第45話 心の亀裂
『正邪の紋様は、善悪を見定めるが、それを反転する事も出来る』
麻緋が奴らへと向かって行くが、奴らも麻緋へと向かって来る。
「兄さん……」
不安な声をあげる悠緋に、僕は大丈夫だと声を掛けるが……。
おそらく、その不安は麻緋に対してではないだろう。
奴らがこんな簡単に悠緋を返すはずがない。
警戒しながら僕は、奴らの様子を窺った。
空に広がるように浮かんだ正邪の紋様。
互いに歩を進めるが、どうやら紋様の中心に位置していくようだ。
渾沌の言葉が浮かび、僕はハッとする。
『その紋様は……染まらなければならないものに染まる……それは貴方が重々お分かりのはずでしょう……!』
僕は、咄嗟に悠緋を振り向いた。
地に蹲り、顔を伏せている。苦しそうにも呼吸が乱れていた。
……まずい……!
悠緋は転がるように地に倒れ、悠緋の体から紋様が浮かび上がった。
紋様……? 正邪の紋様は、麻緋だけが持つものではなかったか……?
ぐったりと気を失う悠緋の様子に、僕は彼を抱き起こそうとしながら、麻緋を振り向く。
「麻緋っ……!!」
次の瞬間、僕は息を飲んだ。
……麻緋の……紋様が不安定に揺らいでいる……。
九重の笑い声が闇夜に響く。
「笑わせるなよ……麻緋」
九重は、左目を隠すように覆っている髪を掻き上げた。
「俺の左目は確かに視力を失っているが、その代わりに見えるものがあるんだよ」
そう言うと九重は、空に広がる紋様と悠緋を交互に指差した。
「『式』だ。正邪の紋様は、式によって変化するからな。お前を追い続けていたのも、その変化を確認する為だ」
式の変化……。
『格式とは、正邪を分ける為のラインだ。格の違いは式によって闇夜に染まる』
……あの時、そう麻緋は言っていた。
「そもそも、麻緋……お前が受けた呪いは、その式を変化させる為の手段だ。その為に必要だったのが悠緋だったって訳だよ。お前は絶対に悠緋を庇うと分かっていたから、本気で死に至る呪いを放った。万が一、予想が外れて悠緋が受けたとしても、お前を揺さぶるには十分だしな。まあ……その時には、悠緋を連れ去るのをやめればいいだけだった。呪いを解く手段は変わらない。術者に解かせるか、術者を倒すか……どの道、連れ去ろうが呪いを受けようが、悠緋の死期が迫り来る事に、お前は反転せざるを得なくなるだろう?」
九重は、ニヤリと口元を歪めて笑い、挑戦的な目を向ける。
お前は反転せざるを得なくなる……。
自身の存在が原因であったと思わずにいられない……そう成介さんは言っていた。
奴らの最終の目的は……麻緋の正邪の紋様……。
それを自在に変化する事が出来れば、スケープゴートなど必要なくなる。
その為に……絶望を与え続けたというのか。
周りを巻き添えにしてまでも……!
「早く反転しろよ、麻緋。スケープゴートとして転換された悠緋を助けるには、お前が悠緋の罪を転換するしかねえんだよ。そもそも、なんで悠緋が俺についてきたと思う?」
「……ペラペラとよく喋るな……」
嘲笑うような九重の態度にも、麻緋は冷静だ。
「当たり前だろ。何の為に悠緋を連れて来たと思ってんだよ? 素直にお前に返しに来たと思ったか? ここに連れて来た時点で、悠緋はもう用済みなんだよ」
「……用済み、ね……」
「ああそうだよ。お前の式の変化には、悠緋が一番効果があるからな」
悠緋の周りに浮かび上がった紋様が、強い光を放ち始めた。
「悠緋! 目を開けろ!」
僕は、悠緋を起こそうとするが、悠緋の呼吸は浅くなっていく。
紋様の光が強まれば強まる程に、悠緋の生命力を奪っていくようだ。
一体……なにがどうなってこんな……。
「悠緋っ!」
この状況……似てる。
父が息を引き取った時の、あの時の状況と似てる。
……死なせるもんか……!
僕は、悠緋に呪符を当て、呪文を口ずさむ。
「東に青……南に赤。西に白。北に黒。四色は四神を象り、四象を顕せ。中央には金を顕し、五色を象れば、五象を顕す。そして……五象を補佐する五佐を顕せ」
悠緋に広がる紋様の強い光を、阻止するかのように光が揺らぐ。
強くなったり、弱くなったりと不安定ではあるが、悠緋の呼吸も同じように繰り返された。
「……白間……さん」
呼吸は乱れているが、悠緋はうっすらと目を開けた。
「悠緋!」
意識が戻った事にホッとするが、不安は消えない。
「僕は……引き受けなくちゃならないんだ……」
「だからそれは麻緋が」
「……違う……ダメなんだ……僕じゃなくちゃダメなんだ……桜を知っているかって……訊いたでしょう……?」
「悠緋……今は……その話は後で聞く」
「今……言わなくちゃならない事だよ……それは……僕がここに来なければならなかった理由だから……」
ザワザワと木が揺れる。バリバリと裂けるような音と共に、地が震動する。
不穏は不穏を呼ぶ。
……麻緋……。
悠緋の告白を聞く僕は、騒つく心を抑えながら、九重と対峙する麻緋を見つめた。
「桜が人身供犠になったのは……僕の所為なんだ」