第5話 二人きり、昔に戻って
私と美雪は、神殿の外へ連れ出された。
広間を出る際、国王が近くに居た兵士の一人にひそひそ耳打ちしている様子が目に映ったが、何を話しているのかは分からなかったし、こちらの知る由もなかった。
私たちは神殿の外に止まっていた馬車に乗せられ、王国の外まで運ばれた。
このとき初めて馬車というものに乗ったのだが、乗り心地が悪いのなんの、やわらかいシートもサスも積まれていないこの原始的な乗り物は、私たちの尻と腰を痛ませるのに数分もかからなかった。
しばらく馬車に揺られたのち、王国の門前で下ろされた私たちは、本当にゴミのようにあっさり城壁の外へポイと捨てられた。
そして兵士たちは去り際に、小さな巾着袋を二つ、こちらへ投げてよこした。
「国王様から、せめてもの情けだそうだ。大事に使うんだな」
そう言って兵士たちは薄ら笑いを浮かべ背を向けると、門がガチャリと閉じられた。
私は傍に倒れていた美雪のところへ駆け寄り、手を取って体を起こしてやった。
「大丈夫かい? まったく、女性まで問答無用で放り出すとは、礼儀を知らない連中だ」
「そうね……わざわざ放り出さなくても、私たちの方から出て行くと言っているのに……」
私と美雪は体に付いた汚れを払い、それから投げられた巾着袋の中身を確認した。
小さな袋の中には、銅貨が三十枚ほど入っていた。この世界で銅貨一枚を円換算にするとどれくらいになるのか知らないが、追放された者に与えられる金銭など、雀の涙ほどでしかないのは分かっていた。
私は顔を上げて、塀の外を一望してみる。
目の前に広がるのは、何処までも続く緑の広がる高原と、地平線の向こうまで伸びてゆく一本の砂利道のみ。
こちらは水もないし、食料もない。あるのは銅貨の入った巾着二つと、美雪の持つ魔法の杖だけ。
……やれやれ、これは思ったより素敵な遠足になりそうだ。なんて心の中で皮肉を呟きながら、私は途方に暮れる。
「これはまた面倒なことになってしまったな……美雪は、本当にこれで良かったのか?」
私は美雪にそう尋ねた。きっと彼女のことだから、琴音や渚のことが気がかりであるはずなのに、それでも私に付いてくる決断をしたことに後悔はないのか、つい気になってしまった。
美雪は首を縦に振って「ええ、これでいいの」と答える。
「確かに子どもたちを置いて来てしまったのは心配だけど、渚ももう中学生だし、琴音も高校生なのよ。ちょっと早いかもだけど、あの子たちもいつかは独り立ちするだろうし……自立する時期が少し早まっただけのことよ」
なんてことない風を装って、美雪はそう言う。
けれど、彼女の心の内に秘める悲しみは隠し切れなかったようで、やがて咽ぶように肩を振るわせ、涙を流し始めた。
……確かに、最愛の子たちと別れるのは辛い。私も未だに、渚と琴音に背を向けられたときのショックが胸に深く刺さったままで、まだズキズキと痛んでいる。
だが、終わったことをいつまでも嘆き続けていたって仕方がない。今は現実に目を向けて、この世界で生きてゆく方法を探さなくては。
「とにかく、こことはまた別の町を目指そう。多分一日やそこらじゃたどり着けない距離かもしれないが、道を逸れなければ、いずれはどこかには着くだろう。歩けるかい?」
「ええ……大丈夫よ、あなた」
美雪も気持ちを切り替えるように前を向き、私の隣に立って歩き始めた。
◇◇◇
――けれど案の定、歩きだけで稼げる距離などわずかなもので、丘一つ越えきれないうちに陽が沈み、辺りが暗くなり始めた。
背後を振り返ると、塀に囲まれた王国がまだあんなにも近い。
「今日はこの辺で野宿だな。……とはいってもこんなに真っ暗じゃ、危険な獣が近付いて来ても分からないし、どうしたものか……」
私が困ってしまっていると、その横で美雪が「えいっ」と唐突に杖を振った。すると彼女の持つ杖の先が、まるで蛍のように明るく光り始める。
「私の光魔法なら、懐中電灯くらいにはなるわ」
「美雪の持つ杖は確か水属性なんだろう? それで光魔法も使えるのか?」
「あくまで水属性はこの杖の得意分野で、他の属性魔法とかも使えないことはないらしいの。これでも念じるだけで簡単な光くらいなら出せるし、火も起こせると思うわ」
