第29話 仕組まれていた罠
「来、お前は塔夜の目を治したんだ。それはお前じゃなければ出来なかった……そう言っただろ?」
麻緋の真っ直ぐに向けられる笑みに、なんだか気恥ずかしくなって目を伏せた。
カタンとドアの向こう側で物音がした。
僕は麻緋と目を見合わせ、席を立つとドアを開ける。
「……悠緋」
誰かがいるのは分かったが、悠緋だったとは。
僕たちの部屋から離れた部屋を自室として与えられた悠緋は、ここに来て以来、僕たちと顔を合わせていなかった。
伏見司令官と成介さんは、悠緋が自室から出る事を制限していた。
スケープゴートとなっていた悠緋が抱え込んだものが大きかった所為もあるのは分かっていたが、一人でここに来たという事はその問題は解消されたのだろう。
「……ごめんなさい。立ち聞きするつもりはなかったんだけど……塔夜さんの事……僕はどうしても……」
「分かった。お前の話、まだ聞いてなかったしな。中で聞く」
僕は、悠緋を部屋に入れ、椅子を勧めた。
「……兄さん。本当にごめんなさい。僕が勝手な事をしたから……」
「お前に何も言わなかった俺にも責任がある」
麻緋の言葉に悠緋は、そんな事はないと首を横に振った。
麻緋は、意を決したかのようにふうっと息を吐き出すと、話を始めた。
「あの日……伏見が家に来た。親父たちが収監所に連れて行かれたってな。収監所は伏見の管轄だったからな、俺は伏見を問い質した。だが……伏見は酷く負傷していた。初めは気づかなかったが、掴み掛かった時に黒の上着が血で濡れていたんだ。上着を掴んだ俺の手が真っ赤に染まる程にな……権限を失ったんだと直ぐに分かった」
麻緋の話を聞きながら、僕は静かに椅子に座る。
「あの時俺は、怪我を心配するよりも、伏見を責めた。だから俺は収監所に向かった。伏見が止めるのも聞かずにな。それもそうだよな……突然降り掛かった禍いに、何の不自由もなく過ごし、平和ボケしていた俺に何が出来る。闘う術など誰が教えてくれたよ? だから……俺一人向かったところで、どうにか出来る訳じゃねえって分かっていた。だけどさ……」
麻緋は、一旦言葉を止めると苦笑を漏らした。
「周りの声の大きさに飲まれちまった」
「……麻緋」
……直ぐに察した。その言葉の意味は。
「生まれながらに正邪の紋様を持つ天才なら、どんな事でも可能だろうってな……」
誰にも頼れない……そういう状況だったんだ。
きっと、麻緋と伏見のただならない様子に、何事かと周囲の者たちが集まって来たんだろう。
心配する者もいただろうが、その心も、力及ばずと自分の力量を知っているなら、その中であがった声に消されてしまう。
麻緋しかいない、麻緋なら何でも出来る。たった一人であっても……。
それは……九重もだった。
『俺は、麻緋とは同等でいたい……確かにあいつは強い。麻緋……両親を助けに一人で向かっているんだろ。誰にも頼らず、一人でさ……麻緋より強い奴なんかいねえだろ……だからあいつは俺にも頼らなかった。頼る必要なんかなかったんだよ』
……その第一声を発したのが渾沌なら、多くの者たちの思いをそう向ける事も出来た……。
その時から既に孤立させようとしていたのか。
だからその後に来た九重も悠緋も、近隣の者たちを見ていない。
僕が見たあの過去にも九重と悠緋以外、確かに誰もいなかった。
そんな状況になっている事も、悠緋に知らせる者さえもだ。
初めて麻緋に会った時の事を思い出す。
『俺に不足はありはしないから、俺がお前を補ってやるよ』
自信に満ちた表情、何にも恐れる事のない強さ。
その態度も言動も。
正直、名家の息子とは思えなかった。
きっと……その日から麻緋は変わったのだろう。
だからなんだと、跳ね返す心が麻緋を強くしていったんだ。
誰にも頼れない、頼る事が出来ない。一番に頼れるはずの父親を奪われ、自分しか……信じる事が出来なかった。
麻緋は、信じた自分の力で証明したかったんだ。自分を信じてくれる者が現れる事を。
その時の麻緋の心情を思いながらも僕は、ふっと別の思いが浮かんだ。
藤堂家に集まった者たちの中に……渾沌が……いた……?
僕は、悠緋に目線を向けると訊ねる。
「悠緋……お前……桜の事をいつ……何処で知った? まさか……」
この出会いは偶然だったのだろうか。
悠緋と桜は確かに歳は近いが……。
九重の過去の中で悠緋は、神舞が出来る正真正銘の巫女を知っていると……。
誰かに……教えられた……?
ああ、そうだ。
九重の過去を途中で見るのをやめたのも、その違和感に気づいたからだ。
「あの日の少し前に、この辺りで神社を探している人に会ったんだ。数日前に神舞を見たらしく、その巫女の神舞が凄く美しかったって。僕も見たくなって何処の巫女か教えて貰ったんだ。その人、自分は舞人だから名代を探しているって言っていて……」
悠緋の口から語られる言葉に、僕と麻緋は少し強張った表情で真っ直ぐに目を合わせた。
「だから僕、塔夜さんの神社を教えたんだ」