第13話 出会いは胃液にまみれて
◇◆◇
「…………ここは?」
目を開くと、私はまだチートーの中に居た。
車外は真っ暗だが、車内には運転席や助手席、そして後部座席を囲うように設置された間接照明のおかげで、自分がまだ車の中に居るのだと理解することができた。
(……確か私は、森の中で花の怪物に襲われていた猫耳少女を助けようとして、車ごと丸呑みにされてしまったはず……)
ということは、ここはロイスの居る天界なのだろうか? それとも地獄?
一瞬そう考えたが、どうやら違うらしい。頰をつねってみたが、痛みはある。体の何処にも問題は無い。私はまだ生きている。
……それにしても、何だろう? この湿気の多いジメジメとした空気は? それに腐乱臭のような酷い悪臭が、車内に立ち込めている。
私は外の様子を見るため、車のメインライトを点灯させた。
前方に照らし出されたのは……
うねうね、ぐちょぐちょと音を立てながら蠢く、肉壁の洞窟。
薄ピンク色にてらてら光る肉の壁には、青い血管が編み目のように張り巡らされドクドクと脈打ち、天井からは胃液らしき濁った白い液体が糸を引いて垂れ落ちてゆく。
……どうやらここは、あの花の怪物の腹の中らしい。
肉壁の洞窟の中には、私とチートーの他に、無数の骨や頭蓋骨などがあちこちに散乱していた。おそらく、私たちが食われる前に餌食となってしまった哀れな者たちの末路だろう。
ピロロン
その時、車のナビから音がして画面がパッと明るくなり、AIシャシーの声が言った。
『――スキル【酸耐性】を獲得しました』
彼女の声を聞いて、私はホッと安堵する。
「どうやら君は大丈夫そうだね、シャシー」
『はい。車体の各部機能を点検しましたが、エンジン含め駆動系に問題はありません。通常通り走行可能です』
「それは嬉しい知らせだ」
報告を聞いた私は、迷いなくエンジン始動ボタンを押し込んだ。
するとチートーは何の問題もなくエンジンに火が入り、四本のマフラーが唸りを上げて震える。
タイヤが肉壁にめり込んでゆくせいで、まるで車体が泥に沈んでゆくような感覚を覚える。こんな気持ち悪い場所からは、一刻も早く抜け出した方が良さそうだ。
私は怪物の腹の中でゆっくりとチートーを走らせた。ベチャベチャとタイヤ周りに粘っこい液体が絡み付いてスリップし、少しずつしか進まなかったが、それでも進んでいるだけまだマシだった。
それにしても、なんてデカい胃の中だろう。これだけ大きいと像一頭でも余裕で消化できてしまいそうだ。
真っ暗な腹の中を、ヘッドライトの灯火を頼りに、ぐにょぐにょ蠢く肉壁を掻き分けるようにして進んでゆく。
すると、車の前方にぼんやりと小さな影が浮かび上がった。
『武之様、前方に何かあります』
シャシーの警告を聞き、私は車を止めてメインライトをハイビームに切り替えた。
「………きゃっ!」
小さな悲鳴と共に照らし出されたのは――
先ほど私と共に怪物の口へ放り込まれてしまった、あの猫耳少女だった。
粘液にまみれてドロドロになってしまった彼女は、着ていた衣服を溶かされてしまい、僅かな布切れを残すのみで、ほぼ全裸の状態でそこに座り込んでいた。
あと少し到着が遅ければ、溶けたのは服だけではなかったかもしれない。想像したくはないが、まさか怪物の腹の中で再び出会ってしまうとは。
再会場所としては最悪だったが、私も彼女も運だけは強かったらしい。
私は、ハイビームを当てられ眩しそうに腕で目を覆う彼女の隣に車を付けると、助手席のドアを開けてやった。
「乗るかい? この気味の悪い地獄から外へ出られる最終便だ。幸い、席は空いてる」
私の言葉を聞いた少女は、最初ポカンと呆けたような表情でこちらを見ていたが、やがて目元に嬉し涙を浮かべて、「是非とも乗らせてもらうわ!」と駆け寄った。
「おっと、その前に――」
私は着ていた上着を脱いで、彼女に投げて寄越した。
「すまないが、この皮のシートは磨きたてでね。汚したくない」
上着を受け取った猫耳少女は、自分より車の心配を優先する私の言葉に少しムッとしたような表情を見せていたが、「……分かったわよ。綺麗にするから少し待って」と、受け取った上着で体に付いた粘液を綺麗に拭き取った。
バタン――
チートーの助手席に、猫耳少女が乗り込む。
それにしても、今日は変わった者を隣に乗せてばかりだ。一人目は天界の女神様、そして二人目は大きな三角耳と尻尾を生やした猫少女。
……しかも全裸姿で、ときた。
服を溶かされ、すっぽんぽんのまま助手席に座る彼女は、恥ずかしそうに大事なところを手で隠しながら、チラチラこちらを伺いつつ呟いた。
「……こ、こっち見たら殺すから/////」
「……やれやれ、物騒なお嬢さんを乗せてしまったね」
「何よその言い方! ……でも、その……助けてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
そっぽを向きながらもボソボソと感謝の言葉を伝えてくれた彼女。どうやら悪い子では無さそうだ。
……ふと、そんな彼女の腹部に目をやると、何やら刺青のような黒い模様が肌に刻まれているのが見えた。
注視すると、模様の周りには何語かも分からない文字が羅列となってびっしりと記されている。それが一体何を意味しているのか分からないが、この世界では子どもでも刺青をする文化でもあるのだろうか?
