同窓会の攻防戦①
デパートでの騒動から数日。
土曜日の同窓会は
優里の心を静かにざわつかせていた。
蓮に邪魔されないよう、
出発時間も場所も秘密にしていたが、
優里の心はまだ晴人や蓮の言葉がこだましている。
(本当に、彼は変わったの?)
優里は、蓮が選んだ「穴ゼロ」ワンピースを
鏡の前で眺める。
あれだけ大騒ぎした蓮の情けなさを思い出し、
思わず笑みがこぼれた。
その頃、蓮は自宅で一人、悶絶していた。
「くそっ、今日優里は!」
「優里を狙ってる男どもが!」
「俺がいないところで!」
「背中に手を回されて……!」
蓮の心は終日、
まるで時限爆弾を抱えているように落ち着かなかった。
優里が最高の服を拒否し、
自分で選んだと知っているからこそ、
彼の妄想はさらに加速した。
(優里はきっと、昔の男どもを絶望させるために、俺が選んだ穴ゼロ服とは違う、とんでもない破壊力のあるドレスで現れるに違いない!)
蓮は自宅で一人、
壁に頭を打ち付けそうになりながら、
ベッドの上でゴロゴロといったりきたり。
優里の同窓会は昼から。
「…よし、こうなったら”突撃となりの御曹司”だ!」
(どこからか、「住んでるの隣じゃないし。」という冷めたツッコミが聞こえてきそうだった。)
まだ時間はあるはずなのに、
彼は約束の時間の一時間半前には、
優里のマンション前に、愛車を停めて待機していた。
「送ってやるに決まってるだろ。変なやつに絡まれたら困る」
優里に拒否されたのは数日前だ。
しかし、蓮のなかで「護衛」という
使命は絶対だった。
「俺はただの護衛。優里の身を守る、警備会社役員だと思え」
スーツの襟を正し、
蓮は何度も深呼吸を繰り返す。
優里のマンションのエントランスドアに
視線を釘付けにしたまま、
心臓が早鐘を打つのを必死に抑えていた。
予定時刻より少し早く、
優里がエントランスの自動ドアから姿を現した。
蓮は一瞬、息を止めた。
予想していた背中がざっくり開いたドレスでも、
煌びやかなハイブランドの装いでもない。
優里は、柔らかな素材のネイビーの
膝丈ワンピースに、
控えめなアクセサリー、
そして上質なコートを羽織った
シンプルで落ち着いた装いだった。
その清楚で品のある雰囲気は、
蓮の頭のなかで作り上げていた
「華やかな夜の優里」のイメージを完全に裏切った。
しかし、それこそが最高の破壊力を持っていた。
(……やばい。やばいやばいやばい!)
蓮の理性の防壁に、
音を立てて亀裂が入る。
遊び慣れた御曹司としての自信が、
この「シンプルイズベスト」な優里の前に、
一瞬で砕け散った。
優里は蓮の姿を見つけると、
軽く眉をひそめた。
「……なんでいんの?」
「決まってるだろ」
蓮は必死に顔の筋肉を動かし、
クールな表情を作ろうとするが、声が上ずる。
「送ってやるに決まってんだろ。同窓会で変なやつに絡まれたら困るだろ」
優里は大きくため息をつく。
「はぁ?頼んでないけど。それに、変なやつなら、今、目の前にいるけど」
(誰が変なやつだ!)
蓮は内心で叫んだが、
優里の清らかさに当てられ、
反論の言葉が出ない。
(やばい。こんな格好されたら俺のほうが変なことしそうなんだけど)
理性フル稼働させて
「ただの護衛だ」と自分に言い聞かせるが、
顔が赤いのが自分でもわかった。
優里の落ち着いた装いと、
それに反比例する蓮の混乱した姿に、
優里は諦めたように肩をすくめた。
その一連の動作。
一秒にも満たない接近が、
蓮の心拍数を絶望的なまでに跳ね上がらせた。
(こ、こいつ、ただ立ってるだけで、こんなに……破壊力があるのか……!)
