第2話 問われる善悪の更なる波乱
「水は流れて溢れてやまず……その信念が問われる事になるよ。坎為水……だ」
噴き上がった水は止む事なく、地から溢れ続けた。溢れた水は地に還り、循環していくようだが、水は次第に地を覆い、僕たちの足を濡らし始めた。
……浸水していく。
渾沌と九重は、既に水の中だ。
「……白間さん……塔夜さんは……」
不安に声を震わせる悠緋は、僕の腕を掴んだ。
僕は、悠緋を振り向く事なく、麻緋同様、水の広がりを見つめていた。
浅瀬のように広がった水面に、月の光が反射して紋様が目に捉えられてくる。
紋様はグルグルと回り続け、水面を波立たせ始めた。
「兄さんっ……!」
荒波が立つと同時に、九重を助けて欲しいと言うように悠緋が叫んだ。
悠緋の声に、麻緋はゆっくりと振り向く。
その表情に、僕はハッと息を飲む。
……麻緋。
無言のまま、向ける目線。
その様子が冷静というなら、判別は出来ているという事だ。それは予想通りの事が、確信出来たという事であるだろう。
「……やめてよ……兄さん……その力に……塔夜さんを巻き込むの……? これじゃ……これじゃあっ、人身供犠と変わらないじゃないかっ……!!」
悲痛に叫ぶ悠緋には、やはり桜の事が重なり続けている。
「兄さんっ……!!」
悠緋の叫びにも麻緋の表情は一定で変わる事はない。
……ああそうか。だから麻緋は九重にもう一度訊いたんだな……。
それなら僕も……。
僕は、呪符を紋様へと向かって投げた。
それに応えるべきだ。
麻緋の確信は、僕にとっての確信になるだろう。
紋様に重なるように呪符が複数に分かれ、配置していく。
僕の行動に更に驚く悠緋。
「白間さんっ……! 確かに僕が……塔夜さんがしてきた事は、兄さんたちにとって許せない事だったって分かってる……だけど……! だけどっ……! 塔夜さんはっ……」
感情を乱す悠緋に僕は、強い目線を向けて麻緋よりも先に答える。
そうはいっても、麻緋が答える事はなかっただろう。
ただじっとこっちへと目線を向けている麻緋は、僕が話す事を望んでいる……そう感じた。
僕が話す事で、麻緋の冷静さが保てる事だろう。それは僕も同じだ。
同じ思いがある事が、互いを信じられる理由となっていたのか。
そしてそれは……。
坎為水……信念が問われるのは、僕たちも同じだ。
「四方の『鬼』を潰しただけだろ」
僕のその言葉に、悠緋はハッと息を飲む。驚いた事で、どうやら少しは冷静になれたようだ。
「白間さん……」
僕は、配置されていく呪符の動きを見つめながら悠緋に話を始める。
「大儺……鬼祓いの儀式だ。悠緋……お前だって知っているだろう?」
「……うん。大体の事は、だけど……」
僕は、そうかと小さく頷くと、成介さんから聞いた言葉を交えて話を続けた。
「大儺は後に追儺と名を変える。儺を持つ者は鬼……追う側が追われる側へと変わったんだ。儺である鬼を追うから追儺……そして、鬼が追い払われるのは四方だ」
言いながら僕は、麻緋へと目を向ける。
はっきりとした口調で、麻緋と目線を合わせながら僕は言った。
「四方に追い遣られた鬼は、当然、四方に棲みつく。四方の鬼ってさ……」
何故……その理由は必ずある。
だけどそれは、起こった事に納得を促すものだ。
つまりそれが『原因』であるという事。
……麻緋。
同じ思いがある事が、互いを信じられる理由であったのか。
それは、望む事のなかった同情が、本当は共感となって結びついていたものとなっていただけだったのか。
正義を主張する気はない……か。
今になって妙に納得してしまう。
身を潜めてでも生きなければならない理由。
成介さんが口にしてきた言葉は、まるで天問のようだ。
ああ……そうだよ。
父が言い残した言葉に遠い記憶が結びついたのも、そもそもは語り継がれるような昔話だったんだ。
それは伝承される過去の出来事であり、事象への理由だ。
子供の頃の話。
目を閉じれば、その時の光景が目に浮かんでくるようだ。
信じるも何も、そこに深い興味はなかった。
そして、問われる事に対して、明確な答えもないまま……。
『昼は明らかにして、闇は暗きは何の為せるわざか』
『陰と陽と天と三つ合いするは、何が本で何が化か』
『闇と光が入り混じって見分けられないとしたら、誰がその区別を極めるというのか』
溢れ続ける水は、既に胸の下まできていた。
「その鬼こそが……僕たちなんだよ」
そう答えながら僕は、何度となく響く成介さんの言葉を胸に刻んでいた。
『この世を白と黒で分けるならば、ここは黒です。正義を主張する気はありませんが、白が正しいとも限りません。勿論、黒が間違っているとも言いません。そもそも、白が正しくて、黒が間違っていると決められるものではないでしょう。君が見るべきものは、その答えを明確に導く為のもの……その目で見るものが任務に繋がります』