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御曹司なのに不採用!? ~冷徹女社長と始めるゼロからの恋と成長録~  作者: 優里


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夜明けの孤独






朝が極端に弱い優里は、

分厚い遮光カーテンに守られた

広い寝室のベッドで深く眠りに就いていた。


しかし 、その穏やかに見える寝顔は、

悪夢によって微かに歪んでいた。


夢のなかで、優里は幼少期からの光景を繰り返していた。



学生時代は常に同級生たちからの

いじめや『見下し』に晒されていた。


「あんた、いつも一人ぼっちじゃん。いつまで『天才』のフリをするの?」


「あんたなんかに起業なんか無理よ!どうせ桜庭の金だろう。すぐに潰れるわ!」


「若い女社長なんて、バカにされて終わりだ。もう諦めて、家に帰って結婚しろ!」



(分かってる…本当は今でも自信がない。いつか失敗して、『ほらみろ』と言われる日が来るのが怖い。)


(いい加減、タイミングが来たら…社長なんてやめよう。その方が、きっと楽だ。誰も批判しない。)


その常日頃の考えが、悪夢となって優里を襲い、

彼女は自分の弱さから逃げられない現実を突きつけられた。


優里は汗だくになり、体を硬直させた。



「はぁ…はぁ…。」



息を切らし、

パジャマが汗で背中に張り付いているのを感じた。


あの日々の声がまだ耳の奥で木霊している。


朝が弱い彼女の体は鉛のように重く、

現実の重力が心の重力と一体になって伸しかかる。




(なんて事ない。普通の朝だ。)



心身の疲弊から、優里の手は無意識のうちに動き出す。


自分のベッドサイドテーブルの最も奥。


誰にも見つからないように隠し持っていた

『抗不安薬』の瓶を探す。



(今すぐ、少しだけ。頭のなかの雑音を止められるなら…午前中だけ、『社長』のフリを続けるために。)


指先が冷たいガラスの小瓶を捉えた。


ただそれを握りしめるだけで、一瞬の安堵が体を巡る。


しかし、蓮と同じように優れた頭脳は、

その一瞬の安堵の『代償』を瞬時に算出した。


(だめだ。これに頼ってしまえば、依存する未来が見える。私は…『弱さ』を薬で隠す女社長になってしまう。)



彼女は一度、自分に厳しい決断を下していた。


『逃げるのはいい。でも、戦っている間は逃げない』と。



(せめて…せめて、自分がゼロスタートの社長であり続ける間は、薬に手を出さない。)



優里は、その冷たい瓶を握りしめたまま、

再びそれを隠し場所へと押し戻した。


そして、深く息を吐き、

何事もなかったかのように、

強気な『社長』の顔に戻るために体を起こす。


優里は自 分 に 言 い 聞 か せ る。


「さぁ、桜庭優里、仕事の時間だ。」









その日、

蓮が出勤する。


オフィスが開くや否や、

優里の周囲にはすでに戦場のような緊迫感が漂っていた。


優里は分厚い書類を抱え、

電話を耳に挟んだまま、デスクの間を早足で歩く。


「はい、そちらの契約書はすぐに送ります。はい、納期は厳守でお願いします!」


電話を切る間もなく、次々と社員が優里に群がる。


「優里社長、あの新規案件の進捗なんですけど、確認事項が…」

「優里さん、午前中の移動の件、資料はこれで大丈夫でしょうか?」


優里は、テキパキと的確な指示を出し、

次の予定に備えてバッグに資料を詰め込む。


その顔は、一分の隙もないビジネスモードで、

集中力は最高潮に達していた。



そんな優里の姿を、デスクで見ていたのが蓮だった。


蓮はいつものように、優里の心を溶かす決め台詞を繰り出す。



「おはよ〜優里ちゃーん♡ 今日も可愛い〜」



優里は、蓮の甘い軽口を完全にスルーした。



「悪いけど、今日忙しいの」



蓮と一切目を合わせることなく、

優里は次の指示を出すため、

そのまま社員の輪に入っていく。


蓮は、激しいショックを受ける。



「……ま、待って。 俺への“おはよう”もナシ!?笑顔もナシ!? ああ、俺の存在価値が……!!」



蓮は、優里に無視された屈辱と、

自分の愛が届かない悲しさから、

デスクに突っ伏して撃沈した。



(どうせ俺なんて、優里にとって空気だ!ただの邪魔者だ!)




