第23話 疑心暗鬼を生ず
『お前にこれが舞えるか……?』
父親の思いを抱え、父親の為に舞った九重。力強くも繊細なその舞いに、思いが込められているのが伝わってきた。
面に浮かんだ一つ目から流れ落ちた血の涙が、その思いを強く表しているようだった。
九重 塔夜……あいつは。
渾沌に目を潰された時から、この時までの網を張っていた。
いや……片目を奪われる事は、計算済みだった。逆に奪わせる事で、繋げられたというべきか……。
九重の父親が感じていた不穏。
それを九重自身も察したからこそ、あの時、麻緋の家に向かったんだ。
覚悟を持ったあの言葉がそれを示していた……。
『俺が何を失っても……理解してくれるよな……? そして……親父が自分の体以上に失うものがあったとしても……だ』
儀式の中心……名代になるには、片目である事が条件だった。
父親の跡を継ぐと決めていただけに、そうなる事は元よりの覚悟だ。
「はは……ホント食えねえ奴。強えな……」
そう呟きながらも、思わず笑みが漏れる。
僕は、矛の柄を踏み付ける足に力を入れ、柄を折った。
僕が面に描かれた目に手を伸ばすと、即座に渾沌が後方に下がり、再度、腕を振る。
……懲りねえな。
また矛かよ。
そのスタイルは変えないって訳か。
「さっきの話の続きだ。渾沌……そう呼ばれるようになったのは、お前の不徳が原因だ。そんなお前が神の力を我が物に鬼を祓う? まあ……お前にとって鬼に見えるのは、確かに僕たちだろう。奪ったはいいが、取り戻そうと立ち向かって来る僕たちがな。だが……」
穂先がまた僕に向けられた。
……長柄で距離を取るとは……。やはり、面の目……触れられるのは避けたいか。
「お前は何を奪われると常に怯えている? 力があれば、奪われないとでも言いたげだが……」
それなら。
僕は、臆する事なく少しずつも前へと進み、距離を詰めていく。
「奪っても奪っても、お前は不足を感じているだろう? 満たしたはずなのに満たされない。奪ったものさえ、本当に奪えたのかと疑うくらいにな。お前の望む力が降り降りないのは、捧げられたものが吐き出されるからだ。それが何故だか分かるか……?」
僕が近づけば、渾沌が斬りつけようと矛を振り下ろす。
僕は、それを避けながら近づいて行くが、渾沌は矛を振りながらも下がって行く。
一振りだけでも矛に当たったものは斬り落とされ、その威力は確かに凄まじい。
矛が振られる度に、稲光が空を這い、空さえも斬り裂いてしまいそうだ。
雷鳴が轟くと、体の中にまで震動を与えてくる。
どちらも譲らないまま、睨み合っていた。
気づけば僅かにも形を残していた拝殿も、既に跡形もなくなっていた。
渾沌がピタリと足を止めたのと同時に、僕も足を止める。
渾沌は、矛を握る手に力を込め、放出するようにも全身を震わすと再び雷鳴が轟き、地をバリバリと割った。
空に走った稲光が渾沌の姿を浮かばせる。
……まるで鬼そのものだ。
四つ目に宿る光が、欲に溺れた者のように卑しくもギラついた。
割れた地面に砕かれた瓦礫が加わって、足場が悪い。
容赦無く矛は振り回され、防御の結界を張っても斬り裂かれる。
大きく振り回された矛を避け、安定を失った地に僕は身を低くした。
うん……?
地に触れた手に、何かを感じ取る。
これ……。
式盤だ。
何故ここに、という疑問はあったが、それよりも式盤が示す配列を見る事を優先する。
……成程。この地を選んだのは、やはり正解だ。
僕は、ニヤリと口元を歪ませた。
目を渾沌へと戻し、動きに目を見張りながら、ゆっくりと立ち上がる。
「ここは祭祀のあった場所……祭祀とは人が祀り手となる。儀式に於いて、捧げるものは儀式にとって相応のものでなければならない。祀ろわぬ神であろうが捧げるものが人の命と言うならば、その命を以てして力と変えるのは過剰という訳だ。だから吐き出すんだよ。いや……この場では吐き出させると言った方が正しいかな……」
僕は、じわじわと近づいて行く。振り下ろされた矛の柄を、グッと掴み取った。
「なあ……渾沌。答えねえからその名で呼ぶが、その面を被った事で儀式は始まった。だが……残念な事に場所が悪い。お前にとってはな……? なにせ人の命どころか……」
掴んだ柄を強引に引き寄せ、渾沌のバランスを崩す。
「祭祀ある神をお前は食わせたんだからな……」
渾沌の手から矛が離れ、矛を手にした僕は、渾沌へと穂先を向けた。
「変易錯綜」
カッと光が弾けると、僕は矛をぐるりと振り回し、面を穂先で突いた。矛の穂先は槍程、尖っていない。面に与えられた衝撃で面が割れ、渾沌の顔が露わになった。
「乾為天上爻……亢龍有悔……つまりは」
ドオンッと何かが落ちた衝撃が地を揺らす。
割れた面は尸とはならず、面から抜け出た龍蛇が地に倒れた。
「昇り過ぎた龍は地に落ちるしかないという事だ」