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御曹司なのに不採用!? ~冷徹女社長と始めるゼロからの恋と成長録~  作者: 優里


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会食と再会とM&Aの影






翌日の社内会議。


取引先との会食の日程が告げられたとき、

蓮はまるでチャンスをもらったかのように胸の内が騒いだ。


これまでの醜態を挽回できるかもしれない。


社長の隣に立っていられるなら、

こんな俺でも顔見せの一つでも役に立つだろう。


そんな軽い気持ちもあったが、

何より「自分が優里のために何かできる」と

示したいという焦りが強かった。


「星野さん、顔が広いんだし、今回、ぜひ参加してくれ」

と松本に促される前に、自分から手を挙げてしまったのだ。


松本は眉を一つ跳ねさせて、言葉少なに忠告をくれた。


「おまえ、何やらかすか分からんぞ。まあ、やるなら勝手にしろ。だが空気は読めよ」


松本の目には心配と若干の期待が混じっている。


蓮はその顔を見て、

己の未熟さを針で刺されたように感じながらも、

引き下がることができなかった。


優里は、にこりと小さな笑みを浮かべただけで、

肩の力を抜くように言った。


「やりたいなら、やってみればいいと思いますよ。無理ならすぐ戻ってきてください」


優しさが、いたずらに肯定される。


蓮はその言葉を素直に受け取ることができず、

心のどこかで毒づいた。


(男には慣れてるんだろう。こういう場、平気なんだろうな…)




当日。


会場のホールは思ったより賑やかだった。



様々な会社の名刺が列をなして並び、

スーツ姿の人々が名刺入れを手際よく扱い、

互いに軽く頭を下げる。


その光景は、かつて蓮が豪遊していた夜の喧騒とは違う、

やり取りと礼節がきちんと秩序づけられた社会の風景だった。


最初、蓮は名刺交換すらぎこちなかった。


手の角度、目線、受け渡しの言葉。


どれもが不慣れで、新入社員の頃を思い出すほどだった。


しかし、数回繰り返すうちにリズムがつかめてきた。


緊張でぎこちなかった会釈が、

相手の名前を呼ぶ短い会話へと変わる。


蓮は自分でも驚くほど、

少しずつ「仕事として」振る舞えている自分に気づいた。


小さな達成感が胸にふくらむ。


「いいぞ、星野。ちゃんとやれてるじゃないか」


星野グループの広報課として、

課長の付き添いで参加していた晴人が横で小声で囁いてくれる。


晴人の目は冗談めかしてはいるが、

どこか誇らしげで、蓮は顔を僅かにほころばせた。


ふと、喉の渇きを覚え、

蓮はケータリングコーナーへ向かった。


グラスを手に、冷たい飲み物を探していると、

会場の片隅で見覚えのある影が目に入る。





先日、優里と一緒にいたあの社長だった。


彼は別の女性と笑い合い、

近くに寄せた肩に軽く手を乗せている。


いつものビジネススマイルではなく、

距離の近い、私的な雰囲気があった。


(あいつ、優里の彼氏だろ……?)


その瞬間、頭のなかで色々な考えが絡まり合った。


目の前の光景は、恋人同士のようにも見える。


胸の底がぎゅっと締められ、

蓮は思わず背筋を伸ばした。


酔いが一瞬で醒めるような気持ちだった。


(彼女いるのに、他の女とイチャイチャしてるじゃねぇか。優里が見たら傷つくんじゃ……)