優里の社長室の机の上には、

分厚い資料や高級な筆記具の横に、

小さいが異質な存在がある。


小さな白い瓶、優里が朝隠したはずの抗不安薬。


『いつでも手を伸ばせるように』という弱い心が勝ってしまった。


その緊迫した瞬間、ドアが軽くノックされ、蓮が入室してきた。


彼の表情は、本来の理知的で完璧ではなく、

優里の前だけはいつも見せる『あほ面』。


考え事に夢中で周りを見ていないかのような、

間の抜けた様子だった。



「優里。これ、昨日依頼した資料」


「…おおっと!」


蓮は資料を少し優里に近づけすぎる。


「すみません。」


蓮は両手で分厚い資料を優里の前に押し出した 。


優里がその資料に目をやり、

注意が逸れたそのわずかなすき。


蓮の逆の手、資料の陰に隠れた左手が、

水の流れのように滑らかに動いた。


机上の抗不安薬の瓶は音を立てることなく、

彼の指先に吸い込まれるように回収された。


まさに一瞬の出来事。


蓮は何も言わず、何も見ていないふりをしている。


資料を置いた後、彼は優里から離れる瞬間、一瞬だけ、

彼の右手の親指を優里に向かって『隠すように』立てた。


それはまるで、『君は大丈夫だ』と言わんばかりに。


(…なにを。)


優里が何が起きたのかを理解するのには、数秒かかった。


薬が消えている。

しかも蓮によって。


彼は、彼女の最も隠したい弱さに気づき、

それを静かに奪い去った。



「では、失礼します。桜庭社長。」



蓮は、何もなかったかのように退室する。



(あの人…いつ気づいた?なぜ…私の弱点を知った上で、あのような優しい手段をとったの?)



蓮は、優里が『ただの優里』を演じていた時から、

彼女が完全に安定しているわけではないことに気づいていた。


優里を溺愛する彼にとって、

天才と称賛されている優里の微妙な精神的な波動を

捉えることは難しくなかった。



(分かっていた。優里の『強気』は、彼女の『弱さ』を覆い隠す最大の仮面だ。いつものように完璧だが、時折、その瞳の奥に疲労と絶望がよぎるのを私は見逃していない。)



しかし、蓮はそれまであえて口を閉ざしていた 。


彼の論理では、彼女の精神的な問題を指摘することは、

彼女の自尊心を傷つけ、

かえって状況を悪化させるだけだったから。



(『ただの優里』でいたい彼女にとって、そのような弱さは、自分の存在を否定されるのに等しい。だから、『見て見ぬふりをする』のが最適解だった。)


しかし、今日、社長室の机上に置かれた

抗不安薬の瓶を見た瞬間、

蓮の論理は『沈黙』から『行動』へと切り替わった。


彼は一瞬でそれが何であるかを悟り、その結果を計算した。



(…薬だ。これは、彼女が自らの誓いを破る寸前にいるという最悪の証拠だ。)


(いま、彼女は孤独と戦っている。そこに薬という『一時的な逃避』を与えてはならない。彼女の言うとおり、依存する未来が最も不利益な結果だ。)



その結果、蓮は『あほ面』で入室し、

優里の注意を資料に逸らせた隙に、

最速の動作で薬を回収した。


それは、優里を守るための『最も論理的な優しさ』だった。



(口では何も言わない。君は俺に『弱さ』を見せる必要はない。ただ…君が自分の足で立つために必要な『障壁』をそっと取り除いただけだ。)


