同窓会の攻防戦⑥
蓮はベッドの上で飛び上がり、
心臓を爆発させながらスマホを耳に当て直した。
電話の向こうからは、いつもとはまるで違う、
弱々しい優里の声が聞こえてきた。
『寝てた…?』
「い、いや? ま、まさか寝てなんかいねーよ!」
蓮は、布団を蹴散らした興奮と、
優里との「夜の密会」という可能性に、
呼吸が乱れるのを必死で隠した。
『いま、どこにいますか?』
「家だけど…」
蓮は即答したが、
優里はさらにもう一歩踏み込んだ質問をしてきた。
『...誰の?』
「俺のだよ、俺の家に決まってんだろ!」
(な、なんだよこの尋問!もしかして、あの男と別れたばっかで、俺のアリバイを確認してんのか!?)
蓮の胸が高鳴るなか、
優里の口から、衝撃的な一言が発せられた。
『いま、マンションの下にいるんですけど、少し会えないですか?』
(えぇーっ!!!!)
蓮の心のなかで、絶叫と歓喜が入り混じった花火が打ち上がった。
さっきまで過去の男とホテルで何かしていると
妄想して悶絶していた相手が、
今、自分の家の真下にいる!
「す、すぐ行く!一瞬で行くから、そこにいろ!」
蓮は電話を切り、猛スピードで階段を駆け下りた。
マンションのエントランスの自動ドアを開けると、
冷たい夜風と共に、優里の姿があった。
しかし、そこに立っていた優里は、
同窓会会場で蓮に冷徹な視線を投げつけていた女王ではなかった。
腕を組んで、毅然と立っているいつもの姿ではなく、
肩を丸めて、まるで寄りかかる場所を探しているように、
弱々しく立っているだけだった。
顔は照明に照らされ、どこかやつれて見えた。
(あれがあの子の本当の姿…。いつも強がってるだけで、本当は誰よりも弱い……。強気な口調も冷たい雰囲気も、全部見せかけなんだ……)
蓮の胸に、激しい保護欲が湧き上がった。
この弱った優里を知っているのは、
自分だけだという独占欲も加わり、彼の愛は一層深まる。
「おまたせ」
蓮は、優里の前に立ち、息を整えた。
「すみません。こんな夜中に…」
優里は目を合わせようとしない。
(……なんだ?この違和感)
蓮は優里から漂う、
何かを抱え込んでいるような空気に気づいた。
「話したいことがあって」
優里は、ようやくそれだけを口にした。
「こんなとこで立ち話もなんだろ。上、上がりなよ」
蓮は、優里を誰にも邪魔されない自分の領域に招き入れたかった。
「いえ、大丈夫です。ここで…」
「馬鹿言うな。こんな夜中に、マンションの前に女の子一人置いていけるかよ。いいから」
蓮は、有無を言わさず、さりげなく優里の腕を持った。
(手なんてつないだらぶっ飛ばされそうだからせめて……)
蓮は優里の肘の少し上を掴んだ。
その腕は、予想に反して抵抗もなく、
何も言わずについてきた。
(なんだよ、なんかおかしくないか? こんなに簡単に俺の接触を許すなんて。まるで魂が抜けたみたいじゃねえか。なんか、嫌な予感がする……)
優里の異常なまでの従順さは、
蓮の心を満たすどころか、かえって不吉な予感を増幅させた。
いつもなら、蓮の接触に
「触らないで」「めんどくさい」と
即座に手が飛んでくるはずなのに、
優里はまるで魂が抜けたように、
ただそこにいるだけだった。
エレベーターが上昇する間、
二人の間に流れる沈黙は、蓮の心臓を締め付けた。
(なんだよ、この違和感……!なんでこんなに大人しいんだよ!?)
蓮の脳内では、この不気味なほどの優里の静けさが、
最悪の結論へと直結する。
(まさか……あの男の「やり直さないか?」に対して、「うん」って答えて、その後の話し合いで心身ともに疲弊したってことか!?俺の家に来たのは、別れの挨拶か!?「今までお世話になりました、これからはあの人の隣にいます」って言うつもりか!?)
(いや、逆だ!優里はあの男との過去に完全に決着をつけたんだ!涙の別れとかあって、優里は全ての感情を使い果たした。だから、今は無の境地なんだ!そして、決着をつけたからこそ、新しい男……つまり俺と、一からやり直す決意を伝えに来た!よっしゃぁ!)
(いや待て!もし、あの男との「大切な話」が、そのまま「一夜」になっていたらどうだ!?肉体的な疲労と、罪悪感で、優里はこんなに弱々しいんじゃないのか!?「最後に会いに来た」とか言って、俺の部屋で泣き崩れる展開か!?そして俺は「それでもいい、全部受け入れる」とか言って抱きしめるヒーロー展開か!?)
