幼いイチゴ①
まずまずの出来じゃな、そう言われ、やっと一本の低木の剪定が終わった。
そして、イチゴを収穫するための籠を納屋へと取りに行く。
おそらく、ヒューストンのために作られた納屋なのだろう。腰が曲がってきている彼ならば、ちょうどいいサイズだ。
そんな失礼なことを思いながら、腰をかがめたままのエヴァンはその中を眺める。
籠は右の棚にあるとは聞いていたが、土埃舞う薄暗い納屋の中で、それを見つけるのは困難に思えた。
しかし、それも敵が討って来ないだけまし、だな。
そんな風に思ってしまう自分へ顰笑しながら、歩く度に舞い上がる埃から、エヴァンは口と鼻を腕で覆った。
所狭しと置かれている鍬やシャベル、農作業用フォークに桶。丸められた藁敷きに背負子。それらをよけながら、幼い弟たちなら面白がって宝探しをしていたのだろうな、と思った。
だが、ギルバートとジャイバンは、男児だ。
幼さゆえに、今は脅威を感じさせないだろうが、……。
養子先はエルバーグリーク王の信頼に篤い者だとは聞いているが、人なりの生活はさせてもらっているだろうか。変な恨みなど抱かないだろうか。
幼さゆえに、破壊的な考えを息づかせたりはしないだろうか。
暗闇の中にいると、あの戦場が再びエヴァンの脳裏に浮かび上がる。
どこにも正義などなかった。
ただ、戦うしかなかったのだ。
何のためか、それはただ自己を正当化するための。
そんな者になってしまえば、死に急ぐことになる。
そして、納屋に入ってくる光は、あの牢の中の光によく似ていた。
ただ、土の匂いが『生』を感じさせてくれているから、ここが『牢』ではないと思えるだけで。ヒューストンやジャクリーヌ、ポートマンがエヴァンを責めないから、生きているだけで。
「あった」
エヴァンは闇の中から早く飛び出したくて、見つけた浅い籠を掴むと、急いで納屋の外に飛び出していた。
外は光に満ちている。
その光の中、『生』を取り戻そうとするかのように息を吸ったエヴァンの耳に、何かが落ちる音と「あ」というか細い声が届いた。
納屋の少し向こうに髪を肩口まで伸ばした少女がひとり立っていた。
誰だ? いや、この気配……?
ここは屋敷の敷地内である。町の者が歩いていることなどないはずだ。いや、ジャクリーヌの知り合いなのか? しかし、客人がある時は必ずと言ってよいほど、ヒューストンがエヴァンに伝えてくれている。
エヴァンと少女の間にはつばの大きな白い帽子が落ちていた。
――あぁ、帽子を追いかけたのか。
納得し、そのどこか幼さすら残る彼女に一歩エヴァンが近づくと、震えていることが分かった。もしかしたら、怖がられているのかもしれない。軍人でもあったエヴァンは、自分でも恰幅の良い方だと思っている。だから、そこに落としどころを見つけたのだ。そのまま勘繰りながら彼女を見つめていると、彼女のその手が徐ろに短い髪先へと動いた。
その手に導かれた髪は、恐ろしく綺麗な髪だった。
その髪は絵画の中から出てきたのかと思うほど美しく、春の光に輝いていた。まるで、生命の象徴のような。神の加護でもあるかのような、そんな神聖さすら感じられる。しかし、彼女の持つ緑の瞳が揺れる。
まるで、『死』を目の当たりにしたかのように。
「おい」
と声をかけたのと、彼女が来た道を駆け戻ったのは、まったく同時だった。
エヴァンは置いていかれた帽子を拾い上げ、その土を払った。
――帽子を追いかけたくらいなら、見逃してやったのに。
気の弱そうな少女だった。
そう、何の悪意も見受けられなかった。だから、帽子を返したらすぐにでも見逃してやろうとも思っていた。
それにしても、特徴のある髪色だった。
桃色を帯びた金色。
そして、揺れる緑の瞳。
