第6話 裏切りと突然の別れ
それから、夜も更けて――
私は美雪と寄り添うようにして、目を閉じていた。
美雪は私の隣で静かに寝息を立てて眠っている。明日もずっと歩きになるだろうから、少しでも体を休めておかなければならないだろう。
そう思うのだが、やはり渚や琴音のことが気になって、なかなか眠れない。
脳裏に巡る不安と戦いながらも、何とか寝付こうと思っていた、その時――
遠くから迫ってくる何かの物音に気付いた私は、目を開けて周囲を警戒した。
「……どうしたの、あなた?」
美雪が起きて、目を擦りながら尋ねてくる。私は彼女に向かってシーッと人差し指を口に当て、静かに息を潜めた。
どうやら迫って来るその音は、馬の蹄と車輪の回る音で、私たちの着た道の方から馬車がやって来ているようだ。遠くの方に灯りも見えている。
「もう夜も遅いのに、こんな時間に馬車が通るなんて……」
「ああ……だが、これはチャンスかもしれない。乗っている人とかけ合って、隣の町まで乗せていってもらえないか聞いてみよう」
私は馬車が通り過ぎるのを見計らって道へと飛び出し、両腕を振って「止まれ!」と声を上げた。
馬車は私の姿に気付いて馬を止め、引かれた籠の中から、乗っていた者たちが降りてくる。
「突然呼び止めてすまない。ここから一番近い町まで私たちを乗せていってほしいのだが、構わないだろうか? 妻も一緒なんだ。頼む」
私がそう声を上げると、こちらへ向かって来る男らしき人影が、言葉を返してきた。
「なに? 隣町まで乗せて行ってほしいだと? ……あぁ、もちろん構わないとも。ただし――」
男がそこまで口にしたところで――
「きゃああああぁっ!!」
突然、背後から美雪の悲鳴が聞こえた。
振り返ると、いつの間にか美雪の周りに複数の男たちが群がり、取り囲んで彼女の両腕をつかんでいたのである。
「なっ……美雪っ!」
慌てて駆け寄ろうとすると、突然後頭部に衝撃が走り、私はうつ伏せに倒れた。
「乗せていくのはお前の奥さんだけだがな」
私の背後で男の声がそう言った。
どうやら私は馬車から降りてきた男に鈍器のようなもので頭を殴られたらしい。頭が割れそうなほどに痛い。温かい液体が額を伝って滴り落ちてくる。おそらく血が流れているのだろう。
「いやっ、離して! あなたっ! しっかりして……むぐぅっ!」
美雪の腕をつかんでいた男の一人が、彼女の口を手で押さえ、数人がかりで馬車の方へと引きずっていき、籠の中へ押し込んだ。
「残念だったな、旦那。国王様がそう簡単にお前たちを逃がすとでも思ったかい?」
私を殴った男は、倒れた私を見下しながらそう言った。
(国王様? ……まさかこの男、あの国王の手下か⁉)
私はゆっくりと顔を上げ、視点の合わない目で男の顔を見る。
その男は、神殿の広間に居た者の一人で、国王に耳打ちされていたあの側近の兵士だったのだ。
「うちの国王様は厳格なお方でね。女一人の勝手なワガママを許すはずもないのさ。俺は国王様からの命令を受けて今ここに居る。女を連れ戻し、ついでにお前は殺すようにってね。王都の塀から一歩でも外に出れば、そこはもう無法地帯。誰がお前を殺そうが咎められないわけだ。悪く思うなよ」
そう言って、男はニヤリと口元を吊り上げて下劣に笑った。
――そうか、全てはあの国王の仕組んだ罠だったのだ。
表では私たち二人を追放する振りを見せ、裏で密かに手を回して魔力適性値の高かった美雪だけを連れ帰り、能力の無い私は始末する。こちら側の意見など、端から受け入れるつもりはなかったいう訳か。
「……くれ………してくれ………」
私は今にも飛びそうな意識を必死に堪えながら、喉の奥から声を絞り出した。
「あぁ? なんだって?」
「み、美雪を……か、かえ、してくれ……この通りだ……頼む………」
私はどうにか体を動かして、男の前で土下座するように脚を折り、頭を垂れて地面に額を擦り付ける。
……また、私の悪い癖が出てしまった。何かあればすぐ頭を下げて媚びへつらい、許しを乞おうとする。
この世界へ転移する前に会社で働いていたときも、顧客の前で、上司の前で、何かと問題があれば頭を下げて謝ることしかできなかった。その姿といったら、あまりにも惨め過ぎて自分でも笑えてくるくらいだ。
『父さんはいっつもそうだ! いつも悲観的にしかものを見れなくて、戦うこともせずにペコペコ頭下げるだけ!』
息子である渚の怒声が脳裏を過り、私の胸を締め付ける。
(……あぁ渚、琴音、美雪、こんな頼りない弱い父親で、本当にすまなかった)
「……ぷっ、うひゃはははっ! 見ろよこいつ、土下座して謝ってやがるぜ! それでも立派な父親なのかよ⁉」
兵士の男は勝ち誇ったような笑い声を上げ、それから私の前にしゃがみ込むと、髪をわしづかんで頭を持ち上げ、耳元でささやいた。
「心配するな、あの女は殺さねぇ。……だが、国王様の前でワガママをほざいた罪は重いぜ。あれでもかなり相当ご立腹のようでね。彼が仰るには、あの女は王国に連れ戻した後、質の良い観賞用の奴隷として裏ルートのとある教団へ売りに出すそうだ。あんなそそられる体で、おまけに魔力適応値もそこそことなれば、かなりの高値で売れるだろうよ」
そう言って、男は私の頭を地面に叩き付けた。
グシャッと鼻の潰れる音がする。もう感覚が麻痺して、痛みすらも感じなかった。
「かえ、せ……私の妻を………美雪を……」
私の伸ばした腕は、当然美雪に届くこともなく、兵士たちの足によって簡単に踏み付けられた。
「さて、そろそろ楽にしてやるよ」
男はそう言って、懐に下げた鞘から剣を引き抜く。
……あぁ、どうやら私は今ここで殺されるらしい。まったく、この世界には神も仏もあったものではない。
(いや、神なら居たか……)
私は世界の狭間で出会った白衣の女神のことを思い出す。元はと言えば、あの女神が勝手に私たちを呼び出し、異世界へ送り込んだのが全ての原因なのであって――
……いや、でもそれ以上に、私自身の弱さと至らなさが、今回のような最悪な事態を招いてしまったのだろう。父親として本当に情けない限りだ。
色々と未練は残っているが、もし最後に一つだけ――
一つだけ、未練を果たすことができるというのなら………
(家族みんなで、私の愛車と一緒にドライブしたかった……)
私は、元の世界に置いてきてしまった愛車の姿をふと脳裏に思い浮かべ、思い出し笑いするように口角を上げた。
「あばよ、旦那。あの世で死神と仲良くな」
兵士の男はそう吐き捨て、私の首元へその剣先を振り落とした。