チン、と到着音。
「……あの?」
「うぉわっ!?」
優里に声をかけられ、蓮は飛び上がった。
「な、な、なんでもねぇ!なんでもねぇからな!」
優里は怪訝そうに見上げるだけ。
やっぱりどこか弱々しい顔つきで、
それがまた蓮の胸をざわつかせた。
(……くそ、なんなんだよ、この“嫌な予感”……! でも、でももし本当に……っていやいや、俺の妄想でしかないだろ!いや、でも……)
蓮の心臓は、鼓動と妄想で限界突破しそうだった。
蓮は、腕を掴んだ優里と共に自室のマンションのドアを開けた。
しかし、優里は一歩もなかへ入ろうとしない。
「玄関でいいですよ」
優里の声は相変わらず弱々しく、
その瞳は伏せられたままだ。
「何言ってんだ。こんな夜中だぞ、玄関じゃ外に全部聞こえるかもしんねーだろ」
蓮は優里の腕を掴む手に力を込めた。
「何もしないから。いいから入れ」
蓮は、優里の警戒心を解く
「何もしない」という言葉を、本気で守るつもりだった。
優里の弱り切った様子が、蓮の保護欲を最大限に刺激していた。
ようやく優里は折れ、
静かに蓮の部屋へと足を踏み入れた。
そして、まるでガラス細工のように静かに、
部屋のソファに腰を下ろした。
蓮は、自分の部屋のソファに座る優里を、
興奮と不安が入り混じった目で見つめた。
「何もしない」と宣言した手前、優里に近づくこともできず、
蓮の頭のなかでは、再び妄想が暴走し始める。
(もしかして…… 俺の一途な姿と、深夜の優しい気遣いに気づいて、ついに告白パターン!? 『蓮、私、あなたのそばがいい』って言われるんじゃねぇか!?)
一瞬、蓮の顔が赤くなるが、
すぐに最悪の可能性がその甘い妄想を打ち消した。
(いや待て、あの弱々しい様子と、あの男の「やり直さないか?」の直後だぞ。まさか、あの男と、やることはやったのか!? そして後悔して、俺に慰めてもらおうとしてるとか!? くそっ、そんなの許せるわけねえだろ!)
嫉妬と優越感、そして恐怖がない交ぜになり、
蓮は平静を装うのに必死だった。
「ど、どうしたんだよ、こんな夜中に」
蓮は、少しでも頼りがいのある男に見せようと努めて、
落ち着いた、少しだけカッコつけた声で尋ねた。
優里は、俯いたまま、ぽつりとつぶやいた。
「……カフェで、一人で悶々としてたから」
蓮の耳が、その言葉を捉えた瞬間、
衝撃で弾け飛びそうになった。
(あれ、バレてたのかよ!!!)
蓮がカフェの外で仁王立ちし、頭を抱えてしゃがみ込み、
ガラスに顔を押し付けていた様子が、
優里にすべて見られていたという事実。
蓮は顔面を蒼白にしながら、必死に動揺を隠した。
「それに、有給休暇までとったのに、一人で帰したから。私の同窓会についてきてもらったのに」
「ついてきてって、俺が勝手について行ったんだから、気にしなくていいよ。俺の有給の使い道は俺の自由だ」
「来週の土曜日、有給申請だしておくから、そこで休んでください。日数減らないようにしておくので、心配いりません」
(やっぱり様子おかしい…!いや、待てよ?これって“俺のために”休みを確保してくれてる?つまり俺に会いたいってこと!?それとも罪滅ぼし的な義理!?はたまた…まさか寿退社コース!?)
頭の中で暴走列車が疾走する。
(うわーー!やばい!これもう告白されて結婚一直線!?いや、同窓会で男といい雰囲気になって俺に“最後の確認”パターンか!?ぎゃあああ!!)
「ぎゃあああ…!」
声に出ていた。
「え…なに?」
優里が顔をあげて、蓮をまっすぐ見つめる。
鋭い視線。
「えっ!?いやっ、そのっ…!いやいや、違う!あの…えっと…」
蓮は慌ててクッションを掴んで顔を隠す。
(まずい!完全に怪しい奴になってる!!)
優里は小さく首をかしげる。
「さっきから…変だよ」
(ぐはぁっ!!バレた!?バレたよな!?)
妄想列車はブレーキどころか加速。
ソファに座る優里をちらちら見ながら、
蓮の妄想は止まらなかった。
(なんなんだ、この空気…。弱ってる優里、俺の部屋、夜中、二人きり…。これもう逆告白フラグでしかないだろ!?やばい、心の準備が…!)
「……」
ついニヤけそうになった瞬間、
優里の鋭い声が落ちてきた。
「もしかして何か勘違いしてる?」
「えっ」
心臓が一瞬で凍りつく。
「私のこと……好きですか?」
「……!!」
(えぇぇぇーーっ!!!まさかの逆告白パターン!?いや、夢か?夢オチか!?)
