賭け
ジャクリーヌの愛馬は、とても賢い白馬で、ブロンと名付けられていた。ジャクリーヌはその厩舎において、いつも優しく語りかけていた。
桃色の金髪を持つジャクリーヌが、真っ白な馬の傍で、その背を豚毛のブラシで掻いてやる姿は、嫋やかで美しかった。ジャクリーヌと共に訓練を行った者たちは、皆、声を揃える。
「まるで天使のようだ」と。
しかしブロンは、気性が荒く、乗せる人間を選ぶ馬だった。そして、何の因果か、その馬が選んだ者が、ジャクリーヌ。死神と呼ばれる姫だった。
桃色鶏冠の鎧兜に身を包むジャクリーヌはそのブロンを自在に操る。
ブロンのマスクも、矢避けのためにある馬用マントも同じく桃色。
戦場には違和感のある色。
しかし、その剣さばきは、戦いの女神に愛された、と言えるほどに洗練されていて優雅なその姿は『戦乙女』と言えた。
『戦乙女』それは、戦場においての死神でもある。
そんな乙女が、黒き馬に乗って現れた敵将に相対する。
セファゾドールの第三王子エヴァンだ。彼の身に纏う鉄鎧は重厚な黒鉄。ジャクリーヌの剣などすぐに弾き飛ばしてしまうだろう。
だから、隙間を狙う。仮面の隙間、関節の隙間。
盾を使い、馬から落とす。
一騎打ちでの戦法はそれくらいしかない。
しかし、相手には力がある分、振るう剣でジャクリーヌを落馬させることもできるだろう。落馬すれば、馬上の相手に、どう対応すべきか。
馬の扱いはどれくらいできるのか。どのような癖を持って、戦うのか。
ジャクリーヌは、相手を見誤らないように観察する。
ジャクリーヌが相手に勝っていると確信できることは、自身の身の軽さくらいだ。
これを有利に導かねば、負ける。
ジャクリーヌは相手を睨みつけながら考えていた。
あの夜、ジャクリーヌはどうしてもあのエヴァンが残した言葉――『敵は俺が迎え撃つ』という言葉が気になって仕方がなかった。
何に引っかかるのか。それ自体、その時は分からなかった。
しかし、幾度、探りを入れても、陣営は四つであり、ジャクリーヌたちの隊がまっすぐに突撃すれば、そこにはエヴァンがいるのだ。
だが、そこにあるはずの兵の数がまったく分からない。陣営に張られている天幕はいつも静かだという。その静けさが、逆に気持ち悪さを感じさせるという。
いや、時に何十もある天幕には、数万の兵がいるのではないかと感じてしまう殺気すらあるという。
ひとりで外の空気を吸いに来るエヴァンの姿が、なによりも異質で、死を前にしている男が見せる表情ではないという。その安全を確信しているような姿に、鳥肌が立ってしまうと。
しかし、偵察兵は、いつも無事に帰される。
逃げたはずのエヴァン。数万もいるだろう兵が、こちらの偵察兵を見逃すのだろうか。
そもそも、誤差はあろうが、一千と聞いていた数。エルバーグリーク軍と違い、セファゾドールに補充できる余力は残っていない。
民間人としか言えない兵を助けるためだけでないのだとすれば、それは陣を整えるための時間稼ぎだと思えた。そして、それは陽動ではあったのだろう。
逃げたはずのエヴァンが、真正面にいるはずがないという。
そんな風に考えれば、彼の行動がジャクリーヌの中ですとんと落ちたのだ。
あの言葉こそが、陽動だと。
気づいた。
第二王子の隊はすでにエルバーグリークが壊滅させたと聞く。後はこの第三王子の隊を潰せば、すでに自国民による反乱軍から籠城を始めている王都などすぐに制圧できる。
ここが、事実上最後の決戦なのだ。
勝利した彼を王都へ帰してはならない。国内での暴動は起きていようが、暴動を起こしているのは、兵ではない。この食わせ者の第三王子が、平定してしまう可能性すらある。
内と外。
それが揃ったからこその、悪政に苦しむ民を救うために立ち上がるエルバーグリークの聖戦となるのだから。
素直に慌ててまっすぐに進めば、二百あるジャクリーヌ隊は、エヴァンのために戦う『兵』に囲まれてしまう、陣形でもある。これは、ジャクリーヌが起こしたあの奇襲によく似ている。
相手の盲点を突くのだ。
そのために、ジャクリーヌの部隊も四つに分けた。そして、ジャクリーヌは彼の性格に賭けたのだ。
おそらく、ここが一番の手薄。きっと相手の兵も数えるほどでしかない。周りに重点を置いたはずだ。彼は、囮なのだ。
結果、賭けは、ジャクリーヌの勝ちだった。彼の後ろに控える兵の数は三。
相手の自信の強さが、表れて見える。ジャクリーヌ隊がそのまままっすぐやってきていたら、二百を三で時間稼ぎしようとしていたのだ。
どのような策を持っていたのだろう。
だから、実力は、まだ分からない。ジャクリーヌの持てる兵は、今は五。相手と同じく不利な状況に置かれていることに変わりない。いち早く勝たねばならない。それも、相手と同じ。
そんなジャクリーヌの全身にブロンの緊張と気持ちの高ぶりが伝わってきた。ジャクリーヌ自身はそんなブロンを落ち着かせるようにして、一度だけその頬を撫でてやる。温かな鼻息が、吐き出され、ブロンの体が震えた。
大丈夫よ。あなたが殺されることはないから。
わたしが守ってあげるから。
大丈夫、きっとあの男は、あなたに剣は向けない……。
どうしてそんなことを思えるのか、分からない。
そうよ、わたしも馬は狙わないから、きっと。
なぜか、それが確信へとつながる。
「行こう」
ジャクリーヌが発したその声は、ブロンの荒ぶる鼻息と共にあった。




