第7話 真成の陰
深く、暗い闇に飲み込まれていく。
九重を支える腕に重さが感じられなくなっていく程に、闇が深くなる。
それでも見える光景は、幻影でもあるのか、だがこの幻影は九重の既往を見せていた。
僕の目は九重の記憶を、まるでその場にいたかのように自身のものとして見ている。
ガランガランと大きな鈴の音が聞こえる。
……神社……か。
じゃあ……九重は神社の息子だったのか。
目に映る光景が、辺りを変わるがわり映し、自宅であるだろう座敷の中で止まった。
着物を着た熟年の男性が上座に座っている。
伏見司令官に似た威厳を伝える男の声が流れ始めた。
『藤堂家の当主が代を継ぐ。代が替わる時、正邪の紋様も継承される。紋様が継承されて初めて当主だ』
それは、九重と九重の父親との会話だった。
……父親も片目だ。封じるかのようにも十字の傷が瞼に刻まれている。
気怠そうにも寝転がりながら話を聞く様は、九重の性分そのものだと思わせる。
『だからなんだよ、親父。代替わりは当たり前に行われる事だろ。別に周りが騒ぐような事でもねえじゃねえか。うちだって同じようなもんだろ。親父の跡は俺が継ぐ』
だけど……これはどのくらい前の記憶なのだろう。この時の九重には両目がある。
『お前は分かっていないな……塔夜。この地の主でもある藤堂家だぞ。代替わりは重要な事だ』
ゆっくりと立ち上がる九重の父親が、座敷の全開口窓へと歩を進める動き……跛行。どうやら片足も不自由のようだ。
九重は父親を目で追いながら、体を起こした。
『なんだよ……親父。まさか、当主の代替わりに不満があるとか言わねえだろうな? 他所の家督の話に首突っ込むのはやめとけよ。大体、その目もその足も、首を突っ込んだ故の話だろ』
……目も足も……。
『不満ではなく、不穏だ。そもそも、塔夜……平穏であるには望むしかない。それ故に私のような存在があるのだろう。不穏が常だ』
『……どういう意味だよ?』
怪訝な顔を見せる九重に、父親は深い溜息をついた。
『藤堂家の長子……お前は良く知っているだろう? 継承されるべき正邪の紋様を自身の力で既に持っている、生まれながらの天才……後継は代飛びだ』
『代飛び……それって……次の当主は麻緋って事か……?』
『ああ』
『じゃあ……』
九重の表情が強張る。
これが……その理由……。
『藤堂は……秋明は勘当だ。表向きは……な』
『表向きって……なんだよ……』
『秋明は、後継になれなかった事で父親を殺した疑いを掛けられている』
『ちょっと待てよ……話が……』
『継承されるべき紋様が継承されず、先代となる秋明の父親は紋様と共にその命も消えた。藤堂家を名乗るには紋様は不可欠……ただの術師では、不相応だ』
『じゃあ……麻緋が代を継ぐ事は……藤堂家を守る為だろ……だけどそれって……代飛びは仕方のない事なんじゃないのかよ』
『問題はここからだ』
『問題……?』
『麻緋には弟がいるだろう』
『ああ、悠緋ね。それがなんだ?』
『秋明が紋様を継承出来なかったのは、どうやら悠緋が影響したらしい』
『らしいって、どういう事だよ?』
『継承の儀の時、先代から秋明に紋様が移行する際に紋様が消えた。継承の儀は、先代と次期当主、二人のみで行われるという。それを知ってか知らずしてか、悠緋が継承の間に入って行くのを見た者がいる。だから継承出来なかったのは、悠緋の所為だという者もいてな……そもそも藤堂家の象徴でもあるあの紋様は、始祖が誰かから譲り受けたものだそうだ。その紋様を譲り受けてから、今の藤堂家がある』
父親の話を聞いた後、九重は何か考えているようだった。
『……塔夜』
父親は、潰れた目にそっと手を触れながら九重に言う。
その言葉は息子の覚悟を後押しする結果になったのか。
それでもそれが宿命と諦めを促す言葉でもあったのか。
どちらにしても九重には、受け止めるだけの許容はあったんだ。
何かの為に、誰かの為に自分が力になる事を……だ。
『秋明は……紋様を継げなくともただの術師ではない。麻緋と悠緋……紋様を分けようとしていた事はその名でも明瞭だ』
紋様を分ける……それはやはり……麻緋が陽で悠緋が陰……か。
だけど……何故、分けようなどと考えたのだろう。
疑問は尽きないが、今は九重の既往を知る事だ。それを辿っていけば、いずれ、知る事にもなるだろう。
九重は、何か考えながらも立ち上がると、座敷を後にしていく。
『親父……神主だから名代になった訳じゃねえんだろ。親父だから出来る事があったから、名代になったんだよな?』
『……ああ、そうだ』
『だったら……』
そして、父親に背中を向けたまま、その場を去る前にこう言っていた。
……九重……お前は……。
『俺が何を失っても……理解してくれるよな……? そして……親父が自分の体以上に失うものがあったとしても……だ』