御曹司、またも撃沈する
太陽が登った。
都内の一等地にそびえ立つ
超高層マンションにある
蓮の部屋を日光が明るく照らした。
蓮はやる気に満ち溢れていた。
優里は”不採用”にするものの、
ちゃんと”ヒント”をくれる。
その一言で、蓮はやる気がみなぎる。
会議室に入った瞬間、蓮は心臓が跳ねるのを感じた。
優里はデスクに向かい、資料を整理している。
普段の鋭さはあるものの、目の下に微かな疲労が見える。
「では、今日の面接、始めましょう」
蓮は深呼吸を一度し、ノートを握りしめた。
(今日こそ、俺は御曹司じゃなく、俺自身として認めさせる)
蓮は自分が今日のためにどれほど頑張ったか
聞いてもらいたくて、必死に夢中になって話し始めた。
しかし、その視線の先には、
普段の冷徹さを封印したかのような優里の姿があった。
デスクに顔を伏せ、静かに眠っている。
「……え?」
蓮は思わず声を漏らす。
「はぁぁ!?」
蓮の頭のなかで思わず叫びが爆発した。
(……なんでだよ! 今、俺は全力で話してるんだぞ!?)
昨日も今日も、あの小さな成功のために必死で動いたんだ。
誰かのために汗をかき、気を遣い、
細かいことに心を砕いてきたんだ。
それなのに、目の前の優里は……寝てる!?
信じられない。理解できない。
全力を尽くした自分の時間と努力が、一瞬で空気に溶けた気がした。
(おい、待てよ……これ、冗談だろ? いや、冗談じゃない。現実だ……!)
胸の奥で何かがちりちりと焦げるように痛む。
怒りと悔しさと情けなさが渦巻き、心のなかで感情が爆発していた。
(くそ……なんでこんなに必死なのに、誰も見てくれないんだ!)
拳を机の上でぎゅっと握りしめる。
ノートのページがわずかに震えるほど力を込める。
「ちくしょう……くそったれ……!」
思わず声に出してしまい、息が荒くなる。
(俺は、ただ……認められたいだけなのに。御曹司としてじゃなく、俺自身を見てほしいだけなのに……!)
しかし、しばらく深く息をつき、蓮は自分に言い聞かせる。
(……いい。今はまだ、伝わらなくてもいい。これで諦めたら、俺の成長は終わる。必ず、見せてやる、あの女に、俺の本当の力を)
怒りと悔しさが、決意に変わる瞬間だった。
静まり返った会議室。
蓮は必死に声を震わせながら、
自分の強みや努力を優里に語りかけていた。
だが目の前で彼女は静かに、そして無防備に眠っている。
その瞬間、ドアが静かに開き、スーツ姿の男性が入ってきた。
「……松本?」
蓮が振り返ると、そこに立っていたのは
優里の右腕として知られる松本だった。
鋭い目つきで部屋を見渡し、すぐに優里の姿に気づく。
「……寝てるな」
松本の声は冷たく、まるで氷を裂くようだった。
蓮は一瞬、言葉に詰まる。
(いや、これは……どういうことだ……? でも、俺は……)
松本は蓮の肩を軽く叩き、低く、冷静に告げた。
「君……誰のために、連日こんな無駄な時間を割いていると思っているんだ?」
蓮の胸がギュッと締め付けられる。
(無駄……だと……? 俺は、俺自身を示したいんだ……!)
「俺は……」
声が震える。
何度も何度も優里に会い、
努力を積み重ね、行動してきたはずだ。
なのに、松本の言葉は胸に突き刺さる。
「疲れてるのに……こんなに無理して……」
松本はさらに続ける。
「君の努力は、自己満足に過ぎない。本当に必要なのは、誰のために動くかを理解することだ」
「自己満足の努力は、誰にも届かない」
蓮は机に手をつき、頭を垂れる。
冷たい現実が、突きつけられた。
(……誰のため……俺は何のために……?)
松本の視線は厳しくも温かく、蓮の心の迷いを見透かしていた。
「君のその焦りや必死さは……悪くない。だが、方向性が違う。まずは相手を見ろ。相手が今何を求めているか、何に困っているかを理解しろ」
蓮は息を整え、深くうなずいた。
(……優里のために……か)
蓮の心に、覚悟の炎が再び灯った。
目の前の壁は高い。
しかし、松本の言葉が、次の一歩を踏み出す力を与えた。
会議室を後にした蓮は、優里の肩にそっとジャケットをかけた。
「……これ、寒いだろ」
静かに言葉をかける。
優里はまだ眠っているが、わずかに体を伸ばす。
(……俺は、何をしてるんだ……?)
