第7話 武之は二度死ぬ
「―――私は、死んだのか?」
白い床、白い壁、それに白い天井……見渡す限り、白一色の部屋。
この殺風景な空間に、私は見覚えがあった。
……というか、以前にも来たことがあった。今から、約十五時間ほど前に。
「あら、もう殺されて戻ってきたのですか? 随分と早かったんですね」
すると背後から、若い女性の声が聞こえてくる。
この声にも聞き覚えがあった。今から約十五時間前に聞いた声だ。
私は体を起こし、声のする方を振り返った。
そこには、白い壁にもたれかかり、あきれた顔で私を見つめる女神ロイスの姿があった。
これまで散々な目に遭わされてきた、その全ての原因を作った女性が目の前にいる――そう思っただけで、私は酷くげんなりとした気持ちになり、少しふざけたように肩をすくめ、彼女に向かって言った。
「おや、前にも一度、君と会ったかな? ……ここへ来る前、私を殺したとある男がこう言ったんだ。『あの世で死神と仲良くな』と。どうやら君が、その死神らしい。……にしては、随分と若くて美人な死神のようだが」
「はぁ……あなたって人は、機嫌が悪い時にいつもそうやって毒を吐くのね」
ロイスは深く溜め息を吐く。
「気に障ってしまったなら、謝るよ」
「別にいいし。気にしてないし」
そう言って、彼女は頬を膨らませてプイとそっぽを向く。
本人は気にしてないように取り繕っているつもりなのだろうが、顔や態度を見ればバレバレだ。
きっと彼女は天界にいる神たちの中でも一番初心なヤツなのだろう。抱いた感情が全て顔や態度に出てしまうのでは、嘘ひとつ吐くのも大変だ。
私はそんなことを思いながら、彼女に尋ねる。
「私は、死んだのだろう?」
「ええ、そうですね。王国の兵士に頭を殴られて、最後に首をはね飛ばされて死にました。それでまた、世界の狭間へ戻ってきたのです。あちらの世界での滞在時間はたったの半日。これまで異世界に送ってきた人間の中でも、これは最短記録ですよ」
そう言われて、私はふと気になったことを尋ねてみる。
「……ということはつまり、これまで異世界に送り込まれて死んだ人間も、再びここへ引き戻されているわけか?」
「いいえ。普通なら異世界へ送られた人間は、死んだ時点で天界へ送られます。死んだ際にあなただけここへ戻されたのは、私の特別な計らいによるものです」
「へぇ、それはありがたいことだね」
私は感情の欠片もない声で返した。
ロイスは仏頂面な私を見てムッとしながらも、言葉を続ける。
「別に私の独断でそうしたのではありません。本来なら、死んだ後に再び世界の狭間へ転送することは天界法違反であり、重大な禁忌を犯していることになります。ですが、これは天界の神全員の意見が一致したことで下された決定なのです。ですので、これから話すことは全て、私個人ではなく天界が決めたことであると捉えて聞いてください」
そして彼女は一呼吸を置いて、こう切り出した。
「……あなたにもう一度、やり直しの機会を与えます。再びここから異世界へと戻り、邪悪な魔王を倒して欲しいのです」
またそれか、と私はつくづくうんざりするように溜め息を吐いた。
「君も雲の上から見ていて既に知っているかもしれないが、私はどうやら魔王を倒す勇者の器じゃなかったようでね。魔力適応値とやらを測られたが、適応値ゼロで国から追い出される始末だ。そんなに弱過ぎる私を、また異世界へ送り返そうというのか? ……まったく、君たちのやることは本当にどうかしているよ」
「……いいえ、あなたの魔力適応値はゼロではありません」
すると、私の言葉を真っ向から否定するようにロイスが声を上げた。
「魔力というものは、その者の肉体の内側に宿っているエネルギーであり、剣や杖などのアイテムを媒介にすることで、その魔力を肉体の外へ送り出すことができる。そして、魔力適応値というものは、肉体の外側からあふれる魔力を計測した値のことをいいます。……つまりそれは、言い換えれば何も装備を身に着けずに測った場合、魔力を体外へ送る媒体がないために、どれだけ測っても数値はゼロのままとなってしまうのです」
……なるほど。つまりは、私が何の装備も持たずに異世界へ転移してしまったから、本来私の持つ魔力を正確に測れなかったという訳か。
「あなたの本来持つ魔力適応値は、”90000”。……この数値は、これまで異世界へ送り込んできた数々の人間たちを遥かに凌駕する値です。これほどの強い魔力を持つ人間が地上に居ること自体がイレギュラーで、私を含め天界の神たちも皆、驚きを隠せませんでした」
ロイスの話によると、どうやら私はここ幾世紀の間で召喚された者の中でも類を見ないほどに強大な魔力を体に抱え込んでいたらしく、そのせいで天界に居る全ての神々から注目の的にされていたらしい。
……まったく、私が知らない間に、とんだ人気者になってしまったものだ。
けれど私は、今さらそんな事実を告げられても、全く喜ぶ気にはなれなかった。
「得体の知れない魔法で出した数値なんて、大抵アテにならないものさ。美雪も同じことを言っていた」
私が肩をすくめてそう答えると、ロイスは眉間にしわを寄せ、少しばかり怒気を孕んだ声で言った。
