第2話 魔王退治? 他を当たってくれ
「へっ?」
意表を突かれたようにきょとんとした顔をする女神ロイス。後ろに居た美冬や琴音、渚も驚いた顔をしていた。
「え? え? あの、えっと……本当によろしいのですか?」
「ああ、それで構わないよ」
まさか装備はいらないと言われるなんて思ってもいなかったのだろう。それまでクールでお淑やかだった彼女の態度は、あっけなく崩れてしまった。
「で、ですが、異世界には危険な魔物が多く潜んでいて、そこへ装備も何も無しに飛び込んでしまっては、命の保証はできかねます! それに、私はあなたを魔王を倒す英雄となってもらうべく召喚したというのに、丸腰で行ってしまわれては、こちらとしても困るのです!」
ロイスは慌てて言い寄ってくる。
しかし、私はこれだけの分厚いカタログを隅から隅まで目を通してみたが、自分にとって本当に必要なものを選べなかったのは事実なのだ。
「いやいや、普通アイテムは何か貰うでしょ。馬鹿じゃないの?」
「何で貰わないんだよ! 異世界で成り上がるのに強い装備は必須だし、武器無しでどうやって魔王と戦おうってんだよ!」
琴音と渚も異議を唱えていたが、それでも私の言葉に二言は無い。
「……なぁ女神様。あなたはこれまでにも、こうして誰かを異世界送りにしたことはあるのか?」
「はい? ……ええ、まぁそうですね。あなた方より前の候補として、これまでに数百人ほどをあちらの世界へ送りました。それでも、未だ魔王は健在のままなのですが……」
「…………」
ということはつまり、送られた者は全員魔王に倒されてしまったか、あるいは倒せないと分かって逃げ出してしまったか。そのどちらかだろう。
……そして、今度は私たち家族に魔王退治の白羽の矢が立っているという訳だ。
それにしても、先代の輩が挑戦して全員失敗しているような危険な仕事を、次候補である私たちに無理やり押し付けようとするなんて、この女神もかなり無茶な注文をしてくれるものだ。
「……なら、今回はハズレくじを引いたと思って諦めてくれないか。私たち家族に、そんな危険な仕事は請け負えない」
私はそう言って、女神ロイスの前で深々と頭を下げた。
申し出を引き受けないことが、目の前に居る女神にとって都合が悪いことも重々承知している。そのうえで断るのだから、精一杯の謝罪の意を込めて、頭を下げたつもりだ。
「………はぁ、そうですか……分かりました。ですが、先ほども申し上げた通り、この世界の狭間に送られた時点で、あなた方を元の世界へ戻すことは不可能です。そこはご承知おきください」
「ああ、分かっているよ。新しい世界での生活も慣れないうちは大変だろうが、なんとか家族一緒に上手くやっていくさ。そして、危険なリスクを避けるためにも、なるべく魔王とは距離を置くようにするよ」
私がそう答えると、彼女は残念そうに肩を落とし、大げさに溜め息を吐いた。選ばれし者が魔王に立ち向かうだけの強い意思のある逸材ではなかったことに、心底落胆しているのだろう。
「………ちょっと待ってよ! そんなの僕は嫌だ!」
しかしそこへ、私の言葉を真っ向から否定するように背後から渚の声が飛んできた。
「どうして断るんだよ父さん! これから新しい世界で冒険が始まって、魔王を倒して英雄になれるかもしれないってのに! なのにどうして行く前から諦めてるんだよ⁉」
私に向かって怒りをぶつける渚。その表情は、今の渚が表現できる最大限の感情が込められていて、私は渚の怒っている顔を久々に見たような気がした。
「父さんはいっつもそうだ……いつも悲観的にしか考えられなくて、立ち向かうこともせずにペコペコ頭下げるだけ! 父さんが魔王を倒せないって言うのなら、僕一人で魔王を倒してやるよ! 父さんの力が無くたって構うもんか!」