彼が退室前に見せた親指を立てる動作は、

『君の選択を尊重する。だから、自分の誓いを果たせ』という

非言語のメッセージを優里に送っていた。







夜。 

蓮は、自らの家系が築き上げた「星野グループ」が

主催する大規模なパーティーに呼ばれていた。


会場は、煌びやかなシャンデリアの下、

財界、政界、そして社交界の最高峰の人々で埋め尽くされている。


タキシードに身を包んだ星野蓮は、

昼間のオフィスでの軽薄さや、

優里の前での赤面ぶりが嘘のように消えていた。


彼の顔には、自信と育ちの良さが滲む、

完璧な笑みが浮かんでいる。


煌めくシャンデリアの下、

国内外の政財界の重鎮たちがグラスを片手に言葉を交わし、

空気には緊張と品格が漂っている。


その中心で、蓮はゆるぎない立ち居振る舞いを見せていた。

背筋を伸ばし、誰に対しても笑顔を崩さず、

時に柔らかく、時に的確な言葉を選ぶ。


「本日はご臨席賜り、誠にありがとうございます。父に代わり、私からも厚く御礼申し上げます」


低く澄んだ声に、年配の来賓たちは頷き、

若手の実業家たちは羨望を隠さなかった。



蓮は自然に相手の懐へ入り込む術を心得ていた。


政治家には未来志向の話題を振り、

海外企業の重役には流暢な英語で対応し、

老舗の会長には昔馴染みの家族の話で場を和ませる。


その所作は、まさに一流の御曹司そのものだった。



そんな蓮を少し離れた席から眺めていた晴人は、

グラスを傾けながら小さく笑った。


(……これが本来の星野蓮なんだよな)


彼は幼なじみとして蓮をよく知っている。



勉強も運動もそつなくこなし、

何よりも人前では決して粗相をしない完璧な御曹司。


企業の後継ぎとしての教育を幼い頃から叩き込まれてきた蓮は、

いざという時に百点満点の振る舞いをする。


だが晴人の脳裏には、会社で優里の前にいる蓮の姿が浮かんだ。


優里に冷たくあしらわれて赤面し、

妄想で暴走して社員に羽交い締めにされる蓮。


それと今、堂々と挨拶周りをこなし、

誰もが称賛する御曹司・蓮の姿。


あまりにもかけ離れている。


(……優里さんがいるときだけ、あいつは“普通の男”になるんだな)


晴人はそんな蓮を不思議に思いながらも、

どこか羨ましくも感じていた。


御曹司として完璧に生きてきた蓮が、

唯一取り繕えずに素の自分をさらけ出してしまう相手。


それが優里なのだろう。




会場の奥、メインステージに立った蓮は、

集まった視線を一身に受けていた。


ただ立っているだけで絵になる。


姿勢、表情、仕草。


すべてが計算され尽くしているようで、

同時に自然体でもある。


乾杯のスピーチを終えた後も、

蓮は休む間もなく来賓たちと会話を交わした。


「先日の新規事業のお話、拝見しました。御社の理念には強く共感しております」


「いや、私などまだ修行中の身です。父の背中を追うだけで精一杯ですよ」


謙虚さを忘れず、それでいて確かな自信を滲ませる。



相手の肩書きや年齢に左右されず、

誰に対しても同じ目線で向き合うその姿勢が、

自然と人の心を掴んでいく。


いつの間にか蓮の周りには人だかりができ、

彼が微笑むたび、会場の空気が華やいでいった。



晴人は一歩引いた場所からその様子を眺めていた。


幼なじみであり、普段は残念な男にしか見えない蓮。


だがこの空間では、間違いなく

「星野グループの御曹司」として輝いていた。


老練な経営者が蓮の肩を叩き、

「次代は安泰だな」と笑う。


海外からのゲストが流暢な英語で彼を称賛し、

蓮もまた即座に英語で応じる。


そのスマートさに周囲が感嘆の声を漏らす。


晴人は静かにグラスを口に運んだ。


(……こっちの顔を見てると、優里さんが彼に惹かれるのも当然だと思えるよな)


