第53話 中神の天女
淡いピンク色の光の雫が、キラキラと輝きながら舞う。まるで……桜の花びらが舞うように。
その光がゆっくりと消えていくと、成介さんは空を仰いだ。
「成介様」
……桜花。
成介さんの少し後ろに桜花が現れた。
桜と入れ替わるようなタイミングに、麻緋の言葉を思い出す。
『桜花には元よりの名がある……成介の妹の『桜』の名を取って、成介が名付けた式神が桜花だ。桜花も成介の思いを理解しているから、本来の名より、桜花という名を選んだ……』
「如何……致しましょうか」
渾沌を見下ろす桜花の表情は、いつもの穏やかさはなく、冷ややかなものだった。
成介さんは、ふうっと長い溜息をつくと眼鏡を外し、ゆっくりとした口調で言う。
「この男の処遇……ですか」
「はい」
「そうですね……」
考えているようにもそう言ってはいるが、成介さんのその声に迷っているような感情は見えない。
冷ややかに見えるのは、眼鏡の所為なのか、それが本性なのか……。
初めて彼に会った時、そう感じた僕だったが、それは少し違っていたと……そう思った。
眼鏡を掛ける事で感情を抑えている。まるで眼鏡を掛ける事が彼の感情を制御する、リミッターになっているかのように。
きっと……あの眼鏡には度がない。
その目に見える強い感情は、激しい怒りと深い悲しみだ。
露わになる感情に、僕の胸騒ぎが大きくなる。
……成介さん。
この怒りは……無情だ。
止めるべきか、意に添うべきか。
その怒りも悲しみも十分に理解している。
悔しさも苦しみも僕自身が分かっている事だ。
抱えた思いが重なる僕は、手をグッと握り締めた。
それが正しいと……言えるだろうか。それでいいと言えるだろうか。
僕だって……。
『渾沌……あの男を目の前にしたら成介は、自分を抑えられない』
地に倒れた渾沌の前に屈む成介さんの手が、ゆっくりと奴に伸びていく。
その手に震えはない。迷っている様子もない。その冷静さは、非情の覚悟というべきものか。
僕は、成介さんに一歩近づいただけで足が止まる。
ピリッとした緊張感が走った。
それは僕だけが感じているものなのか、動揺を見せる者は他になかった。
スッと動く影を目が追う。
淡いピンク色の着物を纏った、穏やかな女性の姿の式神……桜花。
「成介様。後はわたくしにお任せ下さいませ」
ああ……そうだ。
その穏やかさも、秘められた力も併せ持った冷酷さも。
この二人は似ている。
だけど……。
『穏やかに見えてこいつは、成介の命令とあらば鬼にもなるぞ』
成介さんに寄り添う桜花。
彼女は、成介さんの感情を自身の感情のように持っていると……そう感じる。
「……わたくしは……桜様から名を頂きました。これを禍福と言うのならば、わたくしはその是非に応えましょう」
成介さんが触れる前に、桜花の手が渾沌に触れた。
ブワッと風が舞い上がり、桜花の長い髪が逆立つように靡く。
物凄い力が圧を与えてくる。
渾沌の体が圧力で歪み始めた。
全てはこの男が原因……殺してしまいたい程の男……。
だけど……。
僕は、両手をグッと握る。
「そこまでにしておけ」
息を飲む瞬間に、麻緋の声が走った。
「麻緋様。正邪を問わず、全ての願いが神にあるのなら、奪うのも与えるのも神次第ではありませんか。ですがそれは……人に限らず、神にとっても言える事です。言うならば、それが供犠ではないのですか」
桜花は、それ以上、手を動かしはしなかったが、やめる気はないようだった。
「だから……ここに来たっていう訳か? お前が現れる場所は、お前が主となる……なにせ『中心』だからな……?」
意味深くも言った麻緋に、桜花は返答の代わりにクスリと小さく笑みを見せた。
中心……元よりの名が桜花にはある。
二人のやりとりで、僕は桜花の正体を知る。
……中神だ。
四方の象徴を含めた十二の象徴の主神。それが桜花だ。
「桜花」
成介さんは桜花の手にそっと触れ、その手を止めた。
「成介様……」
桜花は、困惑した表情を見せたが、静かに頷き、渾沌から手を離した。
「麻緋……僕だって一線は超えませんよ」
「どうやったって、それは正しい事だったと断言出来るようにはならねえよ……そうだろう? 成介」
「……そうですね」
成介さんは、ふっと笑みを漏らすと眼鏡を掛ける。そして、ゆっくりと立ち上がり、麻緋へと歩を踏み出した。
「僕がここに来た事は……出来れば内密に」
「はは。それは無理だな」
ニヤリと笑う麻緋に、成介さんは横目に麻緋を見る。
「全部見えてたぞ」
麻緋は更に、こう付け加えた。
「伏見の天盤でな」
「……そうですか」
成介さんは、そう呟きながら苦笑を見せる。
麻緋の脇を擦り抜けて行く成介さんは、擦れ違い様に悠緋の肩にそっと手を触れて言った。
「君の所為だとは思っていませんよ……僕も」
桜花が成介さんの中へと入って行くように姿を消した。
姿を消す瞬間に悠緋へと向けた笑みは、続けられた成介さんの言葉に重なる事だろう。
「勿論、桜もですよ」