第3話 私の愛車について語ろう
◇◇◇
トム・ポーラ社製、『Cheeto 900S』。
4ドアスポーツセダン、6速MT、スピードメーター最高時速300㎞、タコメーター最大回転数8000rpm/min、アクセルを踏んで僅か4.8秒で時速100キロまで加速する黒メタリックの化け物。
――それが、私の愛車だ。
ドイツの有名自動車メーカーであるトム・ポーラが開発したこの車は、猫をモデルにデザインされていて、スラリとした流線型のボディーに鋭い猫目のヘッドライトが特徴的だ。エンジンをかければ、眉毛型のデイライトが点灯して前方に睨みを利かせる。
堅牢だが、どこか愛らしいボディーラインには親しみやすさすら感じ、どっしりとして安定感のある車体は、滑らかな走行と乗り心地の良さを実現。内装は皮シートで、車内の広さも確保され、ラクジュアリーな見た目は乗せた者を満足させるに十分な仕様だ。
しかも最先端のテクノロジーを組み込んでおり、人工知能による会話機能や衝突防止機能、クルーズコントロール、完全自動運転機能まで実装されている。
……子どもの頃から大の車好きだった私は、大人になっていつか自分の愛車を持つのが夢だった。
わがままだった当時の私は、親に強請って何個も玩具のミニカーを買っては、塗装が剥げてタイヤが外れるまで地面の上を転がして遊んだものだ。
特にスパイ映画である”006”シリーズに登場する車は全て集めてコレクションにしていた。映画の中で、車に搭載された秘密兵器を武器に壮絶なカーチェイスを繰り広げるシーンは、当時の幼い私をすこぶる興奮させてくれた。
他にも”ブレット”、”フレンチ・コレクション”、”ロックンロール・ブラザーズ”、”RONEN”、”トランスポート”、”マイルド・スピード”等々、有名なカーチェイスシーンのある映画は全てDVDが擦り切れるまで何度も見返した。
車は男のロマンであり、車こそが男を男たらしめるのだと、子どもの頃の私は、映画を見ながら幼心にそう理解したのだった。
……しかし、大人になって社会に出てみて、車を買うというのはそう簡単ではないことを痛感した。
私の好きなトム・ポーラは外車であり、おまけにかなりの高級車であったから、まだ働きたてだった若い頃の稼ぎでは、なかなか手が届かなかった。
――それから数年後、私は美雪と出会い、結婚して琴音と渚が生まれた。
しかし、相変わらず家計に余裕はできず、買えた車も中古で小型の軽一台だけだった。
それでも、美雪を隣に乗せてドライブするのは楽しかったし、子どもたちにも恵まれ、父親として楽しい時間を過ごせていたと思う。
……でも、それでも私の心の奥には、いつも何か物足りない気持ちがあった。仕事や子育てに追われる中、いつも目に止めていたのは、机の上に置かれた車の雑誌。
やっぱり、諦めきれない。
私は子どもの頃から見ていた夢を叶えるため、一生懸命に働いて、会社からの評価を上げて成績を伸ばし、昇進もして給料も上げて、地道な貯金を続けていった。
……そして、渚は中学生、琴音は高校生になった頃、私はとうとう決断し、はたと膝を打った。
「新しく車を買おう!」と。
そして、私の愛車に家族みんなを乗せて、思う存分ドライブを楽しんでやろう! と。
このとき、ちょうどタイミング良く発売されていたトム・ポーラのフラッグシップモデルが、『チートー900S』だった。
私は初めてその車を見たとき、一瞬で心を奪われた。
その外見といい、デザインといい、走りといい、乗り心地といい、全てが「完璧」の一言で揃っていた。
「これこそ、私に相応しい車だ」
そう直感し、試乗したその日に即購入を決めた。(ちなみに10年ローンで……まだ返済期間が半分以上も残っていたのだが、異世界転移した今となっては、もうどうでも良いことだ)
私の家にチートーが来てくれたとき、私の胸は言い知れない幸福感で満たされ、子どもの頃に感じたあの興奮が、再び自分の中に舞い戻ってきたような感じがした。
艶のあるオブシディアンブラックのボンネットを手のひらで撫でながら、これに乗って自由に走る自分を想像するだけで、思わず顔がニヤけてしまう。気分は最高だった。
……だが、私一人だけ乗るのでは物足りない。カッコいい車には、私以外の人も乗せてみたくなるものだ。
そんなことで、私は家族をドライブに誘おうと果敢にアタックしてみた。
……しかし、その結果は散々なもので――
「……なぁ美雪、今度の連休に一緒にドライブ行かないか?」
「ごめんなさい、行きたいのは山々なんだけど、その日は病院の夜勤があって難しそう。それに前にも言ったかもしれないけど、あの車に乗ると私いつも酔っちゃうのよ。どうもあの革シートの臭いがダメみたいで……ごめんなさいね。子どもたちを誘ってみて」
「そ、そうか……」
仕方なく気を取り直し、今度は渚の部屋の前で――
「……なぁ渚、今度の連休、久々に私とドライブに行かないか?」
「休日はゲームが忙しいから無理。母さんか姉ちゃんと一緒に行けばいいじゃん」
「………そうか、分かった」