咄嗟に優里を探そうと、蓮は会場のほうへ振り向いた。


目に飛び込んできたのは、

優里が他の社長と真剣に話している姿。


ほっとしたと同時に、胸のなかの小さな嵐は収まらなかった。


平静を装おうとするほど、心は騒いだ。




その時、不意に背後から声がした。


「星野さん、ですよね?」


振り向くと、先ほどの“あの男”が、

自分に向かって名刺を差し出していた。


驚きと共に、蓮の脳裏を一瞬にして現実が走る。



相手は笑顔で、ビジネスらしい丁寧さを崩さない。


だが、その笑顔は先ほど見せていた“親密さ”と

外見上は矛盾していた。


蓮はぎこちなく一歩前に出て、名刺を差し出した。


手が少し震えているのが自分でも分かった。


「星野 蓮です。……あの、どちら様でしょうか?」


男は名刺を受け取り、落ち着いた声で名乗った。


「スタートM&Aの佐藤です。先日は桜庭さんにご挨拶した者です。お名刺交換できて光栄です」


M&Aの会社。


社名が耳に入った瞬間、蓮の心臓が一瞬跳ねた。


M&A。


星野グループの事業の1つでもある

買収や資本提携を扱う、あの分野だ。


胸の奥で、何かがざわめく。


佐藤(M&A)の声は穏やかで、

しかし目は真剣だった。


「桜庭さんの事業内容、以前から注目しておりました。私どもで少しお話を伺えればと。正式なアプローチではなく、まずは情報交換という形で構いません」


言い方は丁寧だが、その含みは重かった。


M&Aファームの立場で言えば「情報交換」とは、

実務的な関係構築の最初の一歩だ。


蓮は胸にざわりとした冷たいものを感じた。


「情報交換、ですか……」


蓮は反射的に、優里の方へ視線を投げた。


優里はまだ別のグループと話しており、

こちらには気づいていない。


佐藤は蓮の動揺を見逃さず、軽く笑って言葉を続ける。


「桜庭社長とは先日もお話しさせていただきました。直接の打診はしておりませんが、彼女のビジョンには大変魅力を感じました。差し支えなければ、後日、正式にお時間をいただけますか?」


蓮は一瞬答えに詰まった。


(こいつ…優里の会社狙ってんのか…?)


胸のなかでは、先ほど見た“親密”な光景と、

今目の前にいるビジネスマンとしての表情がぶつかっていた。


どちらが本当なのか。


自分の嫉妬は何に根ざしていたのか。


だが、同時に一つだけはっきりしていることがあった。


これはただの社交の場での偶然では

済まない可能性がある、ということだ。


「……あ、はい。わかりました。桜庭に話を通しておきます」


言葉はぎこちなく、どこか無骨だった。


蓮は名刺をポケットにしまいながら、

自分の手が汗ばんでいるのを感じた。


晴人がそっと肩に肘を当て、耳元で低く囁く。


「おい、大丈夫か? 変なこと言うんじゃねぇぞ」


「わかってる……」


蓮は短く返し、視線を再び優里へと向ける。


優里のそばに近づいたとき、彼女はちょうど会話を終え、

こちらに気づいてにっこりと笑った。


その表情に、蓮は思わず胸が軋む。


でも今の蓮は、

以前のように感情で空回りするだけの男ではない。


先ほどのM&Aの名刺交換は、

彼にとって見えない波の始まりに過ぎなかった。


優里を守るつもりが、

いつのまにか会社全体の動きに巻き込まれていく。


そんな予感が、胸の内に冷たく広がった。


「星野さん、大丈夫ですか?」


優里が尋ねる。



「ああ。ちょっと喉が渇いただけだ」


蓮は照れ隠しのように笑ってみせるが、

心のなかではもう一つの決意が芽生えていた。



(本当に優里の会社がM&Aに狙われているなら、M&Aを知り尽くしている俺が守るしかない。)


まずは、情報を集め、状況を把握する。


強がりでも何でもなく、

これが彼の新しい戦い方だと、

自分に言い聞かせた。




会食も終盤に差し掛かり、

ホールの熱気はやや和らいできた。



テーブルのキャンドルが揺れ、

グラスの縁でシャンパンがきらきら光る。


あちこちで歓談の声が上がり、

誰かが笑い声を上げるたびに皿がカチャリと鳴る。


だが蓮の視界は、いつの間にか優里の姿だけを追っていた。


優里は会場を縫うように挨拶回りを続けている。


立ち止まっては軽く会釈し、短い会話を交わす。


皿に残った料理を口に詰める暇もなく、

声をかけられては駆けていく。


疲労の色が濃くなる頬、目の下にうっすらできた隈。


蓮はそれを見て胸が締め付けられた。


(あいつ、大丈夫かよ…)