そして思う。

優里の前で無様に転げ回る“残念な蓮”も、

こうして一流の舞台で人を惹きつける“御曹司・蓮”も、

どちらも間違いなく同じ人間なのだと。



やがて、会場に音楽が流れ、蓮はスッと立ち上がった。


背広の裾を軽く整え、

再び堂々とした足取りで来賓の輪へと戻っていく。

その背中には、次代の星野グループを背負う者の

覚悟が確かに刻まれていた。



そんな蓮に声をかけてみる。


「おぼっちゃま」


「その呼び方はやめろ。恥ずかしいだろ?」


照れたように顔を赤くする蓮。

ワインの酔いが回っているのか、単純な照れなのか。


「なんだよ、事実だろ?」


蓮は苦笑いしてワインの入ったグラスを揺らす。

その顔は退屈であることを物語っていた。


「相変わらずこういうの場慣れしてるだろ?」


「…そのはずだったんだけどな」


「……退屈なんだよ。あの子がいないから」


「この前あんなに醜態晒したのに懲りてないのか?」


「…なっ!酒で失敗することなんて俺の人生ではなかったぞ!本命の前で情けない…」


「…本命だから失敗したんだろ?」


「あの子の前では失敗なんて許されないんだ!今日こそ完璧にこなさなきゃ!」


蓮は背中をピンとして歩いて行った。

蓮の本命はこの場にはいないのに。


晴人は苦笑し、静かに呟いた。


「……やっぱり、御曹司だよな。あいつは」





シャンデリアが煌めく会場の片隅。


ワイングラスを片手に談笑していた蓮の前に、

一人の女性が歩み寄ってきた。


真紅のドレスに、深いスリット。


肩から背中にかけて大きく開いたデザインは、

視線を奪うことを前提にしたものだった。


かつての蓮、夜の街で刹那的に遊んでいた頃なら、

間違いなく最初に声をかけていたであろうタイプの女性。


「はじめまして。スタートアップ企業『ヴェリテクノロジー』代表の相沢と申します」


彼女は妖艶に微笑み、差し出された名刺からは

立ち上がるような自信が感じられた。



だが、今の蓮は違う。

優雅に微笑み返し、スマートに名刺を受け取りながらも、

視線は必要以上に相沢の身体を追うことはなかった。


(……悪いな。俺の目には、優里しか映らねぇんだよ)



そう、星野蓮は今や「御曹司」であると

同時に「一途な男」になりつつあった。


「星野グループの次代を担うお立場でありながら、こうして気さくにお話しくださるなんて光栄ですわ」


「いえ、まだまだ父の背中を追っているだけですから」


御曹司としての顔を崩さぬまま、蓮はにこやかに応じる。


だがその次の瞬間、相沢の言葉が彼の胸を打ち抜いた。


「ところで、優里さんとは、普段どんな関係を築いてらっしゃるの?」


一瞬、蓮の笑みが引き攣る。

まるで核心を突かれたように。


「……彼女は、信頼できるビジネスパートナーですよ」


表面上は淀みなく答える。

だが心の中では、御曹司モードがぐらりと揺れた。


(は?なんで優里の名前……? この人、なんで優里のこと知ってんだよ!? もしかして俺と優里の関係を誤解して……いやいや、むしろ確信してんのか? っていうか俺たち、まだ正式に付き合ってすらねぇのに!!)


御曹司の微笑みを保ちながら、脳内では大暴走が始まる。


妄想のなかでは、優里が相沢に呼び出され、

冷たい視線で言われていた。



「御曹司に近づくのはやめたほうがいいわ。あなたには似合わないもの」


「俺が守るから安心しろ優里ぃぃ!」


現実の蓮はただ、にこやかにグラスを掲げるだけだった。

だが心臓の鼓動は、

御曹司の冷静さと妄想の暴走との狭間で跳ね上がっていた。


相沢の紅い唇がもう一度、優里の名をかすめる。

その瞬間、蓮は悟る。



これはただの名刺交換でも、ただの雑談でもない。



“優里にまつわる何か”が、

この女社長を通して少しずつ動き出そうとしていた。



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