第5話 天才と秀才
悠緋が叫んだあの言葉……。
『……やめてよ……兄さん……その力に……塔夜さんを巻き込むの……? これじゃ……これじゃあっ、人身供犠と変わらないじゃないかっ……!!』
縋るようにも僕の腕を掴み続けたまま震える悠緋を、僕はちらりと見る。
「悠緋……お前……本当は分かっていたんだな。だからあんな言葉が出たんだろ?」
「白間さん……僕は……」
口籠る悠緋を横目に見ながら、僕は話を続けた。
「悪いが否定は出来ない。僕も麻緋と同意見だ。名代……その為に失う片目は人身供犠と変わらない。生きていればいいとかの問題でもない。そもそも片目とされる名代は、それ自体が人身供犠だ。その為に殺される事も名代であるが故なんだよ。桜が犠牲となったのも、神託を告げる事の出来る巫女であった事が条件の一つだ。そして、命を奪われるのは名代も同じ……それでもただ一つ違うと言えるのは、人身供犠となった巫女は、人柱として神の力に命を飲まれ、名代はその命を人の手によって奪われる。悠緋……九重が片目だけで済んだのは……」
「……うん……分かってる……分かってるけど……」
「……そうか」
悠緋の気持ちが分からない訳じゃない。これ以上、悠緋に話すのが悠緋を責めているように感じた僕は、目線を九重に変えた。
そして僕は、悠緋の手をそっと引き離し、九重に向かって言葉を投げ掛けながら近づいて行く。
「反転した正邪は神を鬼と見做し、禍いを齎す万象の伯を神と言う。そして名代は、儀式の中心だ」
九重の真正面に立った僕は、九重の左目へと手を伸ばした。
眼球のない顔に空いた空洞が、僕の指を飲み込んでいくようだ。
「来!」
注意しろと警戒を促す麻緋の声を片耳に聞きながら、僕は指を空洞へと進めていく。
「僕の家系は代々医者で、医者になるのが当然と、なんの疑問も持たなかった。だけど僕はね……父の跡を継ぐ程の才はないんだよ。九重……お前が麻緋に追いつこうと、麻緋に対しての思いがあるように、僕にも似たような覚えがある。だから必死だったんだ。だけど……必死になったのは、父の死を目前にした時だ。それってさ……」
「……白間」
僕は九重の右目と目線を重ねる。
「『後悔』って言うんだって気づいたんだよ」
僕の指が九重の左目の中に潜り込む。
何があるかなんて分からない。見えもしない。
……手探りだ。
ヌルリとした感触は、血なのか九重に纏わりついた闇なのか。
この指先に感じられるものが、僕にとって何を思わせるか……。
ああ……そうだ。
『陰陽の両儀は天地にあり、天地によって定められる。札など使わなくても術を使える術者は、己自身が両儀を上手く使える。その効力は勿論、術者の力量……それは中心で決まるというもの』
……成程。
九重が言っていたのは、そういう事か。
「どうやら僕は、お前に道筋を決められていたみたいだな」
「だったら俺に三流って言った事……撤回するか?」
九重は、揶揄うようにもニヤリと笑みを見せる。
「は……馬鹿な。撤回するつもりはねえよ。現にお前の失ったこの左目が、その言葉を強調させてんだよ」
「それなら尚更、どうにかしてくれねえか。白間センセ?」
「そうだな……」
僕もニヤリと笑みを返す。
九重にしたって分かっていた事だ。だからあの時、九重はわざと僕に見せるようにした。
『僕は、お前の両儀を見定める事にした。それによっては、攻め方を変えなければならないからね……お前の周りに張り巡らせた呪符は、両儀……つまりは陰陽の状態を見る為のものだ』
「だったら何度も言わせるな、九重。術者の力量は中心によって決まる。両儀が生まれる中心には、人が左右出来るものなんか何もない……」
僕は、指先の感触を掴むと、指を引き抜いた。
『お前を掴もうとする度に、お前は何かを捨てていく。いや……元に戻っていく、といった方が正しいか……』
麻緋が渾沌に向かって言った言葉。
その後に続けられた言葉は……。
「人とはかけ離れた存在……」
麻緋が言った言葉を呟く僕は、ハッとして麻緋を振り向く。
指先の感触は、ヌルリと纏わりつくようなものだった。
だけど僕は、その感触だけに集中していた訳じゃない。
九重の側で倒れたままの渾沌……。
僕の指にその感触が与えられた瞬間、こいつ……。
反応しやがった。
渾沌に対しての九重の様子も、そういう事だったか。
儀式の中心である名代。
名代が中心であるには、それに関わる者がいる。
……舞人だ。
舞人は顔を隠す面をつけて舞う。
人である事を隠す為の面は、自身も神であると示す為だ。
そしてその面には……顔がない。
「麻緋っ……!」
僕の手を渾沌の手が追う中、麻緋の声がゆっくりと流れる。
「陽は東に出て西に沈み、昼は明るく夜は暗い。乾は易を以て知り、坤は簡を以て能う……」
麻緋の手が、空間を掻き混ぜるように円を描く。
……闇と光が混ざり合う混沌……。
低く、落ち着きのある麻緋の声が、静かに響いた。
「変易……錯綜」