再会
長い旅路だった。
エヴァンは使ってよいと通された屋敷の一室で大きなため息をついた。
暗闇を照らすのは、玄関で迎えてくれた侍女長らしき女性が、携帯灯から移して行った卓上の上にある燭台だ。
……そう言えば、名を聞き忘れたな……
だが、教えるつもりがなかったのかもしれないと、エヴァンは吐息を漏らした。
王女に仕える身だ。それなりの身分がある者だろう。
とすれば、もしかしたら彼女の身内の誰かを、自分が殺していたかもしれないのだ。
エヴァンはそっと燭台を持ち上げ、壁にある蝋燭にも火を灯し始めた。
橙色の光が、部屋を映し始めると、人並み以上の部屋であることは分かった。
だが、エヴァンの心はどうしても浮かない。
ここは、エヴァンの国セファゾドールの領地だった場所。そして、貴族が別宅として建てた屋敷が残る場所でもあった。
そんな場所に、自宅を構え、エヴァンを呼びつける。
さぞかし良い気分なのだろうな。
そんな卑しい思いすら感じてしまうのだ。
しかし、エヴァンはそれが自身の一方的な自虐からくるものだとも知っていた。
あの死神の戦い方は潔ぎよかった。
そんな死神が、良い気分に浸るためにここに居を構えたとは思えないということも、エヴァンの事実なのだ。
「今宵はすでに食事の片づけまで済ませてしまいました。もし何かお召し上がりになりたいのであれば、食堂に硬パンを用意しておりますので」
明かりを灯し終わった後、唯一、エヴァンに掛けられた侍女の言葉が脳裏に過った。
昼に干し肉と果実を齧ったくらいだったが、不思議と空腹は覚えていない。
そして、その言葉に乗せられた声の温度とその意味を考えながら、ベッドに仰向けになった。
よく思われていないことは確かだ。
エルバーグリーク第三王女、ジャクリーヌ。彼女はいったい何を考えているのだろう。
旅の道中でヒューストンに言われたことも頭に残っている。彼の元で『庭師』として働く。それは何を意味しているのだろう。
庭に関して何の知識もない俺をわざわざ庭師として使う理由など、何も思いつかない。
役に立つとすれば、護衛の方がよっぽど……。そんな風に思うエヴァンの視線は、揺れる蝋燭の灯りのように揺れていた。
護衛か……。
あの王女に護衛など必要ないことは周知の事実だ。
だからこそ、どうして敵国の王子だったものを傍に置くのか。
沙汰は娘に。そして、逃げるな。
エルバーグリークの王の言葉は、ここで拷問を受けるために掛けられたものだったのではないだろうか。
そんなことは単なる自虐だと、やはり揺れる光に視線をやる。
そう、単なる……
ただ、柔らかなベッドと久し振りにある充分な灯りは、エヴァンの警戒とは裏腹に、その緊張を解すには十分すぎた。
それは、まるで子どもの頃のようにエヴァンを無防備にさせていく、そんな魔法にかけられたかのように、エヴァンの目蓋は我慢の限界のように落ちていく。
温かな光の中、温かな寝床の中。それは『幸せ』しかなかったかつてのエヴァンと同じ安らかさを象徴するような、ひとときだった。
そんな灯りが漏れているエヴァンの部屋の前に、ジャクリーヌがぽつんと立っていた。
扉の袷の隙間から漏れる橙を写すのは、寝間着ではないふわりとした室内用のエメラルドグリーンのドレスと白いガウン。とても女性らしいその姿は、あの鎧姿からは全く想像できないか弱さも垣間見せる。
彼女はエヴァンと話をしようと、部屋を出てきたのだ。
しかし、ジャクリーヌはその扉を叩くことができなかった。
ただ、一点を見つめ、セファゾドール第三王子とどのように話し出せばよいのか、どのような顔をすればよいのかを、どのように謝罪をすればいいのかを、考えていた。
「ジャクリーヌ様?」
時が止まったようにエヴァンの部屋の前で立ち尽くしている主に気がついたポートマンは、ちょうど廊下の燭台の灯を消すついでに、どうやら食堂にもやってきていない客人に、水差しくらいは差し入れておこうと思ってやってきたのだ。
そのポートマンの声に流れ始めたはずのジャクリーヌの時間は、決断できぬまま揺れている。
「どうなさったのですか? そのような格好で、このような時間に」
「お着きなったと聞きましたから……灯りがまだ灯っていましたから……」
ジャクリーヌの声には震えこそないが、今にも消え入りそうなくらいのものだった。そして、その言葉にポートマンが肩の力を抜いて、彼女の言葉を代弁する。
「謝罪なら明日で十分でございましょう。彼もお疲れのはずです。ジャクリーヌ様もお休みください」
どこかまだ後ろ髪を引かれていそうなジャクリーヌが頷いたので、「さぁ」とその背中をそっと押しだす。
ポートマン自身も、どうしてそんなことをするのか、分かっていなかった。
謝りたいというジャクリーヌの思いに添ってやることが、自身の本懐だったのではないか。では、今、付き添って部屋の中に入ることだって、ジャクリーヌのためではないのだろうか。
彼女は彼と約束した『庭』が失われてしまったことに後ろめたさを感じ、彼の生きていた家族全てを守れなかったことに対し、罪悪感に苛まれているのだから。
戦敗国でありながら、あれだけの温情をかけられたあの男に異議を唱える理由などないのだから。だからこそ、そこは、ジャクリーヌの不安を解消する一歩として利用しても構わないはず。
そんな自問自答をする。
しかし、同時に思ってしまうのだ。
どうしてジャクリーヌ様がこれほどに謝罪の気持ちを持たねばならぬのかと。
謝るべきは、あの男。
そんな風に思ってしまう。
数歩歩いたジャクリーヌが斜に振り返り「ポートマン……」と力なくこぼした。そして、その手は、少し伸ばし始めた桃色金髪の毛先へと。
ジャクリーヌ様は、死神と恐れられるような方ではない。
死神がいるのだとすれば、……。
ポートマンにとっての死神は、今日ここにたどり着いた、セファゾドールの第三王子、エヴァンに他ならない。
「今日はお休みください」
深くお辞儀をして、ジャクリーヌを見送ったポートマンは、そのエヴァンの部屋の扉の前に立ち、侍女としての役目を取り繕う。
ノックをしても返事のない扉を押し開けると、部屋の灯りはすべて灯ったままだった。
しかし、部屋の主はベッドの上で力尽きたように眠っていた。
なんて無防備な……。
ふと、感じたものは、自身の殺意を気づかせるもの。
すべての身分を剥奪され、この世に存在することすら許されていない、そんな男の頸を、今なら掻き切れるかもしれないのだ。
ポートマンは音を立てないように水差しを小卓に載せ、壁の灯りを落としていく。
そして、最後の灯り、彼の傍に置かれた燭台を強く握りしめる。
そう、ジャクリーヌ様がいなければ、こんな男……。
ポートマンは暗闇に憎しみを沈めながら、手元に残ったたった一つの灯りだけを頼りに、彼の部屋を出て行った。














