴る水滴は点々と石畳に染みを作る。
「おぉ……フリッグ」
サズが細い目をひときわ大きく見開き、目の前に居る『レイ』に向かって手を伸ばす。
「父さん!」
『レイ』の異変に最初に気がついたバルドルは、手のひらを『レイ』に向けると何か呪文を唱える。するとサズと『レイ』の間にバルドルと同じ動作をしている全身透明なマネキンが一体現れる。
『レイ』は手に持った槍の切っ先を躊躇なく前へと付きだした。
槍はマネキンの手のひらをすり抜けると胴体を通り抜け、背中から食い破るように出るとサズの心臓を捉え貫く。
「――」
心臓を槍に貫かれてもなお、サズは己の血で染まった『レイ』の頬を撫でようと右手を伸ばす。
活動限界だったのか赤く染まったマネキンは澄んだ音を立てて虚空へと煌きを残しながら消える。
マネキンが消えた事で、サズの身体に深く槍が食い込む。
石畳に血だまりがじわじわと面積を広げるのと、サズの上げた右薬指が『レイ』の頬に当たるのは同時だった。
「……、……。」
サズは『レイ』に微笑むと右腕が力なく下され右手が血だまりへと落ちる。
『レイ』は目の前で死んだサズの死体を踏みつけ槍を引き抜く。
次の犠牲者を増やすために『レイ』が一歩前へ踏み出そうとした時だった。
一発の発砲音が鳴ると同時に利き腕側の肩から血が噴き出し、『レイ』は『扉』へと少し下がる事となった。
『レイ』は攻撃してきた者へと顔を上げる。
その顔は残虐を楽しむような笑顔で瞳は生気を失いいつもの鮮やかな緑は失われ、闇に捕らわれたような漆黒に近い暗黒色に変化した虹彩がアルを射ぬいた。