御曹司、屈辱を味わう
翌日。
蓮は昨夜の酒の余韻を残したまま、夜を明かした。
「おはよ、まだ酒残ってるんじゃないの?」
晴人はソファに座りながら、蓮を見つめる。
「……気にすんな。昨日は飲み明かしたけど、本来面接の練習をしに来たんだ」
蓮は渋々ながらも意を決して言った。
晴人はにやりと笑い、ノートパソコンを開く。
「よし。今日は徹底的にやるぞ。あの女、冷徹だからな。練習なしで行ったら確実に返り討ちだ」
蓮は椅子に深く座り、メモを広げる。
「志望動機……どうすればいいんだ?」
晴人は腕を組んで考える。
「正直に言うしかないんじゃないか? 御曹司とか肩書きとか抜きで、ここで何をしたいか、何を学びたいか」
「……それって、俺らしくない気がする」
蓮は苦笑いを浮かべる。
「俺はいつも、自信満々で、金もコネもある。そうやってやってきた」
「でも、今回は違うんだろ?」
晴人は真剣な目で蓮を見つめる。
「今回の相手は、金や肩書きじゃ動かせない。だから、自分自身の言葉で勝負するしかない」
蓮は息をつき、拳を握る。
「……わかった。やるよ。俺、自分の力で認めさせる」
晴人は満足そうに頷き、模擬面接を始める。
「あなたがこの会社でやりたいことは?」
「御曹司としてではなく、僕自身として、現場で学び、会社を成長させる力をつけたい」
「弊社の現状で最も注力すべき課題は?」
蓮は資料を見ながら答えをまとめ、繰り返し練習
一時間が過ぎる頃には、
蓮の言葉には少し自信が宿っていた。
「……これなら、多少は通用するかもしれん」
晴人はパソコンを閉じ、にやりと笑う。
「じゃあ、今度は実戦だ。行くぞ、再びあの子の前に」
蓮は深く息をつき、革靴の紐を締め直す。
「……よし。絶対に、今日は違う。必ず認めさせる」
街を歩き、会社のビルに到着する。
ガラス張りの会議室の前で立ち止まり、
蓮は一瞬だけ深呼吸する。
「……準備はできた」
ドアをノックすると、
部屋のなかからあの声が聞こえる。
「どうぞ」
優里が、いつものふんわり黒髪ショートで、
しかし眼差しは変わらず冷徹に蓮を見つめる。
蓮は拳を握り直し、胸を張る。
「……また来たぞ」
その瞬間、蓮のなかで、
御曹司としてではなく、
自分自身の力で勝負する覚悟が固まった。
「……またあなたですか?」
「はい。今日は、御曹司としてではなく、俺自身の力で挑戦しに来ました」
言葉に、昨夜と今朝の練習で磨いた
落ち着きと誠意が込められている。
「飽きません?」
「全く…!」
優里は目を細め、書類をちらりと見る。
「……わかりました。お話だけでもお聞かせください。」
会議室に沈黙が落ちる。
蓮は座り、背筋を伸ばす。
「では、志望動機をお聞かせください」
「私は、御曹司だからとか肩書きがあるからではなく、ここで現場を学び、実際に会社を成長させる力を身につけたいと思っています」
優里は静かに頷き、次の質問を投げる。
「あなたに必要な能力は何だと思いますか?」
「柔軟性と行動力です。私はこれまで、知識や肩書きに頼ってばかりでした。しかし、現場で汗を流し、失敗を重ねることが最も重要だと理解しました」
その言葉に、優里の眉がわずかに動いた。
「……なるほど」
「私を通じて、社員の意見を聞き、実際に手を動かし、数字と結果で学ぶこと。それが、今の私に必要なことだと思います」
会議室の空気が少しだけ変わる。
優里は冷たくも厳しい視線を蓮に向ける。
「……あなたの話は理解しました。」
「でも、ぜーんぶ、定型文ですね」
「…えっ!?」
(ばれた…!?)