もう一度気を取り直して、今度はリビングに居た琴音に――
「……なぁ琴音、今度の連休――」
「あぁごめん、ちょっと忙しいからまた後で! ヤッバ、部活に遅れちゃうかもじゃん! 駅まで猛ダッシュすれば電車間に合うかな〜?」
「なら、私の車で駅まで送ろうか?」
「はぁ? 駅まで徒歩五分もないんだよ。走った方が早いっしょ。バッカじゃないの?」
そう言って、琴音は家を飛び出していった。
「………そう、か……」
リビングに一人取り残された私は、深くため息を吐く。
(やはり今回もダメだったか……)
私は肩を落とし、渋々一人でガレージに向かった。
◇◇◇
――真っ暗なガレージ。
扉横にあった電灯のスイッチを押すと、カラカラッと水銀の跳ねる音がして、天井の蛍光灯が点灯する。
不安定な光のノイズと共に、目の前に横たわる黒猫が姿を現した。
蛍光灯の冷たい光を受け、漆を塗ったような黒いボディーは、艶めかしいまでの輝きを放つ。
どうやら黒猫は、まだ眠りに就いているようだ。
私はポケットに入れていたキーを取り出し、ロックを解除する。
流れるように瞬くヘッドランプのウインカーと共に、黒猫は目を覚ました。
『――お帰りなさいませ、武之様。お待ちしておりました』
同時に、車に搭載された運転支援用AIである”CHASSIS”が起動し、私に挨拶してくれる。
「ただいまシャシー。今日もまたひとっ走り、頼めるかな?」
『承知いたしました。目的地は何処に設定なさいますか?』
「何処でも構わないよ。往復一時間くらいで回れる場所がいい」
『承知いたしました。では、到着時間を片道三十分とし、目的地を自動設定いたします』
「よろしく」
フロントドアを開け、運転席へ乗り込む。レザーシートに背中と腰が包まれる心地良い感覚を噛み締めながら、ドアを閉めた。
そして、シフトレバー横にあるエンジン始動ボタンを指で押し込む。
ヴゥン、ドルルルルルッ!
V型8気筒のエンジンが唸りを上げ、全身に微細な振動が伝わってきた。
『本日も、武之様お一人なのですか?』
「ああ、今度の休日にドライブ行こうと家族一人一人に誘ってみたのだが、見事に全員からフラれたよ」
『それは残念です。……では、私があなたのお隣に座って差し上げます』
シャシーがそう言うと、ルーフに着いた小型プロジェクターが青い光を放ち、私の座る隣の助手席に、一人の女性が立体映像となって映し出された。
シャシーが立体映像投影機能をオンにさせ、自分のアバターを座席に投影したのだ。アバターとなった彼女は等身が高く、美麗な顔立ちで、栗色のサラサラな髪を肩まで伸ばしていていた。
それになぜか、彼女の着る衣装は、裾という裾に余すことなくフリルをふんだんに編み込んだ、若い子受けしそうなフリフリのエプロンメイド服だった。
「君は、そんな格好をしていたのか?」
『主人の言うことを聞き、尽くすのが”メイド”と呼ばれる職業であると理解しています。ですので、アバター衣装も”メイド服”でインストールいたしました。……ちなみに、この衣装をお選びになったのは琴音様です』
そうシャシーが答え、私は「なるほど」と納得する。
(琴音のやつ、乗る気は無いくせに悪戯の細工だけはきっちり施していくんだな……)
『……お気に召しませんでしたでしょうか?』
「そんなことはないが、そんなにスカート丈が短かったら寒いだろう。エアコン付けようか?」
『……それは、ご冗談で仰っているのでしょうか? 私はAIです、寒さを感じることはありません。ですので、どうぞ武之様の快適な温度に設定なさってください』
立体映像のシャシーが首を傾げながらそう返してくる。
どうやら最近の人工知能というものは本当に高性能らしい。私のつまらないジョークすら彼女は見事に受け応えしてしまうのだから、大したものだ。
「気を遣ってくれてありがとうシャシー。……まぁ決して良い趣味とは言えないが、琴音が選んだのなら、別に構わないさ」
『承知いたしました。ではこの容姿をメインアバターに設定いたします』
私はリモコンを操作し、チートーの格納されたガレージのシャッターを開ける。
(――やはり今回も叶わなかったが、いつか必ず、家族みんなでドライブに出かけよう)
私はそう胸の内に言い聞かせる。チートーと共になら、何処へだって連れて行けそうだ。……例え世界の果てまでも。
私は気を取り直し、ステアリングを握ってアクセルをふかし、エンジンの回転数を上げた。震えるエンジンは嘶きを上げ、今にも駆け出しそうだ。
「じゃ、行こうか。シャシー、シートベルトはしたかい?」
『……それも、ご冗談で仰っているのでしょうか?』
「いいや、大真面目さ。こんな化け猫に乗り込んだら、どんな危ない運転をやらかすか分からないからね」
そう言いつつ、私は優しくクラッチを繋いでゆっくり前進し、ガレージを抜け出す。
空は晴れ渡り、チートーは陽の光を浴びて、黒塗りのボディーもより一層その輝きを増していた。
「ドライブには絶好の日和だな」
アクセルを踏む。
私の操るV8エンジンを積んだ化け猫の唸りが、晴れた街中に響いていった。