(…いや、俺が心配しなくても彼氏がなんとかすんだろ)


しかしその「彼氏」と思っていた男の隣で、

さっきのように親しげに話していた光景が

頭に引っかかっている。


晴人が隣で軽く肩を叩いた。


「御曹司くん、名刺交換はどうだい?…」


「まぁ、ボチボチです」


晴人はにやりと笑って蓮の肩をつつく。


蓮は視線を泳がせながらも、

名刺入れを手にして場を回る。


声のトーン、渡し方、受け取り方。


何度も繰り返すうちにぎこちなさは消え、

少しずつ「仕事の体」になっていく自分に気づく。


内心では小さな達成感が芽生えていた。




その時、隣のグループから聞き慣れた軽口が聞こえた。


盛り上がる男が、やや大きめの声で話している。


そこにいたのは、先ほどの佐藤だった。


さっきの真面目な態度はどこへやら、

お酒の勢いで我を忘れているようだった。


(…ったく、酒で人格崩壊するやつが彼氏なのか? 彼氏くらいちゃんと選べよ…)


「君、相当遊んできたらしいね、僕にも少し紹介してほしいな」


「え?」


「お金はあるからさ、まぁ御曹司とは比べ物にならないけど」


「…彼女いるんじゃ?」


「え? 彼女? 勘弁してくれよ。僕は彼女つくらないんだ。面倒になりかねないからね。君と同じで遊びには精を出すけど。」


「…俺と同じ? じゃあ、うちの社長は?」


「あぁ、あの子ねぇ〜、顔はかわいいのに、まじめすぎちゃって、萎えるっていうか。女なんだからもっとへこへこしてくれたらこっちだってそれ相応に遊ぶのに、のってこないで、むかつくんだよなぁ〜」


「……”ああいう真面目ぶってる女って”」


蔑みを含んでいて、会場の空気とは不釣り合いに軽薄だった。


蓮の耳にその断片が届いた瞬間、

体のなかで何かが「プツリ」と切れた。


場の音が遠くなる。


笑い声もカチャリと鳴る皿の音も、

全部がフィルターを通したように小さくなる。


男の言葉だけがくっきりと耳に残る。


(…ふざけんな。お前、何様のつもりだ)