完全に頭のなかで鐘が鳴る。
結婚式場の鐘。
ウェディングドレス姿の優里。
横にはタキシード姿の俺。
参列者はなぜかみんな会社の同僚。
上司は号泣。
そんな妄想が一瞬で再生される。
「そ、それなら……」
「……ごめんなさい」
「えっ」
頭のなかの結婚式場が爆発四散する音がした。
「私はあなたとは付き合えないです」
「な、なんで?」
声が裏返る蓮。
優里は少し伏し目がちになって、
唇をきゅっと結んだ。
「いまは、そういうのは……考えられないんです」
(ぐはっ……!!なんだよそれ!よくあるやつじゃん!!)
心のなかで蓮は床に崩れ落ちる。
(“いまは”って建前で、本当は俺なんか興味ないってことだろ!? “仕事が忙しいから”とか“いまは恋愛はいいや”って言いつつ、別の男とはあっさり付き合うパターン! あぁーもう、俺だけ舞い上がって勝手に勘違いして、結婚だの新婚旅行だのまで想像して!!)
頭を抱え、ソファに突っ伏しそうになる。
「ばかみたいだ……」
自嘲のつぶやきが自然と口からこぼれ落ちた。
部屋の空気が、どこか遠くへ引き伸ばされていく。
沈黙。
エアコンの音だけがやけに耳につく。
(やば……。沈黙長すぎだろ。なんか言えよ俺……!)
焦燥のせいで心臓がうるさい。
けれど、口から出たのは全然違う言葉だった。
「……勘違いしてたわ」
思わず吐き捨てるように言った。
優里の肩がかすかに揺れた気がした。
止まればいいのに、舌が勝手に走る。
「俺、ちょっとはあるかなとか思ったんだよ! だから……期待したのに……『期待して損したわ!』」
言った瞬間、自分で自分に殴りかかりたくなった。
(あーあ、終わった。完全に終わった。勝手に期待して、勝手に当たり散らして……最低だろ俺。クソすぎるだろ。)
(でもまじでとまらねー! この、フラれた惨めさを、優里のせいにして、全部ぶちまけたい!)
最悪なことに口はまだ止まらなかった。
「ほんと……ガッカリだわ!」
その瞬間。
優里の顔が、ほんの少しだけ暗くなった。
(え……? 俺、今、傷つけた……?)
心臓がきゅっと縮む。
けれど謝る言葉は出てこない。
「……やっぱり、同じじゃん」
「…噓つき…」
小さく零れたその言葉に、
蓮の思考が一瞬で止まった。
(……同じ? 同じって、何だよ。俺のこと? それとも、あの元カレのこと? なんだよ……今の。)
優里はもう、蓮と話す意思がないことを示し、立ち上がった。
「今日は帰ります」
優里はソファから立ち上がり、カバンを持つ。
そのまま無言で玄関の方へ歩いていく。
(ま、待てよ……。あんな顔させて……このまま帰していいわけないだろ……!)
「ちょっと待って!」
気づけば体が勝手に動いていた。
玄関で靴を履こうとする優里の後ろから、
思わず腕を回していた。
不意打ちのバックハグ。
「行くなよ……」
自分でも信じられないくらい弱々しい声だった。
情けなくて、でも必死だった。
「離してください……」
優里の声は静かだった。
けれどその冷たさは、
蓮の心をえぐるには十分すぎた。
蓮は一瞬、動けずに立ち尽くす。
心臓はバクバク、
胸の奥で何かが折れる音がした。
(……撃沈だ……)
「結局、みんな同じじゃん……」
優里はぽつりと呟く。
その言葉に蓮は頭を抱える。
心のなかで、怒りと苛立ちがごうごうと燃え上がる。
(なんだよ……!俺だって、優里のことしか見てないのに……! なんでオレまで、男ってひとくくりで見られなきゃならないんだよ……!)
感情が制御不能になった蓮は、大声で吐き出す。
「ち、違うんだよ!俺は、俺は……優里だけなんだよ! 誰よりも、優里だけ見てるんだ! なのに、なんで……なんでそんなふうに決めつけるんだよ……!」
怒りと焦燥、
嫉妬と自己嫌悪が入り混じり、
言葉は止めどなく溢れた。
けれど優里は振り返りもせず、ゆっくりと玄関に向かう。
「……もう、帰ります」
蓮は叫びたい気持ちを必死で抑え、
腕を伸ばすことすらできなかった。
足は震え、全身の力が抜ける。
(……なんで……なんで俺、こんなに弱いんだ……!)
優里の背中が玄関のドアに消えた瞬間、
蓮は床にしゃがみ込み、天を仰ぐ。
部屋には自分の荒い息だけが響く。
(俺……優里を目の前にして……またやらかした……結局、全部自分の妄想と独りよがりだった……)
深く沈み込むように座り込み、
蓮の頭のなかでは、
優里への想いと後悔が渦を巻き続けた。
夜は静かに、しかし蓮の心は嵐のまま、
長く長く続くのであった。




