第31話 クライストの猟犬
「トゥイナ姉、あの丘を越えればシスリ村だよ!」
「うん! きっと村長さんたちも心配してるわ。急ぎましょ!」
丘の上を馬車で登っていたルノは、馬に鞭を打ち、更にスピードを上げた。
やがて丘向こうに村を囲う柵が見え始める。きっと長い間二人が帰って来ないから、村人たちも皆心配しているだろう。
「ただいまっ! 村長様! 村のみんな、今帰ったわ!」
ルノは声を上げて、開きっ放しの村の門を潜った。
……しかし、彼女たちを出迎える村人たちの姿は無く、村の周りはシンと静まり返っており、物音一つ聞こえてこない。
「あれ? みんなどうしたのかしら?」
いつもは帰った途端、村人たちが外に出て笑顔で出迎えてくれていたというのに、普段とは違う異様な雰囲気に、ルノは眉をひそめる。
「………おかしいわ。村の建物の灯がみんな消えてる。それに子どもたちの声もしない。これじゃあまるでゴーストタウンみたい……」
ルノとテシアは馬車を降り、村中を駆け回って村人たちの名前を叫び、彼らの姿を探した。しかし幾ら呼んでも、戻ってくるのはこだまだけで返事は無い。
それまで青空の広がっていた空には分厚い雲がかかり、村全体がどんよりと暗い空気に包まれていた。まるで嵐が来る前兆のように、くぐもった雷鳴が何処からともなく聞こえてくる。
(明らかに様子が変。まさか村で何かが起きたんじゃ……)
ルノの嫌な予感が、確信となり始めたその時――
「……おお、お前たち。よくぞ帰って来てくれたなぁ」
突然背後から声を掛けられ、驚いた二人が振り返ると、そこにはヤギ耳を垂らした村長が立っていた。
「二人とも、なかなか帰って来ないから心配しておったぞ」
「村長様っ! 村のみんなは何処へ行ったんですか? さっきから誰も姿が見えなくて……」
村長の姿を見て安堵したテシアが、村の様子を聞くため走って駆け寄ろうとする。
「テシア待って!」
しかし、咄嗟にルノがテシアの手をつかんで引き戻した。
「ど、どうしたのトゥイナ姉? ほら、あそこに村長様が――」
「あれは私たちの知ってる村長なんかじゃないわ」
「………えっ?」
「一体どういうこと?」と首を傾げるテシア。
「私は耳が敏感なの。だから私以外の人が近付けば、足音ですぐに分かったはず。……でも、ついさっきまで物音一つしなかったのに、いきなり私の背後に現れるなんて、普通そんなこと有り得ない。……それに、村長は脚が悪くて、杖を付かないと外にも出られないはずなのよ」
そう言われて、テシアもハッと気付く。
今、目の前に立っている村長は、杖を突いていなかったのだ。
「……アンタは一体誰なの? 村のみんなを何処へやったの⁉︎」
村長の姿をした「誰か」を鋭い目で睨み付け、問い詰めるルノ。
「…………ふふっ、くくくっ……あ〜あ、バレちゃったかぁ。気付かなければ君たちもまとめて食べちゃおうと思ってたのに。ざ〜んねん」
すると、村長の皮を被った「誰か」は、肩を震わせて笑った。その声は村長のものではなく、ずっと幼い少年のような声だった。
そして次の瞬間、村長はその容姿を崩し、ドロドロとタールのように溶けて地面に流れ落ちた。
村長を形作っていた青く半透明なその液体は、地面の上でグチャグチャと音を立てながら渦を巻き、膨張して風船のように膨れ上がってゆく。
「なっ……あれは、まさかスライムっ!」
本性を現した人ならざる異形の怪物を前に、ルノが声を上げる。
村の建物すら飲み込むほどに巨大化した液状の怪物は、不気味な笑い声を辺りに響かせながら、二人の前に立ちはだかった。
「あはははははっ! まぁ別に、バレちゃったところで君たちがボクに敵うはずなんかないんだけどねぇ~!」
