第8話 愛車との再会
「……そういえば、あなたのオススメしてくれた映画、見ましたよ。二本とも」
異世界へ通じる光の通路を移動している途中、ロイスは私に向かって唐突にそう言った。
「映画? ……あぁ、”ドイツより愛をこめて”と”ゴールドフェンダー”かい?」
「ええ。控えめに言ってかなり面白かったです。あなたが気に入るのも理解できます。特に秘密装備を搭載した車に乗ってカーチェイスするくだりは最高でした」
どうやら彼女は、私の勧めたスパイ映画を二本とも楽しんで鑑賞してくれたらしい。カーアクション映画が大好きな私にとって、それは嬉しい言葉だった。
「君とは話が合いそうだ。映画に登場する車は、主人公を引き立てるツールのようなものだからね」
「ええ、その通りです。……ですから、そんなあなたにも相応しい装備を、これからお見せします」
ロイスがそう言ったところで、光の通路が途切れ、私は再び異世界の地へ足を踏み入れていた。
――目の前に広がるのは、どこまでも青い空と、緑の平原。
そして、平原の周りには険しい山脈が連なり、山の麓は深い森に覆われていた。
平原の中央には、長い時間放置されて廃墟と化した石造りの教会らしき建物があり、そこへ向かってロイスは移動していった。
私はロイスに連れられ、教会の扉の前に立つ。
ガチャッ……キイィィ―――
扉を開け放つと、数羽の白い鳩が扉の向こうでパタパタと羽を打ち、割れた天窓から外へ羽ばたいていった。
花びらのように舞い散る白い羽。
教会の中は礼拝者たちの座る長椅子が並べられ、中央に伸びる赤い絨毯の敷かれた通路上に、それは置かれていた。
「これは……」
私はそれを見た途端、込み上げる嬉しさのあまり、思わず口元に笑みを浮かべてしまう。
「まさか、こんなところで愛しの相棒と再会できるとはね」
そこに居たのは、主人の帰りを待って静かに眠る体長約五メートルの巨大な黒猫……
――もとい、黒塗りの4ドアスポーツセダン、チートー900Sだった。
無人の教会に置かれた私の愛車は、まるで神の洗礼を受けているかのように、祭壇上に設けられた聖母を模るステンドグラスから漏れる陽光を受け、艶やかに光り輝いていた。
チートーも、私が不在の間にステアリングを握る者が居らず寂しかったのだろう。ずっと会いたかったと言わんばかりに、鋭い猫目のLEDヘッドライトをこちらへ向けて、じっと私を睨み付けていた。
「これをわざわざ下界から取り寄せるのは苦労したんですからね」
「……君がこれをここに? どうして?」
私がそう問いかけると、ロイスは言う。
「先ほども言った通り、これがあなたに最も相応しい装備……あなたの得たユニークスキルに最も適しているからです」
そう言って、ロイスは私にスキル名を告げた。
「あなたの持つユニークスキルは、【ドライビング】――ありとあらゆる車両を、どんな環境下でも的確に乗りこなすことのできる能力です」
「ドライビング……」
神聖ギブリール王国に勇者として召喚され、魔力適応値を計られた時、併せてユニークスキルも見られていたが、「騎乗スキルのようなもの」と言われただけで正確なスキル名までは教えてくれなかった。
ロイスから聞いたところによれば、このスキルはエンジンの付いた車両にのみ適応される能力であり、馬やロバなどの生き物に乗る場合は無効化されてしまうらしい。
(なるほど、それで使い物にならない外れスキルと思われた訳か……)
確かに、そもそも車なんてものが存在しない異世界では、ドライビングスキルを持っていたところで何の役にも立たないと言われても仕方がない。
「では、解説を続けます。オーナーであるあなたなら基本のスペックはもう既にご存知かと思うので省略しますが、この車も一緒に異世界へ送るにあたり、私たち天界の力を使って異世界仕様に改良しておきました。その内容を、手短ですがお伝えしておきます」
そう言って、ロイスは車の周囲を回りながらチートーの仕様説明を始めた。まるで貸出する車について解説するレンタカー屋の店員みたいに。
「この車は他の装備と同様に、属性とスキルが付与されています。属性は風、スキルは『物理攻撃無効化』。ありとあらゆる外部から受けた攻撃や衝撃をゼロダメージに抑えることが可能な能力……言わば盾のようなものです。この車に乗っている限り、あなたはほぼ無敵。しかもこのスキルは対衝撃にも有効なので、どんな悪路であっても走行できることに加え、いかなる障害物をもダメージを負うことなく突破することが可能です」
「それはまた、便利な機能だね」
私が肩をすくめてみせると、ロイスは「驚くのはまだ早いです」と言って、次にチートーのフロントドアを開けた。
すると、聞き覚えのある声が私を迎えてくれる。
『おかえりなさいませ、武之様。お待ちしておりました』
その声は、運転支援AIのシャシーだった。彼女の声を聞くのも随分と久しぶりだ。
「ただいま、シャシー。ずっと一人で寂しかっただろう?」
『AIには”寂しい”という感情がありませんのでお答えできかねますが、武之様なりの冗談でそう仰っておられるのでしたら……「はい、寂しくて死んでしまいそうでした」とお答えします』
「兎かお前は」
思わず突っ込んでしまったが、シャシーの声をもう一度聞けたこと、そして何より愛車の運転席にもう一度座れることが嬉しくて、私は内心飛び跳ねるような思いだった。
「では、エンジンを始動してみてください」
私は運転席に付き、ギアシフト横にある赤いエンジン始動ボタンを押す。
イグニッション始動音と共に、突き上げるようなエンジン音が、教会の中に響き渡った。
「先ほどお話しした通り、この車は【物理攻撃無効化】のスキルにより車体全体が強化されています。そのため、道なき道を何時間走行しようが、絶対に故障することはありません。走行持続距離も無制限です」
「だが、燃料が尽きれば走ることはできなくなるだろう?」
「その点についても改良済みです。目の前のメーターを見てください」
ロイスはステアリングの奥に表示されているデジタルメーターの燃料計を指差した。
「この車は、運転者の持つ魔力を燃料にして走ります。この燃料計に表示されているのは、あなたの持っている魔力の残量です。つまり、あなたの魔力が尽きない限り、燃料切れを起こすことはありません。魔力は使用すれば当然消耗しますが、一定時間経過すれば回復します。もし魔力残量が少なくなるようなことがあれば、一度車から降りて休息を入れることをお勧めします」
(ガソリンではなく魔力で動く車……まさに魔法の車という訳か。まるでシンデレラの乗るカボチャの馬車さまさまだな)
そんなことを思いながらステアリングを握ると、裏からカシャンと音がして、パドルシフトのような赤いスイッチが飛び出した。
「これは?」
「それは【魔力解放】発動のスイッチです。走行中にそのスイッチを押せば、通常の二倍の魔力がエンジンに送り込まれ、急加速がかかります。いわばあなた方の世界で言う”ニトロ”のようなものです。ただし、一度使うと一定時間使用できなくなることに加えて、魔力も大きく消耗してしまうので注意してください」
カーチェイス映画でもよく登場したあのニトロが、まさか自分の車にも搭載される日が来るとは思わなかった。おかげで気分はすっかり”マイルド・スピード”である。
「すっかり気に入られたようですね」
「……ああ、文句なし。最高だよ」
「それは良かったです。他に何かご要望はありますか?」
ロイスからそう尋ねられ、私はうずうずした気持ちを抑えながら、彼女に向かって言った。
「試乗体験することはできるかな?」