第1話 お隣さんは深淵生まれ
青い海、青い空。隣の青いバケツには、海水だけが入っている。釣果はゼロ。ひとり堤防で、涼しくなってきた昼下がりを過ごす。
「……本日、10月15日は終末復帰記念の日。今年で667年目となりました。赤波総理によると……」
ラジオはざらざらとした音質で、ニュースを垂れ流している。釣り糸はピクリとも動かない。
「釣れないなぁ。今日は誕生日だってのに」
しかし、釣果が無いまま帰ることはできない。釣れるまでが釣りだ。一晩くらいはここで過ごしたって良い。そのような覚悟をもって、オレは高校を卒業して釣り師になったのだ。とはいっても、どうもかじった程度の釣りスキルでは稼ぎを得ることはできない。しかし働くのも馬鹿らしいため、ちょちょっと投資で日銭を稼いではいる。
「お。遠くになにか見える。あれはクジラかな?いや、それとも深淵から来たナニカかな?」
667年前。この世界は一度終わりを迎えた。どうやって、何が理由で世界が滅んだのかはわからないが、それでも一度、この星は終わったらしい。
ではなぜ今、オレたち人類は生きているのか。深淵から来たナニカがこの地球を復活させた、と言われている。実際、現在の日本の総理大臣は深淵出身の生物だ。
この海のずっと先には、彼らの生まれ故郷につながる大穴が空いている。その大穴から彼らはこちらに来て、また帰っていくのだ。
「ん!来た!」
突然ぐいと力強く引っ張られる感触が釣り竿越しに伝わってきた。負けじと竿を引く。ぴんと張った釣り糸が揺れる。
「ぐぬぬ……」
魚類とのタイマンは、なかなかにハードである。一進一退の攻防が続く。しかし、どこまでいこうと魚類は魚類。人類の四肢をフル活用したパワーをもってすれば叶わない敵ではないと証明しよう。
「りゃあ!」
隙をうかがい、一気に力を込めて引き上げる。黒い影が水面に迫り、水を押し上げてその姿を露わにする。黒い鱗にトゲトゲが付いている。
「ぐわー!しもた!罠やったか!」
見たことのない魚だ。しかも喋る。もしかしたら、新種かもしれない。しかし、オレは新たなる種を発見して人類の発展に寄与しようなどという高潔な思想は持ち合わせていない。持って帰って食べよう。
「くそっ、離さんかい!な、なにをする!まさか、ワイをそん中に突っ込もうちゅう魂胆じゃあるまいな!」
「うるさいから蓋をしておこう」
「ワイは閉所恐怖症なんや!オイ、聞いとるのかグワーッ!」
本日の釣果をバケツの中に放り込み、適当な木の板で蓋をする。時刻は大体一時半。帰って昼飯にするとしよう。
軽トラに乗り込み、助手席の足元にバケツを置いてエンジンをかける。チルなミュージックをかけながら山道に揺られる。十分ほどで住んでいるアパートについた。釣り場からアパートまで、ガタガタと隣がうるさかった。
オレの現在の住居であり、おそらく終の棲家にもなるであろうこのアパートの名前は、フシギ荘ゆらゆら。随分とヘンテコな名前だが、名は体を表すというように、このアパートは外から中までヘンテコである。
「ただいまー、っと」
103号室の鍵を開ける。外見があまりにもボロアパート過ぎて、一階にはオレ以外誰も住んでいない。ちなみに、二階と四階にそれぞれ一人、計三人しか住民はいない。なんと寂しいことだろうか。
「あー、疲れた」
家に戻ってくると、どっと疲れが襲ってくる現象。よくここまで持ちこたえたと褒めるべきか、それとも油断しすぎだと諫めるべきか。自分の身体のことなのに、よくわからないことが多い。人体は不思議だ。
「冷蔵庫の中、なんかあったかなー」
大きくない冷蔵庫を開ける。薄橙の光が付いた。中には麦茶しかなかった。だめだこりゃ。
「仕方ない。魚一匹じゃ物足りないし、買い物にいくか」
ため息を吐きながら冷蔵庫を閉める。さて、近くのスーパーまで行くか。とはいってもここは山奥、辺境の地。そんな近場にあるわけもなく。歩いて四十分、車で十五分ほどかかる。
