第26話 格と式
「おい……塔夜」
「よう、お帰り。麻緋、白間」
椅子に座ったままの姿勢で、笑みを見せながら僕たちを迎える九重に麻緋が向かって行く。
「お帰り、じゃねえよ……てめえ」
拠点に戻った僕たち。
不機嫌極まりない麻緋は、九重を睨みつける。
まあ……麻緋の怒りは理解出来る。
あの場に現れた伏見司令官に、事の説明を求められた僕たちは大目玉を食らっている。
言い訳など考えなくても正解だったな……。
見るも明らかな状況の中で、通用しないのは当然の事だった。
言い訳などしたら、あんなもんじゃ済まなかっただろう。
あー……思い出すだけでも体が震える。
伏見司令官の口から火が出るかと思った……。
捕えた鬼獣なんて目じゃねえ。
はは。あれじゃあ、鬼と言われても納得するしかねえな。
「正直に答えろ。成介との任務……本当に向かったのは南だな?」
……え……。
一瞬、驚いた僕だが、納得するものは幾つもあった。
あの面も、九重が置いたと言うのなら、あの場所に渾沌が封じられている事を知っていたという事と。
成介さんとの急な任務は、その為であったのだと思わせた。
「あー。やっぱり麻緋は誤魔化せねえな」
ははっと笑う九重に、麻緋は詰め寄る。
「ああ、お前のテキトーさのお陰でな?」
テキトーって……あの時のあの会話……。
……成程ね。
わざと聞かせたって訳か。
麻緋と九重が言い合う中、僕は大きな溜息をつくと二人に近づく。
二人の間を割くように、ドンッとテーブルに両手をついた。
「どうでもいいけど……」
僕は、九重を睨みつけるようにじっと見る。
「なんで僕の部屋にいるんだよ?」
「あ? そろそろ戻って来るだろーと思って待ってたんだけど?」
平然と言葉を返す九重に、僕は顔を引き攣らせる。
「ああ……そうだよな……」
僕は、椅子に座ったままの九重を見下ろすように、斜め上に顔を上げ、腕を組む。
「僕たちに『言い訳』が必要だもんな?」
「あれ……? 一番、怒ってるのって……麻緋よりも白間……?」
「そういう事だな。言い訳するなら、来が納得する上手い言い訳にしろよ、塔夜?」
麻緋は、ふうっと息をつくと椅子に座る。
「仕方ねえな……」
九重は、少し困った顔を見せたが、直ぐにニヤリと口元を歪めて笑った。
そして、左目を隠すように覆う前髪を掻き上げ、僕を見る。
眼球のない開かれた左目の中に、幾つかの小さな光が見える。
「言ったじゃねえか。俺のこの目には『式』が見えるってな」
「そうだったな……じゃあ、それはつまり」
僕は、九重の左目を覗き込む。
「補っているのはお前って事か」
「おい……白間……」
左目を凝視する僕に、戸惑いを見せる九重は髪を下ろし、目を隠した。
だけど僕は、下ろされた九重の髪を掻き上げ、再度、目を覗き見る。
「正直に答えろよ、九重……この際だから、腹を割って話そうじゃないか。僕とお前は、互いの過去を触れた仲だろう?」
「おい……白間……お前、少し変だぞ……お前、そんなに積極的だったっけ……? 俺、男に興味は……」
「はっ。ふざけるな。僕にだってそんな気はねえよ」
僕は九重から手を離し、椅子にドカッと腰を下ろす。
「九重……お前が守っているものは、何だって話なんだよ」
「なんだよ……急に。そんな事……」
「どうでもいい訳ねえだろーが」
「……白間……」
「大事な事なんだよ、九重。その左目……」
九重は、そっと俯くと前髪の前から左目に触れた。
「もう見えんだろ。今、ここにいる僕たちの姿がな」
あの時、渾沌が被った四つ目の面。
僕は、その中の一つの目を矛で突いて面を割った。
『あいつは自分の術に誘導させて、発動する為の引き金を誘導した相手に引かせる』
式とは、格を補う為の発動条件でもある。
僕は、それを利用した。
術を発動させるには言葉が必要だ。
そこに絡み合うものを重ね合わせれば、その術の発動に必要な条件を更に補足する事が出来る。
それがより強固な術となり……つまりはそれが『術式』だ。
ゆっくりと顔を上げる九重は、驚いた顔を見せて僕を見ていた。
テーブルに方肘を立て、頬杖をつく麻緋の目がちらりと僕へと向き、クスリと小さく笑った。
僕は、素知らぬふりで両腕を上げ、背伸びをする。
「あーあ。今回は本当に疲れたな。要らねえ説教まで食らっちまったし」
そう言って僕は、椅子から立ち上がった。
「風呂、入って来る」
「白間……」
前髪の隙間から見える目に、涙が滲んでいる。
ようやく……その目に温度が感じられたな。
だけど僕は、その涙に見ぬふりをした。
九重の過去で見た一つ目の面から零れ落ちた血の涙。
今のその涙は、あの時のような苦しみとは違うだろ、九重。
漏れる笑みを隠すように僕は、皮肉にも言った言葉を残して部屋を出て行った。
「僕が戻って来る前に、自分の部屋に戻っておけよ」
そんな脆い一面、僕に見せたくなかったはずだろ。
だから……僕は気づかないふりをする。
何かを守る為の犠牲なんて、僕は認めない。
況してやそれが、償いだと言うのなら。
もう……十分だ。