笑い声に合わせてグチャグチャと音を立てうごめくスライムの塊。その表面には小さな少年の顔が浮かび上がり、口角を吊り上げてニヤリと不気味な笑みを浮かべていた。
「そんな……普通スライムは小さくて知能の低い下級の魔物のはずなのに、どうしてこんな――」
「えぇ〜、偏見でものを言うのは良くないなぁ〜。どんな下級の魔物にだって上位種が居るはずでしょ? ボクはそれなのさ。スライムの中でも最上位種であるボーグスライムのハンヴィル! かつては魔王軍にも所属していて、人魔大戦してた時なんか、魔王軍幹部候補である”王下八魔凶”の一人でもあったんだよ。凄いでしょ? ねぇ凄いでしょ〜⁉︎」
褒めて褒めて! とでも言わんばかりにはしゃいで詰め寄ってくるハンヴィルを前に、ルノは固唾を呑み込む。
「”王下八魔凶”って……あの魔王軍の中でも最強と謳われた魔族が、どうしてこんなところに……」
「うーん、それはねぇ、実はボク、今はもう魔王様の配下じゃないんだ〜。今のご主人様はねぇ、あの”聖なる奴隷商”と名高いクライスト・コルドバン主教様だよ〜」
クライスト・コルドバン――その名前と人物についての噂を、ルノも過去に何度か街で聞いたことがあった。
神聖ギブリール王国有数の貴族の一人であり、国を統率する女神マセラティスを崇拝する宗教団体「クライスレイヴ教団」の主教。
……しかし、その本性は”聖なる奴隷商”という二つ名の通り、本来国で違法とされているはずの奴隷売買を一手に引き受ける奴隷商人であり、これまで奴隷取引で巨額の富を築いては王国に貢いでいるという。
「そして今のボクは、主教様の率いるクライスレイヴ教団の用心棒……教団専属の傭兵部隊”クライストの猟犬”を率いる隊長なんだ〜! どう? カッコいいでしょ〜?」
巨大なスライムの体を揺すりながら堂々と自分の立場を豪語するハンヴィル。
「お、お姉ちゃん……」
恐怖のあまり、テシアがルノの背中に隠れる。
「クライストの猟犬」という名も、ルノは知っていた。クライスレイヴ教団へ新たな奴隷を仕入れるため、奴隷狩りを行う専門の特殊部隊。
特に人種差別を強く受けている獣人は、その強靭な体と体力を持つために肉体労働向きであり、奴隷狩りのターゲットにされることが多かった。実際、過去にルノの住んでいたシスリ村でも、何人かの村人が奴らに捕まって連れて行かれ、行方知れずとなっていた。
「……まさか、アンタがこの村の住人を全員誘拐したの?」
「えっ、誘拐ぃ? あはははっ、当たり~! ……と、言いたいところなんだけど――」
ハンヴィルはそこで一旦言葉を切り、相手の反応を見て楽しむようにニヤリと笑う。
「実はさぁ、その時ボク、と〜ってもお腹が空いていたんだよね〜。あまりにお腹ペコペコでたまらなかったから〜………だから、食べちゃった。君の村の住人たち、み・ん・な! ほら見てっ!」
ハンヴィルのスライム状の体がぐにゅぐにゅと蠢き、体表面から何かがペッペッと吐き出された。
地面に転がったのは……かつて村人、だったもの――
彼らの体の一部であった、無数の骨の残骸だった。
ルノの表情が、一瞬にして絶望に染まる。
これまで、自分たちのことを大事にしてくれていたシスリ村の住人たちの顔が、次々とルノの脳裏にフラッシュバックしてゆく。
「そん……な………」
ルノはその場に崩れ落ちるようにして膝を突いた。
辛い時は親身になって接し、楽しい時は互いに顔を合わせて笑い合っていた……そんな、自分たちにとって大切な人たちが、いとも簡単に殺された。
――目の前でヘラヘラとおどけて見せる、たった一匹の化け物によって。
「ウソ……嘘だよ……村長さんや子どもたちまでみんな………酷い、酷過ぎるよっ!……うぅぅ……」