私は驚いた。杖一本でそんなことまでできるとは……そんなに便利なのであれば、私も女神から何か装備を一つ貰っておくべきだった。
今更そんな後悔を抱きながら、私は渋々近くの森から木の枝を拾い集めて、美雪に火を起こしてもらった。
――夜になり、王国の方で町明かりが点々と輝き始めた。遠くから見ると、まるで地上に細かな星が浮かんでいるように見える。
地上に広がる星空を眺めながら、美雪は心配そうにつぶやいた。
「……今頃、あの子たちはどうしているのかしら? ちゃんと王国の方たちと仲良くやっていれば良いけれど……」
「王国にはロクな人間が居なかったが、あの子たちならきっと大丈夫だろう。渚なんて、適応値が高すぎて、真の勇者とまで言われていたくらいなんだ。そんな子を王国側も簡単に手放す訳がないさ」
そう言ったところで、私は咳き込んだ。
そういえば、ここに来てから何も飲んでいない。喉がカラカラだ。
「あなた、喉が渇いているでしょ? お水飲む?」
美雪が唐突にそう問いかけてくる。
「えっ? 水なんてどこに……あぁ、そうか。美雪の杖は水属性? だもんな」
「うふふっ、その通り。……あ、でもコップが無いから、直接口で受け止めるしかないわね……」
「別に構わないよ」
美雪は杖を使って私の口元に小さな水球を生成させ、私はその水球に口を付けて水を飲んだ。
よくよく思えば、この世界に来てから、私は美雪に助けられてばかりだ。追放される私に付いて来てくれたのもそうだし、こうして明かりを灯したり、火を起こしたり、水を飲ませてくれたり……
「……なんだか悪いな。色々と頼ってしまって」
「頼られると嬉しくなるのが母親の性分なの。遠慮なくもっと頼ってくださいね」
「はは……それじゃ父親の面目丸潰れじゃないか」
私は肩を落としながらも、喉の渇きを癒すために、美雪の生成してくれる水を飲み続けた。
「たくさん飲んだわね。まだいる?」
気付けば、私は美雪の水魔法で生成した水球ひとつ分を丸ごと飲み干してしまっていた。少し照れ臭く感じながらも、「いや、もう大丈夫。ありがとう」と力なく言葉を返した。
――そう、ここは剣と魔法の世界。それは言い換えると、武器が無ければ、魔法が使えなければ生きていけない世界なのだ。
そんな世界に、私だけ何の装備も持たず丸腰で来てしまったのは本当に失敗だった。そのせいで美雪にも、琴音にも渚にも、大きな迷惑をかけてしまった。
「……すまない美雪、私が不甲斐ないばかりに、お前には辛い思いをさせてしまった」
「もう、今さら何を言ってるの。あんな胡散臭そうな魔法で出した適応値なんて、きっと当てにならないわ。王国の方たちのあの態度もどうかと思うし、私は正直言って、あんな自分勝手な国王の統治する国なんかに住みたくないもの」
「でも、こうして野宿するよりは、マシだったんじゃないのか?」
私がそう問いかけるが、美雪は首を横に振る。
「そんなことない。逆にこうしていると、昔のことを思い出して楽しくなるの。……ほら、覚えてる? 私たちがまだ結婚してすぐのとき、新婚旅行と称して小さな軽バンに乗って旅した時のこと」
美雪にそう言われて、私は当時のことを思い出し「あぁ……」と声を漏らした。
忘れるはずもない。あの時、まだ結婚して間もなかった私たちは、宿代のお金も持たずに、自家用車である小型の軽バンに乗って、二人で何処まで遠くに行けるか試したことがあった。
「もちろん、覚えているよ。旅の途中、河川敷の橋桁の下に車を置いて、車内泊をしたんだ。後席のシートも全部倒して、そこに毛布を敷いて二人並んで寝たことを思い出すよ」
「そうそう、それでその中の寝心地と言ったらもう……」
「ああ、狭いし寒いし背中は痛いし、朝起きたら体中がズキズキしていた。あの日初めて、針山の上に寝るインド人の気持ちがよく分かったよ」
そう私がおどけたように言うと、美雪は声を上げて笑った。
こんなに笑っている美雪を見るのも、随分と久しいような気がする。
若い頃にしかできないような馬鹿げた遊びだったけれど、今となっては笑い話にできるくらいの楽しい思い出になっているのだから、結果的にやって良かったと思う。
そうして会話を重ねるうちに、自分まで昔の頃に戻ってしまったように思えて、気付けば暗い気持ちもすっかり忘れて、美雪と二人で笑い合っていたのだった。