蓮は彼女の寝顔を一瞬見つめ、深呼吸をして会議室を後にした。
ドアを閉めると、外の冷たい空気が頬を撫で、
現実に引き戻される。
夜、居酒屋に入ると晴人がすでに席についていた。
「おう、遅かったな」
蓮は席に座るとため息をついた。
「寝やがった……くそ、何やってんだ、俺は」
怒りと自己嫌悪が入り混じり、拳を机に叩きつける。
晴人はニヤリと笑い、スマホを取り出した。
「お前、まだあの子のこと理解してないだろ? これを見ろ」
スマホに表示されたのは、優里の1日のスケジュールだった。
朝8時から夜11時まで、ミーティングや社内業務、
投資家との打ち合わせや事務作業がぎっしり詰まっている。
ほとんど休憩時間もない。
「……な、何これ……?」
蓮の声は震えた。
目の前で広がる現実に息が詰まる。
「見ろよ。これがお前が会ってる“相手”の1週間の実態だ。寝てるのも無理ないだろ」
晴人は肩をすくめ、軽口を混ぜつつも、
真剣な目で蓮を見つめる。
蓮は頭を抱え、ひざに顔を伏せた。
(……俺は……自己満足だった……。優里のために行動したつもりが……実際は彼女を苦しめていただけだ……)
居酒屋のざわめきのなか、
蓮は初めて自分の行動を客観視した。
焦って会いに行き、無理やり時間を割かせ、
彼女の負担を増やしていたこと。
必死でアピールする自分に酔っていただけだったこと。
「……俺、何やってたんだ……」
低くつぶやく声に、晴人は静かに頷く。
「まあな。でも気づけただけ、まだマシだろ。次は本当に相手の立場を考えろ」
軽口を交えながらも、晴人の言葉は重い。
蓮は目を上げ、ぐっと拳を握った。
(よし……次は違う。自己満足じゃない、本当に意味のある行動で、彼女を支える……!)
夜の街の光がグラスに反射し、蓮の瞳に決意が宿る。
朝の光がカーテンの隙間から差し込む。
蓮は重いまぶたを開け、
まだ昨日の酒場の余韻が残る頭を抱えたまま
ベッドの上で伸びをする。
(…ふう、今日も寝すぎたか。)
スマホのバイブレーションが突然、枕元で震えた。
「……誰だよ、こんな朝早くに」
寝ぼけながら画面を手に取ると、
送信者の名前を見て目が点になった。
「……優里?」
画面には短い文章が届いていた。
『昨日はありがとう。少し話がしたいです』
蓮はベッドから飛び起きる。
(え……!? マジで……優里から……だと……?)
心臓が跳ねるように早鐘を打つ。
全身に緊張が走る。
「なんで……どうして……?」
思考が追いつかず、言葉にならない声が漏れる。
ふと冷静になろうと深呼吸をする。
(いや、落ち着け……落ち着け……)
だが、手は震え、指先は画面に置かれたまま固まる。
胸の奥で、期待と不安と焦りが入り混じる。
(……これって、チャンスなのか……? それとも……試されているのか……?)
蓮は指を震わせながら返信画面を開く。
画面に向かって深呼吸をひとつ。
(よし……行くしかない……!)
ベッドから飛び降りると、蓮は急いで身支度を整え始めた。
今日、このメールが、俺の人生を再び動かす瞬間になる。
タクシーの窓越しに街の光が流れる。
蓮の心臓は異常な速さで打っていた。
「……落ち着け、俺。落ち着けって……」
蓮は深呼吸を繰り返し、
手のひらを汗で湿らせながらオフィスビルの前で降りた。
エントランスを通り、階段を昇る。
足音が響く空間で、自分の心臓の音まで聞こえるようだ。
会議室のドアをノックする手が微かに震えた。
「……失礼します」
中に入ると、優里はデスクに向かって資料を整理していた。
昨日、会議室で眠っていた姿から
想像もできないほど、集中している。
「……あの、昨日は……」
優里が手を止め、顔を上げた。
そこには、少し恥ずかしそうな表情があった。
「ごめんなさい!! 昨日……寝てしまって……」
蓮は思わず目を見開く。
(……え? なんだこれ……? 昨日はあんなに冷たくて、完璧で、遠い存在だったのに……今のこの声……顔……)
胸の奥が熱くなり、頭が真っ白になる。
(これが……ギャップ萌え……ってやつなのか……?)
「……い、いいんだ、別に……」
言葉が思わず、ぎこちなく出る。
蓮は自分の声の頼りなさに内心で焦る。
優里は少し笑顔を浮かべ、
手元の資料を片付けながら蓮に視線を向ける。
「でも、昨日はありがとう。あなたがいてくれたおかげで、少し楽になった」
蓮は動揺しつつも、胸のなかで小さな喜びを感じた。
(俺の存在……少しは意味があったのか……?)
二人きりの空間。
沈黙のなかで、微妙な空気が漂う。
蓮は少し勇気を振り絞り、口を開いた。
「……あの、今日……また話せるかな?」
優里は一瞬考え、そして柔らかく頷いた。
「はい、少しだけなら。」
蓮の心は期待と不安で揺れる。
昨日の自己満足を反省し、今日こそ意味のある行動を示す。
その決意が、胸の奥で強く燃えていた。
外の光が会議室のガラスに反射し、二人を柔らかく照らす。
(よし……今日こそ、本気で……!)