無残に散らばった村人たちの骸を前に、嗚咽を上げて座り込んでしまうテシア。
「あははははっ! どうもご馳走様でしたぁ〜! ……う~ん、でもなぁ、な~んか物足りないんだよなぁ……あんな耄碌したジジイやババアなんて、いくら食ったところで腹の足しになりゃしないんだもん。小さなガキだって食べれる部位はたかが知れてるし……あ〜あ、もっと肉厚で食べ応えのある奴は居ないのかなぁ……」
ハンヴィルは悲しみに暮れる二人など他人事のようにヘラヘラと笑い、不満を口にする。
その相手を舐め腐ったような態度と声と言葉が、ルノの耳に粘っこく絡み付いた。
「まぁでもぉ? せっかく新しい餌が二匹も来てくれたことだし~、少しはボクのお腹の足しになるかもしれないなぁ」
「ひっ……に、逃げようよお姉ちゃんっ!」
舌なめずりしながらスライムの巨体を揺らし近付いてくるハンヴィルを前に、真っ青になったテシアがルノにしがみ付く。
「…………ゆる……さない」
ドクン―――
しかしルノはその場で膝を突き、胸に手を強く押し当てたまま動かない。
「うへへへへっ! それじゃあ遠慮なく、いただきまぁ~~~~~~すっ!!」
パンパンに膨れ上がったハンヴィルの体から無数のスライム触手が形成され、鞭のような速さでルノとテシアに向かって伸びてゆく。
「た、助けてっ! お姉ちゃんっ!!」
ドクンッ!―――
「…………絶対に、許さないっ!!」
動けない二人を前に、無数のスライム触手が襲いかかった、次の瞬間――
カッ‼
突然、ルノが抑えていた腹部から強烈な光が放たれ、向かってきたスライム触手を全て弾き飛ばした。
「ぐうっ!! ぁああああああああああああああっ!!」
腹部に爪を立て、悶えるように悲鳴を上げるルノ。
光の放出は止まらず、ルノの着ていた衣服は全て消滅し、全裸になった彼女の皮膚には太い血管が浮き出て、全身の筋肉が激しく痙攣する。
「……お、おねえ……ちゃん?」
突然ルノの身に起きた異変を前に、テシアは呆然として立ちすくむ。
ヴォオオオオオオオオゥン!!
――するとそこへ、二人の背後からV型8気筒エンジンを唸らせて、黒曜石色に輝くボディを翻し爆走してきたチートー900Sが、ルノとテシアの前に勢いを付けて滑り込んだ。
助手席側のドアが開き、運転していた武之が二人に向かって声を上げる。
「ルノ! テシア! 二人とも無事か!?」
「た、タケユキ様っ!」
傍に居たテシアが、急いで駆け付けたチートーの方へ走り、彼に状況を伝えた。
「タケユキ様っ、トゥイナ姉の様子がおかしいの! いきなり苦しみ出したかと思ったら、体が光り出して――」
「何だって?」
武之はテシアの指差す方へ視線を向ける。
光の放出が続くルノの体には、更なる異変が起きていた。
メリメリと皮膚の裂ける音がして、全身から針のように鋭く太い毛が肌を突き破って飛び出す。
細い手脚は縦に裂けて肥大化し、顎が突き出て、ナイフのように鋭利な牙がギラリと口元から覗いた。
「があぁああああああああああああっ‼︎」
体の急激な変化に伴う苦痛に耐え切れず、断末魔を上げてその場にひれ伏してしまうルノ。
そんな中で彼女は、ある一つの呪文を口にする。
「ぐっ………【魔力、解放】っ!」
刹那、それまで彼女を包んでいた光が目が眩むほどの閃光となって弾けた。
武之とテシアは思わず目を覆い伏せる。
……そして再び顔を上げ、目を開いた時――
「………何なんだ、あれは?」
目の前の光景に、言葉を失った。
何故なら、それまでルノの居た場所に、彼女の姿は無く……
代わりにそこに立っていたのは、全身を漆黒の毛で覆われ、強靭な四本足を持ち、牙を剥き出しにして唸る獣……
真っ赤に燃える紅蓮の瞳を宿らせた、黒き獅子だったからだ。