この辺りの者なのだろう。確か彼女が走った方向には厩舎があり、すぐ向こうは屋敷の外だ。あの髪色なら、町へよく出ていくヒューストンに聞けば、すぐに身元が分かるだろうと思った。
そう、この時のエヴァンはあの緑の瞳がまさかエルバーグリーク王につながるものだとは、全く思わなかったのだ。
帽子と籠を抱えて戻ってきたエヴァンを見た途端、ヒューストンが思いがけない言葉を放った。
いや、まず、第一にエヴァンにはヒューストンの言葉が信じられなかった。
「そりゃ、姫さんのだな」
言葉の意味が分からなかったとも言う。ヒューストンは籠をエヴァンから引っ手繰ると、すぐさま収穫に入った。エヴァンもその帽子を頭に載せた後、ヒューストンを手伝う。
しかし、納得いかない。
「少し桃色がかった金髪の髪を肩まで伸ばした?……えっと、緑の瞳の? あの少女が?」
「そうじゃよ」
籠の中には、摘まれた白いイチゴがどんどん入れられている。そう言えば、ほんの少し白に桃色がかった色にも見える。だから、エルバーグリーク王が彼女に与えたのだろうか。娘の色として?
「このイチゴが好きだという?」
このエヴァンの問いには、流石にヒューストンもむっとした表情になった。そのおかげで、次の句は飲み込むことができた。
あの、桃色鶏冠の鎧女の死神の?
立場的にもこの国の王女さまであり、この屋敷の主人でもある。口に出せば確実に不敬だ。こんなことで命を粗末にしたくはない。エヴァンは胸の内でヒューストンに感謝する。
「まぁ、あまりお姿をお見せにならないのは、確かじゃな……この時間だと馬の世話でもされていたのだろう」
ヒューストンは、イチゴを毟る手を止めずに、彼女を説明する。
確かにブロンもクロウもジャクリーヌが世話をしているとは聞いている。あの白馬もよく手入れのされている賢い馬だったことからも、この間クロウを走らせた時にも感じたことからも、クロウにも愛情をもって接せられていることは間違いない。
ジャクリーヌは、馬との信頼を築くための務めを怠らない。
あの鎧姿でのお茶会さえなければ、エヴァンの中でのジャクリーヌは、確実に戦いの神に愛された戦乙女だった。
そうだ、あの場で首を落としてさえくれていれば……。
彼女にとってもエヴァンにとってもその方が良かったかもしれない。そうかもしれない。
――きっとそうだ。
しかし、今は別の話である。エヴァンは改めて帽子を掴み、ヒューストンに見せる。
「あぁ、じゃあ、この帽子はすぐに返せますね」
とりあえず、持ち主に戻るのなら良かった。胸を撫で下ろすと、ヒューストンがイチゴを一つエヴァンに与えた。白いイチゴなど初めて食べる。
「食べてみ」
太陽に温められたイチゴは囓ると甘いが、口の中で酸っぱさが広がり、顔が歪んだ。
「酸っぱいじゃろ?」
「はい」
「姫さんもこんな感じじゃ」
籠のイチゴに視線を移したヒューストンは、「中身は止まってしまったんじゃな」と呟いた。
「こっちは甘い。口直しじゃ」
「分かるんですか?」
酸っぱいのを覚悟で口に入れると、本当に甘かった。そんな俺の表情にヒューストンがにかっと笑う。
「帽子は、御守りのようなもの。拾ってくれてありがとうな……あぁ」
酸っぱいイチゴも、そのままジャムに回すからポートマンに持って行く。
ついでに、帽子も渡しておく。
イチゴの収穫が終わった後に頼まれたお使いの内容だ。おそらく、今日も三時のお茶に誘われるのだろうから、ついでと言えばついでの話だった。
だから、何も気にせずにエヴァンは彼に頼まれていた。
ポートマンはおそらく夕飯の支度のために、台所にいるはずだからと、ヒューストンは彼女の居場所もしっかりと把握している。














