同窓会の攻防戦⑦
夜の闇に包まれた部屋で、
蓮はベッドにうつ伏せになったまま、
頭の中で妄想の嵐を巻き起こしていた。
優里が玄関から帰ったあと、
何も手につかず、
何も考えられず、
ただひたすらに心のなかで暴走する。
(あぁ、今頃どうしてるんだろう……あの男と、あんなことやこんなことしてるんじゃ……!)
胸が締め付けられるように痛む。
手足の力が抜け、体がベッドに沈む。
しかし目は閉じられず、
妄想はどんどんリアルさを増していく。
(いや待て……でも、オレだったら絶対、あんなことはさせない……! 俺が隣にいたら……高校のときも、今も、ぜったい守ってた……!)
蓮の頭のなかでは、
過去の優里と今の優里が入り混じり、
時間も空間も無視された妄想劇場が展開される。
高校時代、制服姿の優里が笑う。
「もしあのとき、俺が隣にいたら……」
(いや、やめろ……!妄想だけで十分だ……現実じゃ絶対やっちゃいけない……!)
しかし理性は吹き飛び、妄想はさらに過激になる。
「今頃あの男は……!」
優里の笑顔が脳内で暴走し、
怒りと嫉妬と妄想が入り混じった自爆モードに。
体を震わせ、声にならない声を漏らす。
「……俺、なんでこんなにバカなんだよ……!」
拳でベッドを叩き、布団を蹴り、
頭を抱えて自分の愚かさに呻く。
それでも妄想は止まらず、
今度は現実の行動に置き換わる。
(……車で迎えに行く……助手席に優里を乗せて……シートベルトをしてあげて……距離が近くて……そのまま……あぁぁぁ!)
ベッドの上で悶え、頭を抱え、唸る。
まるで自分の妄想に翻弄される人形のように、
蓮は夜の闇に自爆を繰り広げる。
時計の針は静かに進むが、蓮の心拍数はMAXのまま。
妄想が現実に混ざり、嫉妬と恋心と自責の念が渦を巻き続け、
夜はまだ長く、そして深く、蓮を支配していた。
月曜日。
蓮は、優里の「付き合えない」という拒絶、
そして「みんな同じじゃん」という糾弾による
肉体的・精神的なダメージを全身に負い、
重い足を引きずりながら会社に向かっていた。
彼の頭の中は、優里に怒鳴り散らし、
最低の男として家から追い出されたという、
週末の敗北の記憶でいっぱいだった。
「おはようございます…。」
蓮は、受付で挨拶をしながらも、
その声には覇気がなかった。
優里と顔を合わせる恐怖が、彼の胃を掴んでいた。
(きまずい。いや、きまずいを通り越して地獄だ。今日、優里に会ったら絶対……)
罵倒されるか、無視されるか。
蓮は、どちらにしても
「優里の隣にいる」という彼の唯一の目標が、
完全な終わりを迎えたことを悟っていた。
エレベーターから降り、廊下を歩く蓮の視界に、
会議室のドアが開く光景が飛び込んできた。
そして、そのドアから出てきたのは、
まさに蓮が最も恐れていた人物だった。
優里だ。
優里は、打ち合わせを終えたばかりなのか、
数人の社員と一緒だった。
蓮は反射的に、廊下の隅にある植木の陰にでも
隠れたい衝動に駆られたが、もう遅かった。
「あっ…。」
蓮は、声にならない悲鳴を上げ、
優里の冷たい視線を受け止める覚悟を決めた。
優里も、蓮の姿を一瞬で捉えた。
彼女の冷徹な瞳は、
蓮を捉えた瞬間、一切の感情を失った。
週末に見せた弱々しさも、怒りも、悲しみも、
全てが消え失せ、残ったのは完璧な無関心だった。
優里は、蓮に向かって、
まるで初めて会う取引先にでも話しかけるかのように、
事務的でよそよそしい挨拶を口にした。
「……おはようございます」
その言葉は、平坦で抑揚がなく、
蓮という存在を
「ただそこにいる空気のようなもの」
として処理するような冷たさを帯びていた。
優里は、それ以上の言葉を交わすことなく、
蓮の目を見ることもなく、そのままそっけなく、
速やかに、廊下の奥へと去っていった。
廊下には、優里が残した氷のような空気だけが残った。
蓮は、優里が去った方向を、動けないまま見つめていた。
(あーあ、完全に嫌われたな、俺)
優里の会社を救うという彼の努力も、
一途な愛も、全て無意味であったことを証明していた。
蓮は、あの夜、優里の弱さを目の当たりにしながらも、
己の感情の暴走と最低な行為によって、
優里の心から完全に退場させられたことを悟った。
彼の月曜日は、
優里の冷たい「おはようございます」という一言から始まる、
絶望的な地獄となったのだった。
蓮の心は完全に打ちのめされていた。
しかし、ここで終わるわけにはいかない。
彼は自分の感情の暴走と最低な行為を謝罪し、
優里の「同じ」という言葉の真意を
問いたださなければ、
前に進めないことを知っていた。
蓮は、重い足取りでフロアを歩きながら、
心の中なか何度もシミュレーションしていた。
(よし……話しかける。いや、絶対話しかける。俺、逃げない!)
