第6話 不変の法則
「陽は東に出て西に沈み、昼は明るく夜は暗い。乾は易を以て知り、坤は簡を以て能う」
空間を掻き混ぜるように円を描く麻緋の手が、一点を差して止まった。
……麻緋……反転する気なのか……?
光と闇が混ざり合ってグルグルと回り、物凄い速さで昼夜が入れ替わりを繰り返す。
……いや……違う。これは……。
転瞬変化だ。
「変易錯綜」
そう麻緋が口にすると、九重のその身がぐらりと揺れる。
「おい……九重……」
どうしたと声を掛けるより先に、九重が口を開いた。
「……どうやら麻緋も手を貸してくれるようだな……」
苦笑しながらも少しホッとしたような九重の声に、僕は眉を顰めた。
「来!」
麻緋の呼び声に目を向ける。
気づかせるようにも麻緋の手は、一点を差して止まったままだ。
そうか……だから麻緋……。
僕はハッとして空を仰いだ。
天へと押し上げられた呪符。光と闇が混ざり合い、昼夜が瞬間に入れ替わる中で呪符は目に捉えられはしなかった。
そんな中でも、この状況で呪符が何処にどう位置しているかが分かる。
……そういう事かよ。
僕の頭の中に断片的にも言葉が並ぶ。
九天の重なり。隙間から見える中央。
陽は東から出て西に沈む。
乾坤陰陽。
一つ閉じれば一つ開き、一つ開けば一つ閉じる。
変化の中にある不変。
不合理の懐疑に対する合理的理由。
「九重……これが禁忌か」
「ああ……本当の禁忌は……これからなんだよ。だから……頼む……白間。封じてくれ」
そう言った後、九重は力が抜けたようにも僕に体を預けた。
「禁忌も禁忌だ、人の範疇じゃねえだろ!」
「だから……神の域……なんだろ……」
九重の全体重が僕に掛かる。
「おいっ……! 九重!」
呼んでも反応がない。
九重が動きをなくすと、渾沌が僕を掴もうと手を動かした。
「チッ……!」
足を使いながらも手を振り払うが、九重を支えながらの状態では限界がある。
それでも掴まれないよう振り払い続けるが、渾沌は渾沌で執拗に手を伸ばしてくる。
クソッ……! なんなんだ、こいつ……。
うつ伏せになったまま体こそ起こしはしないが、探るように手を伸ばしてくる。
だがその手の動きは、どうやら僕を追っている訳じゃなく、九重を追っているようだ。
僕が九重に触れているからか……。
名代に舞人という事も、共に行った儀式であるならば、切るに切れない繋がりが出来ている事だろうが……。
なんにしても、こいつに九重を触れさせる訳にはいかない。
況してやこの状況だ。
だが、この場から離れるにしても、ああーっ……!!
九重は確かに僕より背も高いし、体格もいいが……。
意識を失った者程、重いとはいうが、それにしてもこいつ、重過ぎるだろっ!
九重の体重に押され、ぐらりと蹌踉めきそうになるのをなんとか堪える。
「白間さんっ……!」
悠緋の声が危機感を伝える。
それに気づかない訳ではない。
渾沌の手が触れる度に、光と闇の混ざり合いのリズムが乱れるからだ。
本当の禁忌……それは反転どころの話じゃない。
変化なくして時は流れず、事象はない。だけどその変化の中にも、一定の法則があり、それは不変だ。
矛盾のない矛盾。
それが不合理の懐疑に対する合理的理由だ。
渾沌はそれを覆そうというのか……!
『禁忌呪術っていうのは、他に求めた力を自身の力とする。だがそれだけでは、禁忌呪術とは言えない。求めたものが何であるか……それは、絶対に不可能なものを可能にする為のもの。つまりは法則を無視し、可能性など微塵もない『無』を『有』に変える、摂理に反するものだ』
麻緋の手がスッと空を切って下りる。
カッと光が弾け、呪符が天を舞うのが目に捉えられた。
闇夜を纏うベールのように呪符が舞う。
呪符の光が交差する度、光の色が変化する。
僕は、呪符に配置を命じるように指を動かしながら、口を開いた。
「両儀四象八爻、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」
数枚に分かれた呪符が、結界を張るように天に円を描き始めた。
瞬間、九重の姿がスッと消える。
だけど僕は、九重の体重を感じている、その身を支えている。
同時に渾沌の手がバタリと地に落ちた。
……闇が落ちる。
深く、深く。
その姿さえ、染めてしまう程に暗い闇だ。
時にしてそろそろ夜が明ける頃だろう。
それでも明けないこの闇は、九重の抱えた重く、暗い闇だ。
その闇の空間がここに広がっている。
「……九重……」
姿が見えなくとも、奴を支える僕の体に伝わる重さ。
ああ……これは体格だけの問題ではなかったんだな……。
『封じてくれよ……白間センセ?』
試すようにも……挑発的にも捉えられた九重の言葉には、隠された意図が見えていた。
因を辿らずにして、封じる事は出来ない。
九重を庇おうとする悠緋が口を開く事を止めたのは、この為でもあったのだろう。
僕は、その重さを抱えながら、ゆっくりと目を閉じた。
「お前の闇を……診せて貰う」