ピンポーン。
釣り用の作業服から着替え、準備が整ったところで出鼻をくじくインターホンが鳴った。小さいモニターを覗くと、黒い雨具のような服に身を包んだ何者かがいた。フードを目深に被っており、その顔は伺えない。あからさまな不審者のように見えた。
「はーい、今出ます」
しかし、不審者だろうが来客は来客。居留守という選択肢はない。ドアを開けると、モニターに映っていたまんまのそれがいた。当たり前か。
「こ、こんにちは」
「こんにちは。どうされましたか?」
「あ、あの……」
想像していたよりも高い声だった。彼女(彼の可能性ももちろんある)は、こちらを見上げながら言った。
「驚かないで聞いてください。実は、世界は333年後にもう一度終末を迎えるのです。そして、あなたこそが、その終末からこの星を救う救世主なのです」
「あ、終末論者の方。すいませんが、そういうのはちょっと……」
「ち、違います!これは本当なんです!」
見た目だけの不審者なら余裕なのだが、中身まで不審者となると話が違う。ゆっくりと扉を閉めると、訪問者は慌てた様子でその隙間に手を入れてきた。
「ま、待ってください!」
「あっすごい力強い」
閉まりかけていた扉をこじ開けながら、ものすごい剣幕で話しかけてくる。その顔はフードに隠れていて見えないだけかと思っていたが、近くで見るとわかった。影のような紺色に、まん丸の目が光っている。まるでゲームのキャラクターのようだ。
「ワタシはそんな怪しいナニカではないんです!今日隣に越してきたばかりで……」
「なーんだお隣さんだったのか。どうもどうも、ヤツボシといいます。よろしくお願いします」
「切り替えが早い」
今日何度目の手のひら返しか。お隣さんなら話は別だ。
「なにかお裾分けを……しまった、何もないんだった。あ、そうだそうだ、これがあった」
「いえそんな……これは?」
「おお、なんやなんや?悪魔のようなヒトにつかまって絶望しとったところなのに、急に別嬪さんがあらわれよったで」
せっかくの釣果だが、近所付き合いは大切だ。
「美味しいかわからないですけど、活きがいいので大丈夫だと思います。あ、魚の捌き方ご存知ですか?」
「ええ、まあ、それは。でも、喋る魚なんて初めて見ました」
「お、おい。もしかしてワシ食べられちゃう?美味ないで!ゲロマズや、ゲロマズ!毒もあるで!」
オレも、人の言葉を話す魚を見たのはこいつが初めてだ。確かによく見ると美味しそうには見えない。隣人へのプレゼントには適していなかったかもしれない。
「あんまり美味しそうには見えないですね。せっかくだし、飼育してみます。もしかしたら、魔術の素材になるかもしれませんから」
「ふぃー、助かったで。ん?今なんか不穏な言葉が聞こえたような」
「そうですか。あの、もしかして、魔術師なんですか?」
終末後667年連続で、中高生なりたい職業ランキングTOP10にランクインしている、超人気職業である魔術師。ある種ヒーロー的存在だが、まさかこんなところでお目にかかれるとは。
「自己紹介をしていませんでした。ワタシはポポロ。深淵でただ一人の予言者であり、そして魔術師でもあります」
ポポロはにこりと笑みをうかべた。
「これからよろしくおねがいします、救世主さん」
「こちらこそ。救世主かはわからないですけど」
差し出された右手。握手をする。深淵生まれのポポロの手は少し冷たかった。
「早速実験……こほん。飼育環境を整えなくてはいけませんね。大釜……失礼。水槽を用意しなければ」
「おいおいなんか物騒なこと言っとるぞ!そこの釣り人!助けとくれ!おーい!」
喚きながらドナドナされていく黒魚を見送って、ドアを閉める。生まれて初めてお隣さんというものができた。今日は良い日だ。そういえば誕生日だった。
「いけね。すっかり満足してたけど、スーパーに行くんだった」
まだ秋真っ盛りだけど、今日は鍋にしよう。そんな気分だ。