血の気が引くような冷たさと、

内側から熱くなる怒りが同時に押し寄せる。


視界の端に晴人の表情があった。


彼は蓮の顔色を見て、何かを察したようにいる。


だが蓮は、もはや我慢の限界だった。


ゆっくりと、足を踏み出す。



周囲の笑い声が止み、何人かがこちらに視線を向ける。


名刺を交換していた手が止まり、空気が張り詰めていく。


蓮は男の前に立ち、

低く、静かな声で言った。


「……君、なんて言ったんだ?」


その声は場の温度を一気に下げた。


男は一瞬、口を閉ざし、

ぎこちない笑みを作って取り繕おうとする。


「え? あ、いえ、その……冗談ですよ。冗談、冗談」


だが男の言葉は軽薄だ。


輪にいた何人かが小さく眉を寄せ、

空気が変わったのを感じ取る。


優里の方を見ると、彼女はふと顔を上げ、

こちらに視線を送った。


ぱっと表情が驚きに変わるのが見えた。


蓮はそのまま声を張らずに続ける。


「桜庭は“女だからへこへこしろ”なんてことを言われる人じゃない。むしろ、ここの誰よりも仕事ができて、真面目で、お前に対して“へこへこ”する理由がどこにある?」


言葉は冷たく、だが震えが混じっていた。


怒りはあるが、無駄に喚くのではなく、

相手の軽薄さを正面から指摘する形だ。


会場は一瞬、固まった。


男の表情がみるみる強ばる。


手を差し出して名刺を渡していたのを、

無意識に引っ込める人の姿もある。


笑いが引き、ざわつきが生じる。


どこかで誰かが小声で

「まずいな」と呟くのが聞こえた。




優里が立ち上がる。


足取りは重いように見えるが、

表情はいつもの落ち着きを保っていた。


蓮の隣に来ると、

彼女は一礼するように頭を下げ、静かな声で言った。


「あの、失礼しました。うちの社員がご無礼を…」


その声は柔らかく、それでいて芯があった。


場の空気はさらに緊張する。


男は反論のために口を開きかけたが、

会場の視線と優里の落ち着いた姿勢に押されて、

言葉を飲み込む。


「まあまあ、冗談さ」


「桜庭社長も大変だね、君が有能なのは理解しているけど、採用に関してはミスをしたようだね」


男は取り繕おうと肩をすくめる。


「我々も至らない点がありました。今後はこのようなことがないよう、社内で注意いたします」


その口調は真摯で、相手も認めるしかなかった。


(…ふざけんなよ)


蓮はそっと一歩前に出た。


表情は冷たく、言葉は短い。


「冗談もほどほどにしたらどうだ。公の場で、人格を侮辱するのは得策じゃない」


その一言は、場を引き締める刃のようだった。


男の肩に微かな緊張が走り、顔色が変わる。


彼の取り巻きが慌ててフォローしようとするが、

もう言葉は場の空気に溶けない。


「す、すみませんでした。言い過ぎました」


男はしぶしぶ謝罪の言葉を出す。


だが謝罪の声はどこか強引で、

心から出たものには聞こえない。


会場の一部では、囁きが始まる。


名刺交換での交流は続いているが、

先ほどの軽薄な笑いは消え、

代わりに慎重さとぎこちなさが広がっていく。



会場内の雰囲気は、完全に元に戻ることはなかった。


(優里に、そんな思いさせるなんて……)


蓮の胸に、守らなければならないという思いが、

言葉にならないほど強く沈んだ。



優里は一呼吸おいて、蓮に小さく頭を下げた。


その表情には申し訳なさと、

どこか安堵したような色が混じっている。


「ごめんなさい、迷惑かけました」


「いや、違う。君は謝ることなんてない」


周囲の何人かがほっとしたように息をついたのが聞こえる。






会食は静かに終わりを迎え、

客たちは名残を惜しむように引き上げていった。


蓮は優里にそっと言った。


「今日は……ありがとう。気にするな」


「ううん、私のほうこそありがとうございました、星野さん。助かりました」


優里は小さく笑い、

どこか申し訳なさげに目を伏せる。




食事会で、蓮は当然ながら、

両手に抱えるほどの名刺を交換していた。


蓮にとって、名刺とは、

星野グループにいたときから

父の命令で付き合いでもらい慣れていた、

ただの「紙」だった。


そこには感情も価値もなく、

単なる「繋がり」を示す記号でしかなかった。


(この手の名刺はどうせ、うちの秘書が整理する。中身など見る必要もない)


しかし、蓮の意識は現在の食事会から離れ、

胸の奥にある「特別な一枚」へと向かった。


優里と初めて言葉を交わした日のことを思い出す。


それは、蓮が「中途採用の面接」という

名目で乗り込んだ日のこと。


優里は蓮に対して、淡々と自社の名刺を差し出した。


「桜庭です。本日はよろしくお願いいたします。」


蓮は、その時もらった、シンプルなデザインの名刺を、

今でもスーツの胸ポケットに入れている。


蓮は優里の邪魔をしないように、

そっと胸ポケットに手を当てた。



その名刺は、優里が自分を初めて

「一人の人間」として扱った証であり、

同時に、始まりの象徴でもあった。


蓮にとって、優里の存在そのものが、

この世で唯一の価値あるものへと変わっていたのだった。



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