そう言って、ブン!と力任せに剣を振りかざす渚。
「渚、お父さんに向かってそんなこと言わないの!」と、咄嗟に美雪が叱る。
きっと渚は、自分が好きなゲームのような世界に行けることに興奮して、気持ちが高ぶってしまっているのだろう。
けれど私は、渚や琴音を危険な目に遭わせたくなかった。
これまで誰も倒せなかった魔王を倒すというのは、きっとゲーム感覚でできるような簡単なことじゃない。現実的に考えて、あまりにもリスクが大き過ぎる。そこのところを渚にも分かってほしかったのだが……きっと今の渚には何を言っても無駄だろう。
すると娘の琴音が、言い争う私たちから少し距離を置くようにして、あきれたように肩を落としながら言った。
「別に一緒に異世界転移するのは構わないけどさぁ、正直あっちの世界では別行動とかの方がいいと思うんだよね~。わざわざ家族一緒に行動するのもめんどいっていうか、強い装備持ってるんだから、別に単独行動でも問題無いっしょ?」
そう話す琴音の表情は、どこか煙たそうな感じがして、私や美雪と共に行動することを嫌がっているようにも見えた。
「もう、二人とも勝手ばかり言って。異世界に行ったら、何があるかも分からないのよ? ここはみんなで一緒に居るべきだと思うのだけれど……」
そう美雪が提案するも、琴音も渚も全く聞く耳を持ってくれなかった。
「コホン!……とにかく、時間も無いので、あなた方全員をまとめて異世界のとある場所へ転移させますね。――”転移門”、開け」
女神ロイスが呪文のようなものを唱えて私たちの前へ手を広げると、何も無い空間に突然亀裂が走り、ぱっかり二つに割れて人間一人が通れるくらいの穴が空いた。
「この門の先が異世界です。転移先は、とある王国の神殿の中心を指定しておきました。その王国は、魔王を倒すことのできる勇者を欲していて、今召喚の儀式を行っている最中です。あなた方が勇者たる力を見せることができれば、王国は喜んであなた方を受け入れてくれるでしょう。……どうかご武運を」
ロイスは最後にそう説明して、私たちに向かって軽く会釈した。
「よし、僕が一番乗り~~っ!」
「あ、ちょっと渚! 抜け駆けずるい〜!」
渚と琴音が、真っ先にその転移門の中へと飛び込んでいった。
「二人とも待って! ……もうあの子たち、すっかりはしゃいじゃって。私たち二人は完全に蚊帳の外みたいね」
そう言って美雪は溜め息を吐く。
「美雪が先に行ってくれ。私も後から続くよ」
私は、先に美雪を転移門へ通してやった。
そして残り私一人になったところで、見送っていた女神ロイスがぼやくように言う。
「これまで、数多くの人間を異世界へお送りしましたが、あなたのような方は初めてです。あなたの息子さんのように、異世界に対して積極的な方を望んでいたのですが……」
「それは、ご期待に沿えず申し訳ない。だが私は、これまでと同じように家族と平和な日常を過ごしたいものでね」
「ふんっ、どうぞお好きにしてください」
そう言ってプイとそっぽを向く女神様。
「……それにしても、女神のやることはあまりに荒唐無稽過ぎる。いきなり私たちを訳も分からないところに送り込んで、異世界へ行けだの魔王を倒せだの訳の分からないことを言われて、重い装備を持たされて半ば強制的に異世界へ飛ばされる。……ハッキリ言って無茶苦茶だ。君たちのやることはどうかしてる」
私は、こんな身勝手なことをする女神への鬱憤払いも込めて、彼らの行いに対し感じた本音をストレートに彼女へぶつけてやった。
すると、それを聞いた女神ロイスは少し眉をゆがめながらも、対抗するように胸を張って言い返す。
