第12話 排除の両儀
降り出した雨は止まず、数日降り続いていた。
降り続く雨が更なる不穏を感じさせるが、雨が止み、青空が広がった晴天の中、暗い表情で九重の元に悠緋が訪ねて来た。
『……塔夜さん』
びしょ濡れの体。俯き、悔やむようにぎゅっと握り締める両手は震えていた。
雨が降っていた夜中。そのまま家に帰らず、朝になってから九重の元に来たのか……。
『悠緋……お前……』
悠緋の表情で、九重は何があったかを直ぐに察したようだ。
『……どうしよう……塔夜さん……僕……どうしよう』
『お前っ……!! まさか本当に巫女に助けを求めたのか!』
『それしか……それしかもう……僕に術はなかった……なかったんだ……!』
『だからって……! お前……敵がなんだか分かってんのかっ! 俺はなんにも言ってねえぞ!』
『敵ってなに……禍いを齎す見えない存在の事? それって……鬼でしょ……普通の力でどうにか出来るものじゃない。だから……名代……塔夜さんのような存在があるんじゃないの……? だから僕はっ……』
……ああ……。
純粋無垢である程に、言葉の中にある真意が見えない。
それが時に残酷で、非情ともなってしまう事が、人の心を蝕んでいく事もまた事実だ。
『俺のような……存在……?』
歯車が……狂っていく。
『は……はは……そうだよな……だから失うものがあっても得られるものがあるって事だ』
九重の目つきが変わった。憎しみさえ思わせる、鋭い目つきだ。
絶望に満ちていた目が、闇の中で一筋の光を見つけたかのように。
その光が導くものが摂理に反していたとしても。
『……悠緋……巫女のところに連れて行け』
『塔夜さん……だけど……』
『俺の力になってくれるんだろ……? だったら……その力で俺がお前の力になる』
……なに……?
これが……禁忌か。
チッ……!
深みに嵌る前に手を打てって事かよ……九重!
「もう十分だ……もう……分かった」
入り込んだ九重の過去から僕は戻る。
九重は僕に体を預けたまま、目を覚ましていなかった。
「来」
麻緋の声に僕はゆっくりと振り向く。
「……全て見たのか?」
「いや」
「いい判断だ」
「まあな」
ニヤリと笑みを見せる僕に、麻緋はふっと静かに笑みを漏らすと小さく頷いた。
僕は、言葉を続ける。
「全てを見ていたら戻れなくなるだろ? 手掛かりだけで十分だと思ってね……それに、もう夜は明け始めているはずだ。陽が翳って見えないだけでな。それは九重が失った光だろ……だから明けないんだ。だけど、そうはいったって、時間的に戻らないとマズイだろ」
そう言って僕は、深い溜息をついた。
「ふ……そうだな。来……全てを見る前に引き上げたって事は、気づいたんだろ?」
「……ああ。気づいたよ。ここはそういう場所……だったよな? 麻緋」
「ああ、そうだ」
「そっか……それならよかった」
僕は、少し俯きながら、静かにふっと笑った。
「幻影に嵌ったなら直ぐに破れ……正解だったよ。別の幻影が混ざり始めた。それを全て見ちまったら、禁忌の発動だ」
「……白間さん」
不安を見せる悠緋の表情は、心配というより、恐怖を感じている。
「……悠緋……」
僕は、九重を麻緋に預けると、悠緋と向かい合う。
「……心配するな」
「……っ……」
込み上げる思いに胸が詰まされる悠緋は、ぎゅっと目を閉じた。
僕は、悠緋の肩にそっと手を触れると、地にうつ伏せに倒れる渾沌の前に屈んだ。
「来」
「問題ない。任せておけ」
僕の言葉に、麻緋がふっと鼻で笑う。
その笑みに、僕も釣られてしまう。
ふと思い出される麻緋の言葉。
『挑発ってのは、相手を罠に嵌らせてから挑発って言えるんだよ』
麻緋の口の悪さって……はは。本当に絶妙だな。
麻緋の漏らす笑み一つで、言葉が聞こえるようだ。
罠は罠でもとんだ小細工だな、麻緋……?
「残念だったな……渾沌。なんだかんだ言ったって……」
渾沌の体の向きを仰向けにし、顔のない顔へと僕は手を触れる。
そこにあるはずの……左目に。
「九重の方がお前より上手だ」
渾沌のあるべきはずの左目に、僕は指を沈めていく。
指を沈めれば沈める程に、指先に与える感触は巻き付くようにも気色悪く絡んでくる。まるで、僕の手を引き寄せ、飲み込むように。
それは、九重の目に沈めた指にも似たような感触ではあったが、それが僕に確信を持たせた。
僕の口から言葉が流れる。
「事別きてたまわく。千里の外、四方の堺、東の方、西の方、南の方、北の方、留まり隠らば大儺、小儺、追い走り滅する」
言い終わると同時に、僕は手を引き抜いた。
飛び散る雫は血か、降り出した雨か。
その雫を追うように渾沌の手が伸びた。
雫は地に落ちる事なく、風に煽られるようにぐるりと幾重にも円を描いた。
「起きろーっ……! 塔夜っ……!!」
張り上げた麻緋の声に、九重が目を開けた。
九重は瞬時に渾沌の腕をグッと掴み取る。
「光と闇が回転する円の重なり……九重の天の境界は……」
もう片方の手で渾沌の顔を覆うと、九重は言葉を続けた。
「お前にはもう見えない」