まるで彼女の周囲に
神聖な光が放たれているかのようだ。
蓮の頭のなかでは、
緊急警報が鳴り響いていた。
このままでは、「ただの護衛」どころか、
優里の目の前で「理性の敗北」を晒してしまう。
蓮はガチで崩壊寸前だった。
過去のどんな派手な女性よりも、
今の優里が最も危険だと肌で感じていた。
「……はぁ、はぁ……」
彼は必死に息を整え、
優里から視線を逸らしたまま、
短く言ってその場から逃げ出すように歩き出した。
「……行くぞ」
優里は、蓮がなぜ突然早足になったのか
理解できなかったが、
呆れたように彼の背中を追いかけた。
(同窓会で狙われるのは優里じゃない。優里の清楚さに心を打ち砕かれるのは、この俺だ)
蓮はそう心の中で叫びながら、
優里を乗せるため車のドアを開けた。
ホテルの宴会場は、
懐かしい顔ぶれで賑わっていた。
グラスを片手に談笑する同級生たちのなかで、
優里は自然と中心に立たされる。
社長という肩書きがあるせいか、
みんなの視線はどこか敬意を帯びていた。
そんな優里を、
会場の隅からじっと見つめる男が一人。
同窓会に同級生でもないのにいる、星野蓮だ。
「護衛」という名目でついてきたはずなのに、
目の奥にはただならぬ緊張感が宿っている。
その理由はすぐに現れた。
「優里、久しぶり!」
不意に声をかけてきたのは、
同級生の男だった。
軽く髪をかき上げ、
慣れた調子で優里に近づいてくる。
「全然変わらないなぁ。いや、むしろ綺麗になったかも。……彼氏とか、いないんだろ?」
場の空気がふっと和らぐ。
冷やかし半分の会話に、
優里も苦笑しながら返す。
「もう、何年ぶりだと思ってるの?」
だがその時、背後から低い声が割り込んだ。
「……おい」
振り向いた瞬間、
モブ男の肩に大きな影が落ちる。
蓮だった。
「社長にベタベタ触るんじゃねぇ」
会場が一瞬静まり返る。
優里の同級生たちの視線が一斉に蓮へと向かい、
ざわめきが広がった。
「ちょっ、なに……!?」
優里は慌てて声を上げるが、
蓮は止まらない。
「俺は、この人の部下だ。けどそれ以上に……社長を守る立場なんだよ」
低く響いたその言葉に、
モブ男は気圧されて一歩下がる。
周囲から
「え、守るってどういうこと?」
「なんかかっこよくない?」
と小声が飛び交い、
優里の頬がみるみる赤く染まっていく。
「……蓮っ、いい加減にして」
小声でたしなめられ、
ようやく彼は顔を逸らした。
だが耳元に寄せられた一言は、
確かに届いてしまった。
「……すみません。抑えられなかった」
優里は小さく息を呑み、
そしてほんの一瞬だけ微笑んだ。
「……ありがと」
その一言で、蓮の胸は爆ぜるように熱くなった。
いつもの社長としての優里ではなく、
一人の女性として見えた彼女に、理性が軋む。
しばらくして、
仕事終わりの同級生たちも次第に合流してきた。
会場内は、賑やかな笑い声と
懐かしい話題で溢れていた。
蓮は優里のそばに立ち、
表向きは「社長を守る部下」としての立場を演じつつも、
心のなかは波乱万丈だった。
周囲の女子たちがキャーキャーと騒ぎ、
蓮の背後から
「わ、あの人かっこいい…!」と小さな嬌声が漏れる。
「え、あの人、誰? めっちゃイケメン!」
「モデルか俳優? ロビーに立ってるだけで絵になるんだけど」
優里の同窓生の女性たちが、
次々と蓮に熱い視線を送り始めた。
そのうちの一人が
勇気を出して蓮に声をかけてくる。
「あの…… よかったらご一緒しませんか?」
蓮は一瞬、きょとんとした。
ここしばらく、彼の世界は、
「優里にどう褒められるか」
「優里の心の壁をどう崩すか」
だけで回っていた。
優里以外の女性の視線など、
完全にノイズと化していたのだ。
(あれ……そういえば、俺って、カッコよかったんだな)
ナルシスト嫌いの優里に夢中になっているうちに、
自分がかつて女性たちを魅了する
『星野蓮』だったことをすっかり忘れていた。
蓮は内心で自惚れ、軽く髪をかき上げた。
「ごめんね。今、ちょっと大事な女性の護衛中で」
女慣れした頃の余裕が戻ったかのように優しく断ると、
女性たちは「えーっ」と残念そうに引き下がった。
蓮は優越感に浸りながら、
再び優里のいる会場に意識を集中させる。
(俺の優里は、こんな俺様を荷物持ち扱いするんだぜ。最高だろ?)