「あなたの息子さんも同じことを仰っていましたので、あえて繰り返しますけど……どうしてあなたはそう悲観的にしか物事を考えられないのですか?」
悲観的ねぇ……と、私は心の中でつぶやく。
「かと言って楽観的になりすぎると、現実を見る力が失われて、結果が悪い方向へ進んでいくことも有り得るだろう? 家庭を持つ父親は、家族みんなを守るためにどうしても現実を見て慎重にならざるを得ないときがある。だからいつも少し悲観的に構えているくらいの方が、かえってちょうど良かったりするんだよ」
少し気取った言い方になってしまったかもしれないが、私は自分の気持ちを素直に話したつもりだ。
「………私、あなたの考え方がよく分からないです」
「分からなくていい。別にこの気持ちが他人と分かり合えるなんて思っちゃいないよ」
「またそうやって悲観的に……」とロイスはぶつぶつ文句を言っていたが、私はあえて聞いていないフリをした。
「……ではあなたは、自分の愛する家族に、もう一度会いたいとは思わないのですか?」
しかし、ロイスからそう問い返されて、私はぴくっと肩を震わせる。
(そんなの……そんなの決まってるじゃないか……)
私は両手に拳を握りしめ、俯いた。
……私はあの世界で、全てを失った。
妻も、娘も、息子も奪われ、自身も殺されて再びここへ戻ってきた。自分が弱かったせいで、愛する家族を誰一人として守ることができなかった。
そんな情けない父親としての自分へ対する腹立たしい思いが、心を揺さぶる。
そして、召喚された際、壇上に踏ん反り返って私たちを見下していた王国の貴族連中たちに対しても、同じ感情を抱いた。
数値でしか人の価値を計れず、才の無い者にはあからさまに態度を変え、問答無用で切り捨てる。どうしようもないほどに礼儀を弁えない卑怯者たちの集まりだ。
そんな奴らに、私は自分の家族を奪われた。そう考えただけで、握った拳が震え、食いしばる歯がきしんだ。
自分の中に渦巻いていたのは悲しみなどではなく、かつてないほどに沸る”怒り”と、抑えようのない”憎しみ”だった。
「……もし、君たちが本当に、一度死んだ私に二度目の人生を与えてくれるというのなら、私は――」
私は女神ロイスと目を合わせて、宣言するように言った。
「奪われた妻と、娘と、息子を、愚か者たちの手から取り戻しに行く」
……渚の言う通り、これまでの私は弱かった。
周りの誰に対しても逃げ腰で、心を許す家族の前でも、まともに向き合うことすらできていなかった。
だから、子どもたちはいつも冷めた目で私を見ていたし、妻はいつも心配して私を慰めてくれていた。
今考えれば、本当に頼りない父親だった。
――だが、そんな父親は一度死んだ。
今度の世界は、これまでより生きていくのが一層厳しく過酷な環境であることは、一度足を踏み入れてみてよく分かった。理不尽が平然とまかり通るような場所で、弱い奴は生きていけない。強くなければ、大切な人を守れない。
……なら今度は、とことんまで抗ってやろうじゃないか。
二度目の私は、以前の弱い私とは違う。逃げるのは、もう止めだ。
これからは、妻や子どもたちの前でも立派に胸を張れるくらいまともな父親になるために、二度目の人生を精一杯生きてやる。
そしてそのためにも、美雪と琴音と渚を絶対に取り戻す。……邪魔する奴は、容赦しない。
覚悟を決めた私の顔を、側からロイスが見ていた。
やがて彼女は目を閉じ、胸に手を当てながらこう答える。
「……あなたの愛する人ともう一度会いたいという思い、その目からひしと伝わりました。ようやく、少しはやる気になったみたいですね」
「あぁ、そうだな。私が再びあの世界で生きる目的ができた。どうせこれも、君たち女神の思惑通りの展開なのかもしれないが……しかし今は、やり直す機会を与えてくれたことに感謝しよう」
「この機会はあなたにとって、大切な人に会える最後のチャンスになるはずです。この次また死ぬようなことがあれば、もうこのような特別待遇はできないでしょう。……ですので、次はなるべく死なないように心がけてくださいね」
ロイスは、まるで指導する先生のように人差し指を立てて、私にそう言い付けた。
(簡単に死なないように、ねぇ……)
相変わらず無茶なことを言ってくる女神だ。なんて思いながら、それでも私は答える。
「心配しなくても、妻や子どもたちと会うまでは死ねないよ。絶対に」
今度は、そう簡単に死んでたまるものか。
これまでに感じたことのないくらい激しい活力が、胸の内から湧き上がってくる。
「ふふ、その心意気です」
ロイスも、闘志に燃える私をもてはやすようにそう言った。
……だが、心意気だけでは不十分だ。
「武器がいるな。あの世界で生きてゆくために必要な、強力な武器が」
「分かりました。ではチュートリアルに戻り、さっそく装備を一つ選んで……と、言いたいところですが、どうせまた例のカタログから装備を選べと言ったところで、また物騒だとか何とかケチを付けらるのは嫌なので、あなた専用の、あなたにしか使えない特別な装備を用意しました。こちらへ来てください」
そう言ってロイスは手をかざし、異世界へ通じる転移門を開いた。