会議室前で資料を整理している優里を見つけ、
胸が高鳴る。
机越しに見える彼女の姿は、冷静で整った佇まい。
普段なら微笑みすら見せる優里だが、
今朝はその気配すらない。
(こういうときは、自然に「おはよう」だけでも…いや、それじゃ弱すぎるか…いやいや、笑顔で「おはよう」だ、絶対!)
蓮は息を整え、意を決して歩を進める。
しかし足取りは鉛のように重く、
心臓は早鐘のように打つ。
指先は微かに震えて、
手のひらは汗でじっとりしていた。
「お、おは……」
口を開こうとした瞬間、
優里はすっと体をそらし、
さりげなく蓮との間に距離を作る。
(えっ……!避けられた!?いや、きっと気のせいだ、気のせいに違いない!)
結局、優里は手元の資料を整え、
さりげなく立ち去ろうとする。
蓮は口を開けたまま立ち尽くし、声が出ない。
(ちくしょう……!なんで話せねぇんだよ……!)
目の前で去っていく優里の背中を、
蓮はただ見つめるしかなかった。
フロアに残るのは、蓮の重い呼吸と、自己嫌悪だけ。
結局、一言も話せず、優里は遠くへ去っていった。
蓮は深くため息をつき、
頭を抱えながらその場にしゃがみ込む。
(あーあ、またやっちまった……)
蓮は、優里が廊下を歩き出した次の瞬間、
優里の行く手を塞ぐように、正面から歩み寄った。
今度は声をかける前に、優里を立ち止まらせるつもりだった。
「優里、頼む、話を聞いてくれ」
蓮が優里の目の前で立ち止まると、
優里は蓮の存在を認識しているにも関わらず、
まるで目の前に障害物がないかのように、
ごく自然に、そしてスムーズに、
蓮の体を大きく迂回して歩き始めた。
優里は、蓮の必死な表情を一瞥することもなく、
完璧なよそよそしさを保ったまま、
人事部の廊下を通り過ぎていった。
蓮は、優里が自分の隣を通り過ぎていく冷たい風に、
思わず立ち尽くした。
(なんだよ、あれ……! 避けられたとかいうレベルじゃねぇ!俺という存在が、優里の視界から完全に消えてる! まるで、透明人間だ……)
蓮は、結局その日、優里と一言も話すことができなかった。
彼の謝罪も、弁明も、愛の言葉も、
優里の冷徹な防御壁の前では、空虚な独り言と化していた。
蓮は、自分の嫉妬の暴走が招いた最悪の結末に、
深い絶望を覚えるのだった。
蓮はフロアで自己嫌悪に沈んだまま、
ようやく意を決してデスクに戻り、荷物をまとめる。
(よし、もう今日のことは忘れよう……いや、忘れちゃダメだ。明日こそ、絶対話しかける!)
(ちくしょう、あの瞬間に「おはよう」って言えば……いや、言ったら言ったで顔真っ赤になってたかもな……)
悔しさと笑いが入り混じり、
いつの間にか蓮の心は少しだけ軽くなる。
(よし、明日こそだ!俺は絶対話す!失敗しても次がある!…っていうか、明日は笑い話にしてやる!)
気持ちを整理したところで、
蓮はオフィスのドアに手をかける。
(さあ、帰るか……明日に向けて気持ちを切り替えよう……)
しかし、フロアの外に出た瞬間、背後から声がかかった。
「お兄さん、ちょっといいですか?」
蓮は突然、優里の同窓会の女の子に手を引かれ、
少し戸惑いながらも連れて行かれる。
(うあぁー!こんなの優里が見たらどうすんだよ!浮気だぞ浮気!いや、付き合ってもないんだから浮気でもないのか……!?)
連れてこられたのは落ち着いた雰囲気のカフェ。
窓から漏れる街灯の光がちょうど二人を照らす。
(この状況、優里が見たら嫉妬爆発とかあるんじゃないか……いや、いやいや、俺は別に浮気してるわけじゃ……!)