文化であれば仕方ないとも思うが、流石に刺青の趣味は頂けないな、と私は密かに心の中で思った。
「……それにしても、これ変な乗り物ね。どんな原理で動いているのかしら? 魔法?」
そう問いかけてくる彼女に、私は曖昧にはぐらかしながらもこう答える。
「ああ、多分魔法で動いている……のかもしれない。……私も、この世界に来たばかりでね。まだこの辺りの地理をよく知らないんだ。できれば君には案内役を務めてくれると助かるのだが」
「この世界に来たばかり」という私の言葉に対して疑問を抱いたのか、彼女は怪訝な表情を隠せない様子だったが……
「……ええ、分かったわ。アンタには助けてもらった恩もあるし」
それでも彼女は私の依頼を承諾し、首を縦に振ってくれた。
「……でもその前に、どうにかしてこのくっさい化け物の腹の中から抜け出さないと、いずれこの乗り物も消化されるわよ」
周囲に注意深く目をやりながら、猫耳少女はそう私に指摘する。
「ああ、それなら心配ない。ついさっき【酸耐性】? とかいうスキルを手に入れた。見たところボディの色も落ちていないようだし、すぐに溶けるようなことはないだろう」
「へぇ、【酸耐性】スキルまで使えるなんて……これ、凄い乗り物なのね」
「驚くのはまだ早い」
「へっ?」
キョトンとしている猫耳少女に向かって、私は言う。
「シートベルトをしろ。ここから先は少しばかり揺れるぞ」
「シート? 何それ?」
私は首を傾げている彼女に、シートベルトの付け方を教えてやった。
それから、気を取り直してハンドブレーキを戻し、ギアシフトを1速に入れる。
カシャン――
すると、ハンドル裏から赤いパドルスイッチが飛び出した。
「それは?」
「ここから抜け出すための魔法の切り札だ」
「?」と首を捻る猫耳少女。
私は飛び出た赤いパドルを、すかさず指で押し込んだ。
「―――【魔力解放】」
キュイィイイイイイイン――――ボウッ!!!!
大量の魔力がエンジン燃焼室に直噴され、タコメーターの針が一気に跳ね上がる。
(……今だ!)
