奇妙なお茶会①
エヴァンがジャクリーヌの屋敷にやってきてから、ひと月ほど経過していた。
鏡の前で座るジャクリーヌは、ポートマンに髪を梳かされながら、伸びてきた桃色を息を潜めて眺めていた。
今まであまり扱ってこなかった髪の扱いに彼女が困っていると、ポートマンが声をかけたのだ。
「梳かして差し上げましょう」
と。
光の加減によっては少し色素の薄い金色にしか見えないその桃色を帯びるジャクリーヌの髪は、長くなるにつれ癖を帯び、毛先がくるりと回り始める。
その美しい髪を梳き終わったポートマンは、今度は丁寧に結い始めた。
頭頂部から編み始め、うなじの部分で止めていく。
「ポートマン」
「どうされました?」
ジャクリーヌは一度考えるために目を伏せて、鏡の奥に映るポートマンを見つめた。
「エヴァン・ファゾリナは……」
そのジャクリーヌの言葉に、ポートマンは呆れた声を出す。これは、昨日と同じ会話になるのだろうと思ったからだ。
「あの方なら、ヒューストンと共に日々庭の掃除をしています」
「そう……どんなふうなの?」
ジャクリーヌが尋ねている『どんなふう』は、ポートマンにはよく分からない。だから、やはり同じ答えを返す。
「真面目にヒューストンの言いつけを守って働いているそうです」
そこはポートマンにとって少し意外だった。
あの王家は自らが雅に過ごすため、民に重税を敷いてきた家族だ。それなのに、文句も言わず、サボりもせずに、ヒューストンに指示を仰ぐこともあるらしいのだ。
ただ、ポートマンの答える声は、彼女も気づかない間に、淡々と事実だけが述べられているのみ。感嘆もなければ、蔑みもない。
ジャクリーヌもそこに気づいているのかいないのか、ただ深いため息とともに「そう……」と続けるのみ。
「彼は許してくださるかしら?」
生きている家族を守れなかったこと。
彼の父と母、そして兄二人の首を並べてしまったこと。
彼が待っているからと目印にしたかった庭が、失われてしまっていたこと。
彼にここでその庭を再現してほしいと思っていること。
だから、庭師であるヒューストンから庭に関するすべてを学んで欲しいと思っていること。
ポートマンは二本目の編み込みの手を止めずに「どうでしょう……」とあいまいに答えていた。
「あまりあの方のことは存じませんので。ですが、ジャクリーヌ様」
そこで、二本目の編み込みを一本目の編み込みとジャクリーヌの頭に添わせ、髪を留めた。
シルバーの髪留めには緑色と琥珀色の石が散りばめられている。
「ジャクリーヌ様が謝ることなど何一つないと、わたくしは思っています」
「いいえ、約束を果たせなかったことは、わたしの力不足ですから……」
はっきりと発せられたはずのジャクリーヌの言葉だった。それなのに、彼女の緑の瞳は浮かない。
「ポートマン……」
「どうされました?」
「彼は約束を反故にしたわたしを前にしても、……」
ジャクリーヌの細い指はポートマンが束ねた編み込みに添わせた後、力なく止まった。
「出来ました。この髪色はもう祝福の色だと申し上げたはずです」
鏡ごしにポートマンを見上げたジャクリーヌは不安そうだったが、彼女の瞳に映ったポートマンは優しくジャクリーヌを眺め、そのまま微笑む。
「とてもお綺麗です。今日はお呼びしても構いませんね」
「……えぇ……」
ジャクリーヌは、そんなポートマンに返事をしながら、止まっていた手で宙を掴み、握りしめた。
セファゾドールはエルバーグリークよりも北側に位置し、寒冷な国だった。しかし、エルバーグリークに占領されたここ――今ジャクリーヌが居を構えているこの土地は、かつてはセファゾドール貴族が避寒地として活用していた場所である。
もちろん、春に向けてのこの時期だとはいえ、肌寒い。だからかして、ここでは上着を一枚もらっていた。
それはしっかりと獣毛も織り込まれいるもので、庭仕事をするエヴァンにとっては、大変ありがたいことだった。
だが、同時にやはり『なぜ』がエヴァンには付き纏っていた。
生死も分からない状態になっているということは、囚人の身分よりも保証がない、ということだ。そんな者の健康状態など心配する必要があるのだろうかという『なぜ』だった。
「おい」
今や師匠としてヒューストンに教えを乞う側になっているエヴァンが、その声に振り向く。
ヒューストンの隣にポートマンが立っていた。
ひと月経ってやっと彼女の名を知ることができたのだ。
それを思えば、怨嗟しか感じない彼女にも、少しは信頼されてきているのかもしれない。
エヴァンは汚れた手を払った後にお辞儀をし、そんな風に思ったことを繕った。
「何か御用でしょうか」
その答えに、ポートマンが針を刺すような視線を向けて、エヴァンに伝えた。
「ヒューストンからは暇願いを許していただきました。本日、ジャクリーヌ様が貴方様をお茶に誘っておられますので、どうぞお越しを」
ヒューストンは相変わらず、無表情。ポートマンは、去っていく。
今や目上の女性からのお誘いだ。しかも、一国の王女様と単なる庭男。
本来なら『謹んでお受けいたします』もしくは『悦んで参上いたしましょう』辺りを使うべきだっただろう。
しかし、エヴァンは取り残されたまま、その背に慌てて「わかりました」という言葉で返事をしていた。
エヴァンにはあの死神の考えが、未だにまったく分からない。
「焼却炉にある灰を畑に撒いた後、もう少し小綺麗になってから、姫さんのところへ行くんじゃな」
「えっ……あ、はい……」
そうか、敵を油断させておいて、仕留めやすくすることは戦場でもよくある。
この場合、すっかり油断した俺が、毒の入ったお茶を簡単に煽る、というシナリオが成り立つのではなかろうか。ぬるま湯に入れてから、毒殺……というわけか。
そんな物騒なことを、昔の癖で考えていたエヴァン。そして、ヒューストンの当たり前の言葉。以前なら『い』の一番に考えていただろう礼節すら、今のエヴァンには思いつかなかった。
だが、実際、小綺麗にと言って、持てる服は少ない。
イチゴやイモが植わっている畑に灰を撒き終わったエヴァンは、一度部屋に戻り『小綺麗』を改めて考え始めた。
エヴァンの持つ衣服は、鎧の下に着ていた防具下着と、今は寝間着として使っている囚人服。そして、王城からもらった小間使いの衣服と、この冬にここでもらった上着のみ。
この中で一番上等なのはギャンベゾンだろう。騎士としての誇りの象徴としても身につけられるそれは、エヴァンにとって一番失礼のないものではある。
しかし、同時にギャンベゾンは戦場にあるもの。
今のエヴァンは、単なる庭男であり、戦う意思など毛頭ない。もし、ジャクリーヌに、それこそポートマンのごとく怨嗟でも覚えているのであれば、ギャンベゾンでもいいだろうが、エヴァンはジャクリーヌに対して怨嗟どころか、家族への恩赦についての感謝をしているくらいだ。
変に勘違いされて、寿命を縮めるは、単なる愚行だろう。
エヴァンは考え抜いた結果、今着ている上着と小間使いの服を脱いだ。
戦う意思がないこと、そして、ちゃんと身分差も弁えていることを伝えなければならない。
そんな結論を出したエヴァンは、即座に窓を開き、その小間使いの服を親の仇のごとく叩き始めた。
叩かれた灰とエヴァンのむせ込むような咳が、まるで彼の決意表明かのごとく、冬の昼間に舞い散り、大きく響いた瞬間だった。














