死神の姫
敵将エヴァンの国セファゾドールは、ジャクリーヌの国であるエルバーグリークと小山を挟んだ隣国である。そして、その小山が一番の難敵だったのだが、それをジャクリーヌ率いる小部隊が突破したのだ。
そこで、一気に形勢が変わったことは確かだった。
しかし、その攻撃がジャクリーヌの異名である『死神』を後に深めたことも確かだ。
その日は視界の悪い雨の夜。激しい雨音に馬を捨てた死神軍が、その陣営に急襲をかけたのだ。
戦果のためには、策など選ばぬ、さすが死神の姫。そんな称賛を背に浴びて。
砦を守っていた兵一千は、たった百兵であったジャクリーヌに蹂躙されたのだ。
しかし、そこに、敵将である第三王子であるエヴァンはいなかった。
――逃がしたのか。
ジャクリーヌは臍を噛んだ。
ここにいたことは間違いなかったはずだ。何を間違えたのか。
そんな思いの中、彼女は、その陣営の士気を取っていた男の鉄仮面を容赦なく引き剝がし、尋ねた。
「エヴァンはどこか」
彼は答えなかった。その挑戦的に相手を射抜くその瞳は、おそらく語ることはないのだろう。だから、ジャクリーヌは冷たい視線を彼に落としたまま、別の言葉を投げかける。それが、ジャクリーヌにとっての儀式であり、最期通牒なのだ。
「お前が言い残したいことはなんだ?」
彼の呼吸が一瞬止まるのを感じた。
そう、ジャクリーヌは相手を斬る前にいつも尋ねる。
己を人間だと思って疑ったことのない、人の命を狩る者たちへ。
それは、儀式のようでいて、残酷な。ジャクリーヌにとっては諸刃の剣を持つ言葉でもあったのだ。
「ふ、お前のような血も涙もない女に、エヴァン様の首は取れぬ。それは、我らの勝利を意味するのだ」
そう、ジャクリーヌの国を脅かす、そんな敵兵はいつも、自国を守っているジャクリーヌにいやらしい笑い声を残す。
人間など、そんなもの。
魔女であろうと、死神であろうと、彼らはそれ以下である。
雨に黒く流れる赤いものが、ジャクリーヌの足元に流れてきていた。雨は小降りになってきているのかもしれない。鉄の鎧を打つ音は、気づけば柔らかなものになっていた。
足元に倒れる男の胴体も同じ音を立てている。
ジャクリーヌは倒れた兵の鎧に包まれた胴体から、首へと視線を移し、ただその様子を眺めた。首と胴体が離れている。ただそれだけのもの。首を取るのは、面通しのためであり、雑兵の首などはいらない。
彼はそれだけの立場を持った者だった。
あの瞳がそれを語っていた。
だからその行為はただ持ち運びやすくするための、作業に過ぎない。
どれも同じである。なんの感傷もない。ジャクリーヌは、血を怖がることも、断末魔を恐れることもなく、背後からの声に応えた。
「ジャクリーヌ姫殿下」
すでに、他も制圧したのか、振り返った場所にある男はすでに面を上げていた。そう言えば、あの物々しい雑踏と叫び声が聞こえない。
「敵将はすでに拠点を変えていた模様」
ということは、ここは捨て陣だったのか。そこで、眼下にある男の言葉をジャクリーヌは思い出した。エヴァンの首を取らねば、この戦争は終わらない、それを指し示すような。
あの挑発的な笑みは、宣戦布告だったのかもしれない。
エヴァンとは、それほどまでに強いのだろうか。
わたしよりも、強いのだろうか。
『死神』を討ち取るくらいの腕の持ち主なのだろうか。
わたしの首も、この胴体から離れるのだろうか。
魔女の最後は人間に狩られるものであったが、死神は人間を狩るもの。ジャクリーヌはそんなことを自分の中で言い聞かせる。しかし、彼女の声は震えることなく、面の中から静かに伝えらえた。
「捕虜より聞き出せ」
「はっ。こ奴の身元も聞き出してまいります」
はっきりとした声を発した彼が、男の頭を乱暴に鷲掴み、去っていく。
どうでも良かった。