タイミングを測り、クラッチを繋ぐ。
途端にタイヤが高速回転し、肉壁を抉るようにしてチートーは急発進した。
勢い余って、背中がシートに押し付けられる。
が、それでもアクセルを緩めることはない。
「ひいぃぃぃぃぃぃぃっ! な、何よこの速さっ⁉︎ こんな乗り物見たことな――」
「口を閉じていた方がいい。舌を噛むぞ!」
ギアを続け様に2速3速と切り替え、みるみる加速してゆくチートー。目の前には、花の怪物の内蔵である分厚い肉壁が、行く手を塞いでいた。
「えっ? ちょちょ、何する気⁉︎ アンタ目は付いてるでしょ⁉︎ あの先は行き止まり! 道なんか無いのよ!」
「道が無ければ無理にでも切り開くまでだ」
「にゃぁあああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!?」
猫耳少女の悲鳴が響く中、チートーはスピードを緩めることなく、勢いそのままに肉壁へ突っ込んだ。
フロントバンパーが肉壁に食い込み、生々しい音と共に青い血が噴き出して、肉壁は縦真っ二つに破れ裂ける。
腹を突き破って外へ飛び出したチートーは、そのまま地面に激しく着地して駒のようにクルクル回転し、何度もスピンした後、ようやく勢いを殺して停車した。
「あうぅうう………し、死ぬかと思ったぁ……」
「どうやら、脱出は成功したようだね」
私は突き破って出てきた方を見ると、それまで私たちを飲み込んでいた花の化け物の腹にはぽっかりと大きな穴が開いて、胃液やら体液やらがドロドロと外に溢れ出てしまっていた。あれでは、いくら巨大な怪物とはいえ、そう長くは生きられないだろう。
「……さて、どうにか無事に脱出することはできたものの――」
私は車の外に出て、辺りを見回す。
「ここは、何処なのだろう?」
私たちが居たのは、周囲を岩壁に囲われた、だだっ広い洞窟の中だった。洞窟は横に長く伸びており、更に奥まで続いている。
「ここはカンニバルフラワーが通った洞窟ね。あの化け物は常に地下を移動して、適当な場所に腰を据えると、獲物を取るために地上へ向かって花に擬態した口を伸ばすの」
すると、猫耳少女車から降りてそう答えた。
「そうして地上を行く獣や人間を襲っては丸呑みにする。本体である消化袋に落とされれば最後、もう絶対に脱出は不可能。体が溶けて死ぬのを待つしかない。だから冒険者や旅人たちからは”死の壺”と呼ばれ恐れられていたの」
「それはまた厄介な怪物だね。退治しておいて正解だった」
「本当に、アンタが助けに来てくれなかったら、私も今頃どうなっていたか……アンタって本当に凄いわね。あの脱出不可能と言われた死の壺を、あんな簡単に突破しちゃうんだから」
感心する猫耳少女に、私は自分の乗ってきたチートーに目をやりながら答えた。
「お礼ならこのチートーに言ってくれ。この車がなければ、私も奴の腹の中で溶かされてしまっていただろうからね」
「その乗り物、チートーって名前なの? 強い割に可愛い名前をしてるのね」
「ああそうだ。チートーというのは猫の品種名でね。君のような猫をモデルに作られた車なんだ。デザインを手がけたのはドイツの超有名なデザイナーで、スタイリッシュかつエレガントな外見に猫の愛らしさを組み込んだ特異的な形は、発売された当時かなり反響を呼んだものさ」
「へ、へぇそうなんだ……」
車のこと――特にチートーのことになると、ついお喋りが過ぎてしまう私を、猫耳少女は少し引き気味な目で見てくる。
「……あ、そういえば、君に紹介しておく子がもう一人居るんだ」
私ははたと手を打って、車のタッチパネルからAIのシャシーを呼び出した。
すると、車体に搭載された立体映像投影装置が作動して、私の横にシャシーのアバターが投影される。
「うわっ! 何よその子っ⁉︎」
「運転支援用AIのシャシーだ。彼女は私の運転のサポート役でね。心強い助っ人なんだ」
『よろしくお願いいたします』
そう言って、シャシーのアバターがぺこりと頭を下げる。
「運転支援? エーアイ? よく分からない単語だけど……てか、なんで格好がメイド服なのよ?」
「ああ、それは――」
自分の娘である琴音が勝手に設定したアバターで……と説明しようとする私の言葉を遮り、シャシーが答えた。
『この衣装は武之様のご趣味です。私は武之様の勧めてくださる衣服であればどんな物でも着用いたします』
「えっ、シャシー?」
驚いてシャシーの方を見ると、無表情な彼女が私に向かってウインクを飛ばしていた。
どうやらこれも、シャシーなりに考えた一種のジョークらしい。
「えぇ……その服選びのセンス、ちょっとどうかと思うんですけど……」
猫耳少女が、更に引き気味な目で私を見てくる。
……何か変な誤解をされてしまったようだが、まぁいいだろう。
私は改まって彼女の方へ歩み寄り、手を伸ばした。
「私は神凪武之だ。訳あってこの世界を巡っている。よろしく」
差し出された私の手を前に、猫耳少女もその手を握ろうと手を伸ばすが……
自分が裸であることに気付き、咄嗟に胸元を腕で隠して、恥ずかしそうに顔を赤らめながら自らの名前を告げた。
「……る、ルノ……ルノ・トゥイナよ」
「よろしく、ルノ」
――こうして私は、後に最大の助っ人とも呼べる人物と、巡り合ったのだった。




