第37話 無条件の禁忌
治る訳がないでしょ……か。
深い溜息が漏れてしまう。
包帯を解いた目を見て分かった。
彼は生まれつきだ。生まれつき左目がない。
だから医術では治らない、治せない。
元通りにって……。元って……なんだ?
何が基準だと、本来の姿さえ掠れて見える。
否定出来ない事実を突き付けられている事に、僕自身が言った言葉が強調されるように聞こえた。
呪術に頼る事は……『治療の失敗』
覚悟が揺らぐ。
僕は、邪念を振り払うようにも頭を横に振った。
こんな時、父さんなら……なんて答えるだろう。
父さんは……あの時、彼になんて答えていたっけ……?
「どうやって兄を憎めばいいって言うんだよっ……!! 教えてくれよ……! 兄……!」
九重の悲痛な叫びに胸が苦しくなる。
だが……。
その思いは彼には届かないようだ。
肩越しに目線を落としながら無感情さをアピールするように、冷ややかな声をゆっくりと吐き出した。
「……なに言ってんの……塔夜。僕を憎めば納得出来る理由にでもなるって言うの……? だけど……それは違う話でしょ」
「……違う話ってなんだよ……俺が訊いてんのは……」
彼は、呆れたように小さく息をつくと、九重の言葉を遮って口を開く。
「僕が言ってるのは、壊れた玩具は捨てるでしょ。それと同じ事だって事。どう? 少しは分かり易くなった?」
「兄……なんだよ、それ……」
口を開きながらも、九重は彼を見ようとはしない。
直視出来ないその気持ちは分からない訳じゃないが……。
「……兄……なんで……」
胸の苦しさが声を掠れさせる。引き裂かれるようなその思いは、彼への情があるからだ。
なのに……。
九重の気持ちを押し潰すようにも、彼は言葉を続ける。
「捨てる事になんの損もないって事だよ。 随分と遊んだから愛着があった、なんて言うなよ、塔夜? 馴れ合いなんかで目的を見失ったら、失敗するのがオチでしょ。目的を果たせないものの存在価値なんか、知れたもんじゃないか。だから目的を果たせるようになる事が、存在価値を決めるんじゃないの? 塔夜……今のお前は僕にとってはそういう事。どう? 今度こそ理解出来た?」
……なんで……こんな事を平気で言えるんだ。
僕には兄弟がいないから分からないが、こんなにも悪し様に言えるものなのか。
「存在価値……そっか……はは……逆だったんだよな、元々。兄……兄が……俺を憎んでるって事だった……そっか……そうだよな……分かってたよ……そんな事……」
……九重……。
強く地を削った手が力を無くす。
どれ程の痛みを胸に感じているかが分かる。
存在価値……か。
『志極まる有りて旁無し……だからお前のような存在がある』
旁無し……助けてくれる者は誰もいないという事だ。
それは、九重の父親もずっと抱えていた思いだった。
『だから俺のような存在がある』
そうでなければならないと、自分を駆り立てると同時に自分を追い込んでいた。
それが出来るのは九重だと、九重自身もそう思ったからこそ、誓いを立てるようにも口にした。
禁忌とスケープゴート。
それが何を意味しているのかを……だ。
だけど、それに気づいていなかった訳じゃない。
それがいつしか曖昧なものになっていった。
代を継げば継ぐ程に曖昧に……。
これこそが……禁忌だ。
「なんで供犠が必要だと思ってる? ねえ……塔夜。忘れた訳じゃないだろ……?」
だが、禁忌とはいえ、それは周囲からの期待によって求められているものだ。
膨らんだ期待が、絶対的な可能を求める。
脅迫にも似た期待だ。
失敗など許されない過剰な期待に、応えなければならない観念がその存在そのものを束縛する。
同時にそれは、自身の存在を書き換えてしまうんだ。
代わり、ではなく、そのものに、だ。
それは代替わりも同様、その名を背負い、それが象徴となる。
彼は、九重の言葉を待たずに答えた。
彼の言葉は明確に事を表していく。
それ自体が自身に関わっていた事だから言える事だ。
「それが呪力を維持する為だって、ね?」
そう言ってクスリと笑みを漏らすと、彼は空間をなぞるように指を動かした。
星屑を集めるような指の動きは繊細で、優雅にも感じる。心の奥底に憤りを閉じ込め、それを表に出さない口調と態度が、彼の力量を示すようだった。
だからといって、それは余裕とは違う。
彼の思考そのものが、求められていた大きな力に染まっている、神性そのものだ。
光の粒が集まり始め、彼の手元で形を作ったのは、砕け散ったはずの顔のない面だ。
彼は左目を隠すように面を半分顔に当てると、またクスリと笑みを漏らす。
僕は、その後に続いた彼の言葉を、麻緋の言葉を重ねながら聞いた。
『禁忌呪術っていうのは、他に求めた力を自身の力とする。だがそれだけでは、禁忌呪術とは言えない。求めたものが何であるか……それは、絶対に不可能なものを可能にする為のもの。つまりは法則を無視し、可能性など微塵もない『無』を『有』に変える、摂理に反するものだ』
「名代って……そういう役目でしょ」