女の子はにっこり笑いながら蓮を座らせ、静かに口を開く。
「えっと……あ、優里なら嫉妬とかしないですよ?」
蓮は思わず内心で叫ぶ。
(なんで読まれてんだよ!俺の気持ちを勝手に先読みしてる……!?)
女の子は、さらに真剣な表情に変わり、
蓮をまっすぐ見つめる。
「あの……優里のこと、好きなんですか?」
蓮は咄嗟に答えを濁す。
「え?どうして?」
「この間、カフェまで追いかけてたから……」
(なんでこの子にまでばれてんだよ!?俺、必死に隠してたつもりなのに……!)
蓮の顔が赤くなるのを見逃さず、
女の子はさらに言葉を重ねる。
「私がこんなこと言うのもあれですけど……優里のこと、本気なんですか?」
蓮は戸惑いながらも問い返す。
「どうして?」
女の子は少し視線を逸らし、
深呼吸してから真剣に告げる。
「優里を、傷つけないでください……」
蓮は思わず心がざわつく。
「えっ?」
女の子は声を落として続ける。
「あの子、恋愛に弱いんです。というか、すべてにおいて弱いし、メンタルやられやすいんです。だから遊ばないであげてください。もうこれ以上、あの子が傷つくのを見るのは嫌なんです……」
蓮の胸に言葉が突き刺さる。
(……そうか、だからあんなに弱々しい声で呼んできたんだ。あの時、カフェで見せた顔……全部本当の優里だったんだ……!)
「傷つくって……?」
女の子は会話を続けた。
「あの同窓会のとき、あのあとカフェに優里といた人いましたよね?」
(やっぱり元カレ!?)
蓮の心臓が跳ねる。
優里が「彼氏はいなかった」と言っていたが、
あの空気はただの友達ではなかった。
「あ、付き合ってはなかったですよ?」
(だからなんで読まれてるんだよ!俺の心のなかの元カレ疑惑が完全に筒抜けじゃないか!)
蓮は内心で叫んだ。
「告白はしてましたけど…」
「やっぱり…」
あの男は、過去に優里に告白した男、
つまり優里の過去を知る最大の敵だったのだ。
「優里ってモテるんですよ。本人自覚ないけど、だから傷ついてきた」
その言葉は、優里が「鈍感な超絶モテ女」であることを確定させた。
しかし、そのモテ体質が、
優里の心の傷の原因であったと知らされ、
蓮の嫉妬は深い同情へと変わる。
女の子は、優里の恋愛トラウマの決定的な瞬間を語り始めた。
「高校一年生のとき、あの人が優里に告白したんです。それで優里は『考えてみる』って答えたんです。でもその後、その人を好きだった別の女の子が、優里の悪口を言ったり、あることないこと吹聴したりして……」
蓮は、高校の女子の陰湿さと、
優里の純粋さを想像し、
体が凍り付くのを感じた。
「結局、優里が考えている間に、『イメージと違った、そんな子だと思わなかった、期待させたくせにガッカリ』って言われちゃったんです」
「しまいには、『俺の時間を無駄にした。俺の時間返せ。お前なんか好きになって損した』って言って、優里を傷つけた。全部作り話で噓だったのに」
蓮の頭のなかで、
あの夜の優里の表情と「期待して損したわ!」という
蓮の暴言が、鋭い光を放って結びついた。
(ガッカリ……。あの言葉が、優里の最も深いトラウマを抉り出したんだ……。あのときの『同じじゃん』は、『結局、お前もあの男と同じく、私にガッカリするんだね』ってことだったのか!)
蓮の頭のなかが真っ白になる。
(な、なんだよそれ……!?……俺なら絶対……守ってやるのに……!)
女の子の声がさらに重みを帯びる。
「それ以来、優里は恋愛が怖くなっちゃったんです……」
蓮の心は焦燥感と悔しさでいっぱいになる。
(だからあんなに冷たくしてきたのか……本当は弱くて、傷つきやすいんだ……!)