「定型文、テンプレートです」
「……はい」
「どうしても入社したいなら、一つ課題を出します」
「現場での具体的なアクションや課題に対する改善策を、次回までにまとめてきてください」
蓮は、あっけなく切り捨てられた。
だが今回は、以前のように心が折れることはなかった。
「……わかりました。次回は必ず、結果で示します」
優里は資料に目を落としたまま、静かに頷く。
「……期待しておきます」
会議室を出た蓮は、エントランスで拳を握りしめる。
「……やっと、手応えを感じた」
肩書きや金ではなく、
自分自身の力で挑戦する道。
この道こそ、優里に認めさせる唯一の方法だと理解した。
夜の街に戻ったとき、蓮は晴人に目を向ける。
「……次も頼むぞ、晴人」
「当然だ。俺がいなきゃ、お前はまだやさぐれてるだけだろう?」
笑う晴人の顔を見て、蓮も微かに笑った。
街の光が二人を照らす。
御曹司としてではなく、
自分自身として挑む戦いが、今、始まったのだった。
会議室のドアが閉まる音とともに、
優里はしばらく静かに資料を見つめていた。
その隣には、優里を支える社員の一人、
松本隼人。
27歳、入社3年目。
優里に絶大な信頼を寄せる。
現場感覚も鋭く、優里の経営判断を影で支えている。
「社長、さっきの面接……あの御曹司、また来ましたね」
松本は淡々と報告する。
だが、目の奥には警戒と嫉妬が混じる。
優里は軽く笑う。
「……今回は少し、変化を感じたけれど」
松本は目を細め、声のトーンを少し落とす。
「社長、正直に言います。あなた、優しすぎるんです」
優里は眉をひそめる。
「……優しい?」
「はい。社員にも、投資家にも、そして挑戦者にさえ。断るべきところをためらってしまう。優しさは美徳ですが、経営者としては足かせになることもあります」
松本の視線が、蓮のことをちらりと捉える。
「……今回の御曹司も、社長の優しさを利用しかねません」
優里は一瞬黙り込む。
自分が信じる人を大事に思うあまり、
決断が鈍ることがある。
松本の言葉は胸に刺さる。
「……ありがとうございます。確かに考え直す必要があるかもですね」
優里の口元に笑みが浮かぶが、
目の奥には鋭さが戻った。
「次にあの御曹司が来たときは、ちゃんと見極めます」
松本は小さく頷く。
だが心中では、蓮が優里の前に現れるたび、
複雑な感情が渦巻いていた。
嫉妬、警戒、そしてライバル心。
夜景が窓越しに輝くなか、蓮の再挑戦の夜。
優里もまた、自らの経営者としての覚悟を確認する
冷たい会議室の空気に、蓮の呼吸だけが響いた。
再び、あのガラス張りの会議室。
蓮は胸を張り、椅子に腰掛けた。
だが、心のどこかで小さな焦りが芽生えている。
「志望動機をもう一度お聞かせください」
優里の声は柔らかいが、その眼差しは鋭く、容赦がない。
蓮は深呼吸し、口を開く。
「今回は、御曹司としてではなく、俺自身の力で、御社の成長に貢献したいと」
しかし、優里はすぐに言葉を遮る。
「……あなたの言葉は、まだ口先だけです。現場での具体的なアクションや改善策を示してください」
蓮は言葉に詰まる。
昨夜、晴人と何度も面接練習を重ねたはずだった。
だが、目の前の優里の目には、
以前よりも冷たく、厳しい判断が宿っていた。
「……俺は、やる気だ!必ず結果を出す!」
拳を握りしめるが、
優里の冷静な視線の前に、言葉は力を失う。
「……残念ですが、今回も不採用です」
沈黙が会議室を包む。
蓮の胸の奥で、怒りと焦燥、そして悔しさが渦巻く。
「……くそっ!」
思わず声に出してしまった。
だが、周囲には誰もいない。
自分を叱咤するしかないのだ。
会議室を出た蓮は、無意識に背中を丸め、
階段を下りながら夜の街へと足を運ぶ。
高級車も取り巻きもいない。
ただ、冷たい風だけが彼を打ちつける。
「……まだダメか」
呟く声に、昨夜の決意が揺らぐ。
いまだに入社できない現実。
御曹司である自分にとって、
それは信じられない屈辱だった。
「……どうすれば、あの女に認められるんだ?」
拳を握る手に力が入る。
再挑戦の道は、想像以上に険しかった。
蓮がエレベーターを降りてエントランスに向かうと、
受付嬢の人たちがコソコソと話している。
「あの人またダメだったの?」
「ビジュアルはいいのに」
受付ゲートを通過する際に、
1dayパスをくれる警備員でさえ、
蓮のことを覚えたようで、
何とも言えない表情で見つめていた。
「…なんだよ。みんな...。」
思わず心の声がこぼれそうになる
(バカにしやがって、俺は星野グループの御曹司だぞ)
(俺の正体を知ったら全員ひれ伏すはずなのに。…なのに)
「…なんなんだよ」
(くそ…。御曹司のオレがこんな所で負けてたまるかよ)
「…ぜってぇ、認めさせてやるからな!」
その決意は、蓮の胸のなかに、
やる気という炎の灯火が燃えるきっかけになった。




