第45話 内在と外在の理
「……三流……まったく、その通りだよ」
天をじっと見つめ、溜息混じりに蒼夜はそう呟いた。
溜息が出るのは僕も同じだったが。
目線を変えない蒼夜に、僕は問い詰めるように強い口調で言う。
「そう思ってんなら、なんでこんな事をしてんだよ」
「こんな事って……なんだよ」
「お前……まだ……」
自分のしている事がどんな事か分からないのかと、苛立つ僕の言葉を蒼夜は遮る。
「不足がないのが当たり前。不足があれば、あり難し、だ」
蒼夜の言ったこの言葉の意味は……。
僕は眉を顰めた。
……存在するのが難しい……か。
理解出来ない話じゃないが、それが蒼夜にとっての信念なら揺らぎようがないだろう。
神社に生まれた長子だからこその重圧と、求められる絶対的な神力に不足は許されない。
僕は、苛立つ思いを噛み潰し、蒼夜に訊く。
「その為の供犠なら……それはあり難い事だって? 誰かの不足が誰かの満足になる事に意外はないって事か? それでお前は満足出来たのかよ?」
「僕が満足? あはは。こんな状況でなに言ってんの。ああ……だけど、こんな状況だから、それも証明出来るって訳だよね?」
そう言った蒼夜の目線が、再び麻緋へと動いた。
目を開けてから麻緋は、蒼夜と同じように天を仰いでいた。
蒼夜の目線が自分に向けられている事に気づいていても、その体勢は変える事はなかった。
「……兄。親父だって特別な力があった訳じゃなかっただろ。だからって兄が責務だと重圧を感じる事なんか……」
「片目片足になってまでも神主を続ける事が、僕には名代で在り続ける執着にしか思えなかったんだよ。力がないからこそ、力を求める……鬼を祓う者が強さを以て鬼に変わるように。父さんの姿が変わっていけばいく程に、周囲の声も変わっていったのと同じようにね。期待が大きく膨らめば膨らむ程に、名代の責任が問われるんだよ。それってさ……犠牲を良しとする感覚でしょ」
「兄っ……! だけど親父は……!」
「『万象の伯は名代を通じて平穏を人の世に。不穏は常。だからこそ私のような存在がある』だろ?」
「兄……分かってんならなんでだよ!」
声をあげる塔夜に、蒼夜はふっと力なく笑うと静かに答える。
「僕の言う、あり難し、なんて、原義でしかないんだから。原義なんて気にもしないし、忘れちゃうでしょ。本来の意味を超えて、今あるものが全てであるように、都合よく使われていくんだよ」
蒼夜の思いの中には、僕も思う事がある理解出来るものだった。
だけど……。
蒼夜の前に現れたのが渾沌でなかったなら、選んだ答えは変わっていただろう。
あ……。
悠緋が渾沌に教えた神社……。
悠緋の話を思い出し、ハッとすると同時に、蒼夜は覚えのある言葉を口にした。
「一度、儀を交わした名代に力は望めない……儀の継続は停滞を示す。それって平穏って事だよ。だから……新たな儀を始めたんだ」
塔夜の前に現れた、顔を隠すように深くフードを被った男。
フードを下ろし、見せた顔には顔のない面を付けていた。
面を外して見せた顔は渾沌であったが、そもそも渾沌は蒼夜にとって面同様、力を得る為に必要な媒体だ。
父親を殺し、弟である塔夜の目を潰したのは蒼夜本人……。
僕は塔夜へと目線を動かした。
その表情を見て悟る。
……分かっていたのか。途中で気づいたんだろう。
あれは……兄だと。
神社を探していたという渾沌に悠緋は、塔夜の神社を教えたと僕たちに話した。
蒼夜は既に家を出ていたという事だ。
蒼夜の胸に広がりを見せる蜘蛛の巣のような紋様が、体の中に沈んでいくように消えてった。
「兄っ……」
塔夜が蒼夜のシャツの胸元を開いた。
麻緋の時と同じように、心臓を掴むように痣が広がっている。
蒼夜が鈍く咳き込むと、口から血が溢れた。
「なに……焦った顔してんの……塔夜。返したのは……お前じゃないか」
「っ……」
言葉に詰まらせる塔夜に、浅い呼吸を繰り返しながらも、力のない声で蒼夜は言った。
「……沈黙を守れば理解されない。だけど……叫んだところで誰も聞いてはいないんだよ」
言葉の間が開く中、麻緋の溜息が流れる。
天を仰いだままの体勢を崩す事はなかったが、麻緋が漸く言葉を発した。
「それは逆だ……あんたの方が、相手が黙っている事に理解もせず、叫び声も聞かなかったんだろ。その存在さえ感じようともしなかった」
続けられた麻緋の言葉は、蒼夜と塔夜の互いの思いを露わにさせるものだった。
「その呪い……誰、というより、『弟』に対しての呪いだ。耐えて見せろよ……」
……麻緋。
『どうして……こんな……自身の中に留めて置く事だって……相当、苦しみを与えてくるはずだ』
麻緋は耐えていたんだ。
『麻緋……! お前が自分を犠牲にしてまでも、守ろうとしているのは誰なんだよっ……!』
自分を犠牲にしてまでも守ろうとしていた。
その覚悟を麻緋は問う。
それが麻緋の優しさと……。
「塔夜を弟だと思ってんならな」
強さだ。
麻緋は穏やかな表情で僕に答えた。
『弟だ』と。