「……別にあなたが私たちのことをどう言おうが、これも私たち天界の神々の立派な仕事のひとつですから。謝罪はしませんよ」
「謝罪なんて求めてない。どうせ君が私に謝っても、行かされることに変わりはないのだろう?」
私はそう言って口角を上げてみせると、彼女はイライラ募らせるようにギリッと唇を噛んだ。
どうやらこの女神は、感情がすぐ顔に出てしまうタイプらしい。本人は感情を殺しているつもりでも、表情を見ればバレバレだ。
そんな、どこかいじらしくも見える彼女を、私はますます揶揄ってやりたくなった。
「……しかしそうは言うものの、実は君には感謝もしているんだ」
「へっ?」
いきなりそう言われて、驚きの表情を見せるロイス。
「もし私一人だけが転移されていたら、私はきっと妻や子どもたちのことが心配で、異世界へ行ってもそのことが頭から離れなかっただろう。……だが君は、妻の美雪や琴音、それに渚も一緒にここへ連れて来てくれた。おかげで、私の心配の種が一つ減ったよ。感謝する」
そう言って、私は彼女に向かって頭を下げた。こんな平身低頭しているところ、渚に見られたらまた怒られてしまうな……なんて思いながら。
一方の女神ロイスは、突然な感謝の言葉を真に受けてしまったのか、頬を紅潮させて驚いていた。
……が、すぐにまたつっけんどんな表情をして腕を組み、恥じらいを隠すように目線を反らしながら言った。
「べっ……別に私をおだてても、何も出ませんよ!」
「出さなくていい。さっきも言っただろう? 装備なんか何も要らないって」
「このっ!」と言いたげな表情でこちらを睨み付けてくるロイス。なんだか表情豊かな彼女を見ているのが楽しくなってきて、私は思わず笑みを溢した。
「……まぁ、最後に一つだけワガママを言わせてもらうとするなら――」
最後に私は「ついでに」とでもいう感じで、彼女にこう言った。
「私たち一家全員を転移させるついでに、私の愛車も併せてここへ持って来てほしかったのだがな」
「……愛車、ですか?」
ロイスは首を傾げる。
私は、数年前に新しく車を買った時のことを思い出した。
妻や子どもたちは車を買うことに乗り気ではなかったが、何しろ私が大の車好きなもので、つい衝動買いしてしまったのだ。元の世界に心残りがあるとすれば、あの愛車にもう二度と乗れなくなってしまうことくらいだろう。
「あ……そういえば、転移者リストの資料によれば、あなたは唯一無二の車好きでしたね。つい最近新しい車を買ったばかりで、休日にはいつも洗車をしていたと転移者候補資料に記載があります。車の登場するカーアクション映画が大好きで、特にスパイ映画に登場する秘密兵器を搭載した車に目が無かったのだとか?」
「ああ。スパイ映画の殿堂である”006”シリーズは私の人生に彩を与えてくれた映画だ。特に”ドイツより愛をこめて”と”ゴールドフェンダー”は最高傑作と名高い。君も一度見てみるといいよ」
「へぇ、そうなんですか。なら私も……って、あれ?」
ロイスが手元にある資料に向けていた目を移すと、そこに私の姿は無かった。
なぜなら私はもう既に、異世界への転移門を潜ってしまっていたからだ。
◇◆◇
「はぁ………本当に何だったのかしら、あの人……」
武之たちが転移門をくぐってしまってから、一人残されたロイスは呆れたようにため息を吐いてぼやいた。
そして彼女はふと、さっき武之の話していたことを思い出す。
(”ドイツより愛をこめて”と”ゴールドフェンダー”……どんな映画なのかしら?)
――内容が気になってしまったロイスは、他の神々の目を盗んで密かに天界から地上へ降り……
人間たちに紛れてTUT〇YAでDVDを借り、天界にあるテレビを使ってその映画二本を視聴してみるのだった。
(へぇ……これ、なかなか面白いじゃない!)