表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/108

第36話 渾沌

「勧善懲悪ねえ……」

 僕は、麻緋の言葉を溜息混じりに呟いた。

「来……」

 さっきまでの様子とは違い、慎重な様子を思わせる麻緋の声に、僕は眉を顰める。

 ……あの男が動き始めたか。

 逃げる気も、隠れる気もなく、ゆっくりと歩を進めていただけに、直ぐに追いつかれる事だろうとは思っていたが……。


 僕は、警戒しながら後ろを振り向いた。


「……っ……!!」


 ……やられた。



 僕は、歩を戻し始める。


 あの日、突然立ち上った火柱が、この地を焼け野原にした。


『助けて』


 逃げ惑う人々は混乱に満ちていたが、家屋が焼け落ちる音は、その叫び声さえ掻き消した。


 だけど僕は。


『助けて』


 進める足が速度を上げていく。

 僕の目に映るのは、あの時と同じ火柱だ。

 まるで白羽の矢が立ったかのように、この地にあの火柱が上がる事がなかったら、あんな結果にならずに済んだんだ。

 父も母も……町の人々も死ぬ事はなかった。

 気づく事が出来ていたなら、あんな結末を迎えずに済んだんだ……!



『出来ればその勘が、事が起こる前に働いて貰いたかったが』

 伏見司令官の言葉が、僕に機会を与えているように思えた。


 火柱へと向かって進めば進む程、深みに嵌っていくようだ。

 映し出される幻影は、更に過去を遡って、何事もなかった平穏な日常を映し始める。


 麻緋の家で見た残像の幻影のような、当たり前であった日々……。

 当時の面影を浮かばせるその幻影は、目にしている者に何を思わせるのか。

 悲しみを再燃させるのか、後悔に押し潰されるのか、懐かしいと思いに耽るのか。


 僕は、それが幻影であると分かっていながらも、目に映る光景へと手を伸ばした。

 その幻影を掴む事が出来たなら。

 目に見えないものを、目に見えての形を作り上げた幻影。

 人智を超えた力を象り、象る事で現象を解き明かす……起きた事象に対しての理由がある事で、人は不安から逃れる為の対処法を得られる。

 それは害をなすもの……だけに限定されない。


『声が聞こえてきそうだろ……』


 あの時に、戻る事が出来たなら。

 もう二度とあんな思いを抱えないように、僕は……。


『お帰り……ってな』


 ……後悔など握り潰して。

 やり直せるんじゃないかって。



 だって僕は。

 どんなに拭っても、やはり、あの時の後悔を忘れられない。

 身を引き裂かれるような苦しみに、耐えられなかった。

 心をどんなに抑え込んでも、その痛みを体が覚えているんだ。


 過去に戻ってやり直す事が出来たなら……それが幻影であっても。

 僕は(つか)……。


「来っ……!!」


 麻緋の声は、僕の心情を察している。

 僕は、足を止め、麻緋が追いつくのを待った。

「信じられるはずなんか……なかったんだよ……麻緋」

 僕は目を閉じ、ゆっくりと呼吸をする。

「……ああ。分かっている」

「心を顔に出すなって麻緋は言うけど、僕には出来ないみたいだ」

「……そうだな」

「うん……だから……」



 呪符を手にし、僕は口遊む。


「東に青……南に赤。西に白。北に黒。四色(ししき)は四神を象り、四象を(あらわ)せ」


 一瞬で幻影を掻き消す、強い光が辺りを染めた。

 父と母、町の人たちと過ごした和やかな日常を、呪符が切り裂いていく。

 地を削るように走る呪符が、砂嵐を巻き起こし、霧を作った。


 積み上げられていた瓦礫が、ガラガラと崩れる音が鼓膜に響いた。

 その音が止むと同時に、砂嵐が治まり、霧が晴れていく。



「それがどんなに戻りたいと思わせる、懐かしい幻影であっても、僕は掴まない 。だから僕は、心が表に出る事を利用して、欺く事にした」

「はは。本当に……染まっちまったな、来」

 少し困ったように、麻緋は小さく笑った。

「悪くないだろ?」

「……まあな」

 笑みを交わし、僕たちは前を見据える。


 霧が晴れると月明かりが地を照らし、男の姿が捉えられた。

 幾重にも連なった呪符が、鎖のように男に巻き付いている。

 僕は、ゆっくりと歩を進め、男の前に立つと冷ややかに言い放った。


「あの時の幻影を見せて動揺させ、罠に嵌めたと思ったか……? そもそも僕は、過去をやり直すつもりも、過去の幻影に染まるつもりもない」


 男は、座り込んだ位置から動いてなどいなかった。

 フードは深く被ったまま、前に立った僕を見ようともしない。

 見える口元は、笑みを浮かばせていた。

 観念したというより、元よりこうなる事を待っていたのだろう、そう感じさせる。

 それならば。


 僕は、顔を隠しているフードを下ろし、男の顔を露わにした。


 ……やはり、というべきなのか。

 それとも、何故、というべきなのか。



 男には……両目がなかった。


「それが……転換しきれなかった代償か」

 そう言った僕に、男はふふっと笑みを漏らすと口を開く。

「逆ですよ……転換させられたのは私の方です」

 男の言葉に、僕は眉を顰める。


 そして。

 発せられた男の言葉に、僕は息を飲んだ。


 ……嘘だ。



「『もう……何も見たくはない』……とね……?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