蓮は鞄から資料を取り出す。
そこには、前回の面接で指摘された課題、
そして自分が取り組んできた改善策が整理されていた。
「まずは、現場の効率改善案です」
蓮は資料を差し出し、数字と具体的な手順を説明する。
「ここで手順を変えることで、作業時間を20%削減できます。それから、社員間の情報共有もこのツールで可視化できます」
優里は資料に目を落とす。
いつもなら冷徹に切り捨てるはずの眼差しが、
今日はどこか柔らかい。
「……ふむ。確かに効率化にはなりそうですね」
その声に、蓮は一瞬息をのむ。
(え……褒められた……?)
しかし優里はすぐに眉をひそめる。
「でも、ただの提案だけじゃ不十分。数字や手順だけでなく、実際に現場でやってみせて初めて意味があります」
蓮は頷く。
ここで諦めてはいけない。
その瞬間、蓮は心のなかで覚悟を決める。
(よし……やるぞ……! ただの御曹司じゃなく、俺自身の力で……)
だが、緊張の糸は途切れず、蓮はふと周囲を見る。
優里の疲れた顔が視界に入る。
昨夜、眠ってしまった彼女の姿を思い出す。
(ああ……こんなに働かせてしまって……俺のせいで)
反省とともに、今度は彼女を助けるための行動が、
自分の胸を突き動かす。
蓮は資料を整理し、
具体的な行動計画を口に出して確認する。
優里は目を細め、わずかに微笑む。
「……ふむ。やる気だけは認めます。ただし、結果で見せてください」
蓮の心臓は再び高鳴る。
昨日までの自己満足とは違う、確かな手応え。
(やっと……本気で認めてもらえるかもしれない……)
しかし、優里の表情は一瞬で戻る。
疲れと緊張が混じった、普段通りの鋭さ。
蓮は資料を握りしめ、拳を軽く握る。
(よし……行動で示す……俺の力で……)
その瞬間、会議室の時計の針が静かに進む音だけが響いた。
蓮は深呼吸を一つ、そして決意を胸に、
明日からの挑戦の第一歩を踏み出す覚悟を固めた。
会議室のドアが静かに開き、松本が入ってきた。
蓮は資料を手に、優里の横で肩を張る。
胸の奥がざわつく。
「……あれ、君か。どうするつもり?」
松本の声は落ち着いているが、
その鋭さに空気が引き締まる。
優里は資料から目を上げた。
「……松本さん」
松本はゆっくり歩み寄り、蓮をまっすぐ見据える。
「彼、採用するつもりなのか? ここまで無駄な時間をかけて、まだ本当に意味があると思ってるのか」
蓮は咄嗟に口を開く。
「な、何だその言い方……」
だが、松本の冷たい視線が突き刺さる。
優里は資料に目を落とすが、
心のなかで少し迷っているのが見えた。
(確かに……ここまで必死にやってくれる人間も珍しい……)
松本は続ける。
「現場で汗をかかせるのはいい。でも、君が感情で判断するのか、彼の努力や実力で判断するのか。それで会社は変わるのか?」
蓮は拳を握りしめ、心のなかで反発する。
(ふざけんな……俺は昨日から行動で示してるんだ……!)
優里はその場で静かに息を吐き、決意を固める。
「……松本さん、私は結果を見て判断します。彼が具体的に現場で成果を出す限り、評価しない理由はありません」
松本は冷ややかに頷き、蓮を一瞥する。
「ふーん。じゃあ、君次第だね、蓮くん。結果を出せば認められる、出せなければ……諦めるしかない」
その言葉の重みが、会議室に静かに落ちた。
蓮の心臓は再び高鳴る。
(……よし……俺の力で、必ず結果を見せてやる……!)
優里の横顔を見つめながら、
蓮は小さく唇を噛み、次の行動に心を集中させた。
小さな壁は、確かにそこにあった。
しかし、乗り越えるべき挑戦が、
はっきりと目の前に見えた瞬間でもあった。
「…わかりました。では、星野蓮さん、一週間だけ職務についてみてください」
「えっ!? ……ほ、ほんとですか!?」
「ただし、期限は7日です。そこでなにも得られなければ”不採用です”」
「例えあなたが御曹司であろうが、結果がでなければ”不採用”です」
蓮は興奮のあまり、
まるでスポーツで優勝した選手のように
両手を天に突き上げた。
「 やったーッッッ!!!!! 優里が俺を選んでくれたッ!毎日、君の近くにいられる! 君のそばで働ける!!」
その歓声と狂喜は、静かなオフィスの隅々まで響き渡り、
数人の社員が驚きと恐怖で作業を中断した。
蓮の顔は普段の
冷徹な御曹司の面影など微塵もなく、
ただただ優里という存在の
そばにいられることへの喜びで満ち溢れていた。
「星野さん。ここは職場です。そして、あなたは一週間、つまり7日だけここにくることを許可されただけです。」
優里の冷たい一言にも、蓮の興奮は収まらない。
「わかってます! 俺、頑張ります!!!!!」
優里はこの常軌を逸した狂喜の姿に、
心底ドン引きし、
蓮のお試し採用が
大きな間違いだったのではないかと、
早くも後悔し始めるのだった。