女の子の話はさらに続いた。
優里を傷つけたのは、恋愛だけではなかった。
「それだけじゃない。優里は性格いいし、頭もいいし、かわいいから、みんな優里を狙うし、あの子のそばにいるだけでおこぼれ貰えるようなもんだから、男女問わず近づいて、あの子を傷つけた」
「そんなことが…」
「優里、たまに指輪つけてることありますよね?右手の薬指。あれもダミーですよ。」
「誰もがうらやむ優里の美貌は優里にとって”呪い”のようなものですから。」
「これ以上傷つかないようにするには、ダミーの指輪をつけて、来る人全員を拒んで、ひとりで孤独になるしかなかった。」
「誰のことも信じなければ、傷つけられることもないから。」
蓮は、優里の冷徹な社長の仮面が、
純粋な心を何度も踏みにじられた結果の
防御策であったことを知った。
優里にとって、
「人からの好意」や「近づいてくる人間」は、
全てが「傷つけられる可能性」とイコールだったのだ。
「みんな同じじゃん」という言葉は、
蓮の一途な愛を否定したのではなく、
「人間不信」という優里の根深い心の叫びだった。
そして、蓮自身が「期待して損した」という言葉によって、
優里のトラウマを上書きしてしまったのだと、
蓮は絶望的な真実を悟った。
蓮は女の子の話を聞き終えた瞬間、
頭のなかが一気に爆発する。
(……そうか、だからあんなに強がってたんだ!あの冷たい口調の裏には、全部弱さが隠れてたんだ……!)
(なら、今なら俺が……守れる!誰よりも、絶対に守れるんだ……!)
蓮の妄想はもう止まらない。
頭のなかで繰り広げられるのは、
現実の優里と自分が手を取り合い、
誰も近づけない完璧な守りのシナリオ。
(元カレ?いや、そんなの全部関係ない!今の優里は俺のものだ!)
(もしあのとき、俺が高校生だったら……いや、今でも十分だ!俺が隣にいれば、あの過去の傷も癒せる!)
(あの子がふと寂しそうにしたら、すぐ抱きしめて、温めて……、あの子の笑顔、独占して……!)
妄想はさらに暴走する。
優里が不意に泣きそうな顔をした瞬間、
蓮は瞬時に駆け寄り、腕のなかで守る。
優里の声が震えると、
蓮は耳元で「大丈夫、俺がいるから」と囁き、距離を詰める……。
その妄想の最中、女の子の声が蓮を現実に引き戻す。
「……あの、聞いてますか?」
蓮はびくっと体を震わせ、現実を見渡す。
カフェのなかで、女の子がじっとこっちを見ている。
(あっ、やば……俺、完全に頭飛んでた……!)
「え、えっと、す、すいません……!」
思わず小さく謝る蓮。
「優里、高校生のとき、エタニティリングにあこがれてましたよ」
「エタニティリング…?」
「キラキラしてて綺麗、いつか渡してくれる人が現れるかなって。」
「まぁ、一年生の純粋な時でしたけど。」
「でも、現実は残酷ですよね。優里の前に現れる人は指輪をプレゼントするどころか、ナイフで優里を傷つける人ばかり。」
「…私も、その一人だったから。」
「…えっ?」
「嫉妬してたんです。優里に。ないものねだりだったんです。」
「本当は気づいてた、優里に近づく人が優里を傷つけるのは嫉妬だって。でも言えなかった。」
「……いや、言わなかったんです。すべて持っているあの子に嫉妬してたから。だから知らないふりをした。」
「…私も同じようにいったんです。」
「”あなたが傷つくのはあなたのせい”、”全部あなたが招いたこと”って…」
「最低ですよね。嫉妬だって、たった一言言えば、あの子は傷つかずに済んだのに」
「そのせいで優里は、誰のことも信じなくなったのに…」
「いや、それだけじゃない。言わないだけでほんとは、この世から消える寸前だったでしょうね」
(…爆弾発言すぎるだろ)
「…これが、私にできる、せめてもの償いです」
「私は優里を裏切って傷つけ続けた。だから、あなたはそばにいてあげてください」
「もう二度と、あの子が裏切りという恐怖に苦しめられないように」
女の子はにやりと笑いながら、
「ほんとに好きなんですね……」と一言。
蓮は顔が熱くなり、頭のなかでさらに妄想が加速する。
(好き、だって……好きすぎる……!)
(この手で守るんだ……今度こそ、誰にも渡さない……!)
蓮は手を握りしめ、
心のなかで決意を何度も反芻する。
(よし、次のチャンスが来たら、絶対に守る。今度は絶対に、俺の隣から離さない……!)
妄想と決意が入り混じったまま、
蓮はカフェを出るとき、
まだ興奮冷めやらぬまま肩で息をする。
(……くそ、俺、本気でやばい。完全に優里病だ……!でも、いい……、後悔はしない……!)
「全ての悪意から、俺が守ってやるからな」
蓮の「優里病」は、
ついに救済者としての「優里依存」へと変貌を遂げた。
彼の眼差しは、
優里の凍てついた心の奥底をまっすぐに見据えていた。
優里を傷つけた男として退場したはずの蓮の物語は、
今、彼女の騎士として、
第二幕の幕を開けたのだった。




