第10話 外なる神
『はは……なにが……名代だ……』
九重は体を震わせながら、被せられた面を顔を押さえるようにグッと掴む。
『だったら……舞人なら……舞人なりに……名代に従えよ……俺が中心だ』
面を外す事なく、手を下ろす九重。
渾沌に被せられた顔のない面に、大きな一つ目が浮かび上がる。
『これは……やはり流石と言うべきですか』
渾沌は、関心した様子で満足そうな笑みを漏らした。
『そう言うなら教えてやるよ……俺はまだ……両足が生きてるからな』
面を付けたまま、九重はゆっくりと立ち上がり、間を取った。
渾沌は、九重の動きを興味深そうに眺めていた。
九重は、スッと滑らかに足を動かし、軽やかに舞い始める。
……神舞だ。
『よく見ておくんだな……舞には意味がある。意味を持って舞うのが舞だ』
しなやかで優美……そして激しくも強く。
その動きに……見入ってしまう。
『……お前にこれが舞えるか……?』
面に浮かんだ一つ目から血の涙が落ちる。
……九重。
胸が締め付けられる思いだ。
九重は……。
『鎮魂招魂……鬼を鎮めて神を招く……そもそも……鬼とは死者の魂……心に残るものがあれば鬼ともなるだろう。この現状じゃあ、正直俺はそれでもいいと思ってはいるが、親父はそれを望まないだろうからな……』
父親の思いを抱え、父親の為に舞っている。
『舞は右を軸に左に回る……陰陽を表し、天地が混ざり合う混沌。その混沌の中に神が生まれた……神が生まれると天は日毎に高さを増し、地は厚くなった。やがてその神が死を迎えると、頭は山になり、血は海に、髪は草木に、涙は川に、呼気は風に、声は雷に、右目は月に……左目は』
九重は動きを止め、再度、面を片手で掴むと面を剥ぎ取った。
『太陽だ』
カッと目が眩む程の光が弾け、視界が奪われる。
真っ白で何も見えなくなったが、息を切る九重の声が聞こえた。
何処かに向かって走っている……何処に行く気だ……?
『……緋……麻緋っ……!!』
次に見えた九重の姿は、麻緋の家の前にあった。
『麻緋ーっっ……!!』
どんなに呼んでも、扉を叩いても誰の反応もなかった。
九重の父親が言っていた通りの事が起きている。
『……麻……緋……』
愕然と、力なく九重はその場に崩れた。
扉に靠れ、左目を覆う。
『クソッ……』
手に持ったままの面に目線を落とし地に置くと、押し潰すように上から手を被せる。
『なんで……こんな……』
頭を垂れ、暫くの間、九重はその場にいたが、顔を上げるとゆっくりと立ち上がった。
面を手に、ふらつく足取りで麻緋の家を後にする。
『塔夜さん……?』
……悠緋だ。
城壁を抜けたところで、家に帰って来た悠緋に会ったようだ。
『悠緋……悠緋! お前、無事だったのか』
『無事って……? 僕、ちょっと用事があって……今帰って来たところなんだ。兄さんに用だったの? もしかして兄さん、僕の帰りが遅いから怒ってたとか?』
クスッと肩をすくめて笑う。
あどけなさを感じる雰囲気。幼さが残る表情。
悠緋のこの様子からして、何が起こり始めているのか知らないようだ。
これって……もしかして……。
『いや……』
『え……塔夜さん、その目……』
『なんでもない、大丈夫だ』
『なんでもないって……血が』
九重は、悠緋を擦り抜けてその場を後にしようとする。
『待って!』
悠緋が九重の腕を掴んで足を止めた。
『待って、塔夜さん。塔夜さんの家が何を担っているかって、僕だって知ってるよ。塔夜さんのお父さんが名代である事も。だから……』
悠緋は、九重が手にしたままの面にちらりと目線を向ける。
『その面……何に使うのかも知ってる。僕……見た事あるから』
『悠緋……ここに俺が来た事は麻緋には言わなくていい』
『え……兄さんに会ってないの? 兄さん家にいなかった? だって……家の明かり、点いてるでしょう? 父さんと母さんはいたんじゃ……』
『……悪い、悠緋。俺……』
まだ子供の悠緋に何も言える訳がないと、目線を逸らす九重だったが、悠緋は何かを察したようで家の中へと向かって走って行く。
『悠緋っ……! ああっ……! クソッ! なんで俺はっ……!!』
九重にしてもどうしたらいいのか分からず、混乱していた事だろう。
髪をグシャグシャと掻き、ここに来た事を後悔しているようだ。
なんにしても、いずれは知る。
知らないままではいられない、それが現実だ。
九重は、手をグッと握り締めながら、悠緋の家族を呼ぶ声を頭を垂れて聞いていた。
何度、呼んでも帰ってくる声はない。
薄明かりを放つ月さえ翳り、降り出した雨が不穏を伝える。
悠緋は、家の中の様子がいつもと違う事に、直ぐ気づいた事だろう。
『……塔夜さん』
九重の元へと戻って来た悠緋は、九重の手からそっと面を取る。
切羽詰まった表情で、縋るような悠緋の表情に、九重は頷くしかなかった事だろう。
『……力が必要なんだよね……? 神舞……それが出来る人を知っている。正真正銘の巫女だよ。そこへ行こう』
これは……三年前の出来事だ。