蓮は、バーカウンターの陰から優里の様子を観察した。
優里のその凛とした佇まいは、
確かに他の同級生とは一線を画している。
蓮が目を凝らしていると、
優里のテーブルに数人の女性が群がっているのが見えた。
「優里、久しぶりー! ちょっと可愛くなったよね。高校のときは全然モテなかったもんね!」
その言葉を聞いた瞬間、
蓮の耳がピクリと動いた。
(なんだ、あの女。性格わるっ……)
蓮は、女性の扱いには慣れているがゆえに、
その言葉に隠された意地の悪さと
優里への羨望を即座に嗅ぎ取った。
「え、じゃあ優里、彼氏は? そのイケメンなスーツの男性は?」
別の女性が蓮のことを指しているように見えた。
優里は冷めた目線で答える。
「違うよ」
「えーっ! じゃあ、あの人フリーなの?」
「さあ? 知らない」
蓮はそのやり取りに、
またも激しく心を乱された。
(ち、違うだと!? 知らないだと!? おい、俺は優里の会社の部下で、優里の荷物持ちで、優里を溺愛してる男だぞ! なんでそこで否定すんだよ!)
だが、優里の冷たい返答は、
蓮を突き放すための
いつもの防衛機制だと蓮は知っていた。
それでも、「彼氏じゃない」と断言されるたびに、
蓮の心はチクチクと傷ついた。
蓮は意を決して足を踏み出した。
胸の鼓動は早く、手のひらには汗。
(よし…今だ、優里に声をかける!)
だが、その瞬間、頭のなかで妄想が暴走する。
(優里に近づいたら、誰かに横取りされるかもしれない…いや、俺が先に抱き寄せるべきだ!)
「お、おい、俺の優里に手を出すな!」
現実ではただ同じ方向に歩くだけ。
口も動かず、心のなかでヒーロー発動。
ようやく優里の前まで来たが、口を開こうとした瞬間、
尻もちをついた子供が横切り、
蓮は思わず避けようとして壁に小さくぶつかる。
「ぐっ…!」
倒れそうになりながらも、
必死に立ち上がり、なんとか顔を上げる。
優里は振り返り、
ちょっと呆れた顔でこちらを見ていた。
「…何してるの?」
蓮は動揺して声が裏返る。
「あ、あの…その…えっと…」
頭のなかでは、
完璧なセリフが用意されていたはずなのに、
口から出るのは「えーっと、あの…その…」だけ。
優里はフッと笑い、軽く首をかしげる。
その笑顔を見た瞬間、蓮の妄想はさらに加速。
(……やばい、この笑顔は俺のために…!)
(今すぐ抱きしめるべきだ…)
(いや、優里以外に御曹司って知らしめてどうすんだよ)
(うわ、どうすればいい!?)
頭の中で指示が錯綜し、
現実の蓮は足をバタつかせながら、
空回りのまま優里の前で立ち尽くす。
優里は小さくため息をついた。
「…もう、ほんとにめんどくさい人。」
その一言で蓮は真っ赤になりながらも、
心の中で密かに決意を新たにした。
(くっそ、次は絶対に空回りせずに話す。)
(そして、優里を笑わせるんだ。)
膝の震えを押さえつつ、
蓮は再び一歩前に踏み出すのだった。
蓮の姿を見た女性たちの間では、
すぐに「キャーキャー」という
小さな歓声が起こった。
しかし、蓮の視界に入るのは、
ただ一人の女性だけだった。
(くっそ、綺麗だ……)
デパートで大騒ぎして手に入れた、
しっかりガードされた
「穴ゼロ服」を着ているはずなのに、
優里は驚くほど華やいで見えた。
彼女の周りには、
蓮がどうこう考えている間に、
すぐに数人の男性が群がり、
楽しそうに話しかけている。
蓮は、自分に向けられる周囲の羨望や好意など、
まるで気にも留めなかった。
彼の目には、優里以外の人間は、
ただの背景、
優里の美しさを引き立てる
ジャガイモのようにしか映らない。
かつて札束をばらまき、
女と酒に溺れていた御曹司は、どこへやら。
今の蓮は、優里の放つオーラに当てられ、
優里に話しかけるのさえも緊張していた。
(あいつら、優里に何を話しかけてるんだ!絶対、狙ってる!あの笑顔、俺以外に見せるな!)
