第32話 見るべき世界
神降巫……か。
役割は名代と同じだ。
『まさか本当に巫女に助けを求めたのか!』
まさか、本当に。
九重のあの慌て様は……。
正真正銘の巫女、桜……悠緋の言葉に九重の反応が大きかったのは、同じ巫女であった母親を見てきたからのもあっただろう。
それがどんな事になるか、分かっていたんだ。
僕は目を閉じ、ふうっと息をつく。ゆっくりと開ける目は、睨むようにも前を見据えた。
鬼の出入り口である鬼門と裏鬼門。そこに立つ僕と麻緋は、逃すつもりはないと互いに頷き合う。
『次の任務ですが、麻緋と来は東南に向かって下さい』
本来の任務であった東南。
だが、僕と麻緋は東南には向かわず、南に向かった。
結局は南……そして次は南西だと思ったのにも当然理由はある。
象られていく妙な気配。
生ぬるい風が纏わり付くように回る中、僕と麻緋の間に位置する九重は、再び面を被り、舞い始めた。
九重の舞が力強さを見せれば見せる程、姿なきものの姿が浮かび上がってくる。
一定の間隔で、ズズッズズッと地を擦るような音がする。
その音が次第にはっきりと耳に響くようになると、目に捉えられる姿に切なさで深い溜息が漏れた。
『塔夜のお父上が亡くなられた経緯……塔夜のお父上とは一度繋がりを持ったと言っていたのですよね、それでは力が望めないと……僕からすればそれが少々不可解でしてね……』
……ああ……こういう事か。
『九重……お前が守っているものは、何だって話なんだよ』
九重にそう訊いたが、なんとなくも僕は気づいていた事だった。そう言うよりも、それ以外の理由が浮かばなかった。
九重の力が渾沌に劣っているとは思えない。
それでも付き従う状況に陥ったのは、その存在にあるのだろう。
地を擦るような音は、片足を引き摺って歩く音だ。
片目……片足の名代。
姿を成したのは。
九重の父親だ。
人の姿を成していても、人とは思えない鬼のような形相。
息子を前にしても、そういった感情は湧かないようだ。
……渾沌……。
人の命を道具のように扱う。
奴は地に封じられていようとも、自身の思うように動かせるというのは、九重の父親と一度繋がりを持ったからなのか。
それならば、成介さんが言っていた事はこういう事なのだろう。
東南に向かえというのは、九重の父親の魂魄の確認だった。
まあ……麻緋は気づいていたから東南に向かう必要はないと踏んだのだろうが。
なんにしても趣味が悪い。
桜の時もそうだった。
近しい者をぶつける事で、手を出し難くする。
だが、是が非でもこっちは全力を出さなければ、立ち向かえない高い能力を持つ者だ。
手加減でもしようものなら、完全アウトだろう。
九重の父親は、全身の力を振り絞るように両手を握り、身を屈めて叫び声をあげた。
耳を貫く雷鳴のような声に、僕は顔を歪める。
バリバリと割れた地から、地上を求めるように無数の手が九重へと伸びたが、九重は舞いながらもその手をスルリと抜けていく。
僕と麻緋の間に位置する九重は、神降巫とは言っても名代だ。
曰く付きだというあの面は、あの時にも付けて舞っていた。
『お前にこれが舞えるか?』
そう言って父親を思い、舞を見せた九重。
『鎮魂招魂……鬼を鎮めて神を招く……そもそも……鬼とは死者の魂……心に残るものがあれば鬼ともなるだろう』
再度、雷鳴のような叫び声があがると、背後から無数の気配を感じ取る。
やはり……呼び寄せたか。
結び付いた魂魄が集まれば集まる程に、当然鬼神が増えていく。
淀む空気が圧迫して来るように、息苦しさを感じさせる。
ポッと浮かび上がる火の玉が、ゆらゆらと僕を見るように周りを回った。
火の玉が次第に数を増していく。
鬼火……。
浮かび上がった鬼火は、陰の気である魄を求めて地に潜ろうとする。
僕は、地を叩くように両手を付いて結界を張り、鬼火が魄と結び付こうとするのを阻んだ。
それでも鬼火は地に潜ろうとしては弾かれ、それでも再び地に向かう。
弾かれても弾かれても地に向かう鬼火を見つめて僕は呟いた。
「……ごめん」
誰一人、助ける事が出来なかった。
地に倒れる人々の姿にさえ、その目に映す事をやめた。
無力さを嘆くだけ嘆いて、選んだ答えは自らの命を断つ事で。
喪失感は諦めを促して、自分の存在を無意味に変える思いを身に纏った。
……僕の見るべき世界を見るまでに。
この目で何を見ればいいのだろう。
この目で見ているものは、本当に必要であるものなのかと。
もしもこの現状が、なんら関係のないものならば……。
もう……何も見たくはないと。
結果的に僕は逃げたんだ。
だけど。
この目で見ているものは、本当に必要で。
僕の見るべき世界を見るまでに、関係のあるものだ。
突然降り掛かった禍いは、多くの命を奪っていった。
何故、どうしてと混乱の中、希望など欠片も見つからずに散った思いは、無念と何を恨めば気が晴れただろう。
「ごめん……」
再度そう呟き、ギュッと手を握ると僕は顔を上げ、誓うように言った。
「今度こそ……助けるから」