蓮は優里の様子を遠巻きに伺いながら、
壁際でそっと深呼吸を繰り返す。
どうにか勇気を振り絞って
優里のもとへ向かおうと一歩踏み出した瞬間、
優里が彼に気づき、呆れたようにため息をついた。
「なにやってるんですか、あんなところで。変質者みたいですよ」
その冷たい指摘に、
蓮の肩はガクンと落ちる。
「ち、違う!俺はただ、優里を……その……」
優里は手に持っていた箱から
ポッキーを一本取り出した。
そして、それを蓮の唇に静かに押し当てた。
「せっかくいるなら、役に立ってください。これ、食べるの手伝って」
「え、あ、あぁ……」
優里の指先が、
わずかに蓮の唇に触れる。
「え、えっと…これ、ま、まさか…?」
その瞬間、蓮の頭のなかで、
妄想が爆発した。
(こ、これって……!も、もしかして、ポッキーゲーム!?優里から!?いや、でも優里はそんなことするタイプじゃない……いや、もしかしたら、この同窓会の雰囲気で大胆に!?)
(いや、でも、優里が笑顔で差し出してくれるなんて… あ、いや、触れる瞬間はどうする!? うわ、心臓が口から飛び出そうだ!)
蓮の顔は一気に真っ赤になり、
ポッキーの先端をくわえたまま、
瞳を大きく見開いて優里の顔を見つめた。
期待と混乱で、
口のなかのポッキーがどんな味かすらわからない。
優里はそんな蓮の様子に呆れを通り越し、
心底軽蔑したような冷たい視線を向けた。
「するわけないでしょう。何を考えてるんですか」
「あなたの頭のなかは相変わらず花畑ですね」
バッサリと冷たくあしらわれ、
蓮の妄想は粉々に砕け散った。
「す、すみません……」
蓮はシュンと項垂れ、
ポッキーをポリポリと噛み砕きながら、
近くにあったグラスを手に取った。
喉の渇きを覚えた蓮は、
一気にグラスのなかのお茶を飲み干す。
「ふぅ……」
優里はそれを見て、眉をひそめた。
「…ちょっと、それ私の」
「……え?」
蓮は飲みかけのグラスを
握りしめたまま固まる。
「それ、私がさっきまで飲んでたやつ。テーブルに置いてたの、気づかなかった?」
優里の言葉が頭のなかで繰り返され、
蓮は今飲んだお茶の味が、
優里の唇の感触を伴って、
遅れて蘇ってきた。
(…か…か…間接、間接キス!?)
蓮の心臓は再び早鐘を打ち、
今度こそ顔面から耳まで真っ赤になった。
ポッキーゲームの妄想よりも、
よほど現実的な
「優里との接点」に触れてしまったのだ。
「あ、あ、あの……ご、ごめんなさい!今すぐ、新しいのを……!」
蓮はパニックになり、
グラスを置いたまま
逃げるようにその場を去ろうとする。
優里は、そんな蓮の背中に向かって、
冷たい一言を投げかけた。
「本当に、いちいち騒がしくて、めんどくさい人」
その言葉は冷たかったが、
優里の口元には、蓮のパニックぶりに耐えきれず、
わずかに笑みが浮かんでいた。
蓮は、優里のその小さな笑みを見逃さなかった。
(くっ……めんどくさいって言われたけど、笑った!笑ってくれた!間接キス、成功だ……!)
蓮の心の中では、同窓会の成功よりも、
優里と間接キスという
予期せぬ成果を上げたことのほうが、
はるかに大きな喜びとなっていた。
彼はそのまま、優里から見えない場所で、
一人こっそりと勝利のガッツポーズを
心のなかで決めたのだった。




