第30話 ゴーストタウン
真夜中に響く、ドアをノックする音。
今ではその音が聞こえるのを、自分から待っている。
それがあの男に近づく為に、用意された機会となるのだから。
「目覚めはいかがですか」
部屋に入ってからの成介さんの第一声が、以前のように戻った。
僕の変化を察していたのだろう。
以前の僕だったら、不機嫌に同じ言葉を返していたが、今は違う。
これからの僕は、この言葉が変わる事はないだろう。
僕の返答に成介さんは、クスリと笑みを漏らした。
「絶好調だよ」
闇に染まる黒を羽織り、僕と麻緋は外へと出る。
「麻緋。今夜の任務は? 何処に向かうんだよ?」
任務の詳細が伝えられるのは麻緋だ。
麻緋は、僕にちらりと目線を向けると、一言だけ答える。
「西」
「え……それって」
僕の足が止まる。
麻緋は、僕が立ち止まった事など気にせず、先へと歩を進めて行く。
足を止めたからといって、躊躇った訳じゃない。
あの時から、僕は自分が住んでいたところに、一度も足を踏み入れていない。
生存者がいなかった事に、あの後、あの地がどうなったかも知る由もなかったが……目を背けていたのは正直なところだ。
だけど……。
僕は足を踏み出し、麻緋を追う。
肩を並べて歩を進めながら、僕は麻緋に言った。
「こんな機会がなかったと言ったら言い訳になるけど、ようやくこの時が来たんだと思っている」
「成介が痕跡を辿ると、やはり、お前の住んでいた地を通ったらしい。大まかに西と言っても、お前は南西だよな。俺は東と言っても北東だ。加えて言えば、成介は真南、伏見は真北。奴が何を狙ったのか……瞭然だろ」
麻緋の言葉に、僕は理解を示し、頷くとこう言った。
「ああ。南西の象徴は、病や死を司る主疾病喪。それが関わっているのか、僕の家は代々、医者だ。北東は主銭財慶賀だろ……麻緋の家が城と呼べる程の大きさなのも納得だよ」
「それを反転させられたとなれば、尚更、納得だろ」
「……ああ、まあな」
あの時の事を思い返し、今の状況と重ね合わせる。悔しさが溢れ、僕は両手をグッと握り締めた。
「じゃあ……」
麻緋は、闇を掴むように手を伸ばす。
「急ぐぞ。乗れ、来」
「……」
無言になる僕。
また車を隠していたって事は……。
「なんだよ? その顔。夜が明ける前に終わらせるんだから、モタモタしてんな。さっさと乗れ」
まあ……歩くとなったら、夜明け前になど到底辿り着けないが……。
やっぱり、こうなる。
「麻緋ーっっ!! だからっ! 飛ばし過ぎだって言ってんだろっ!! 辿り着くまでに心臓が持たねえだろーがっ!! お前、本当に僕と任務やる気あんのかっ? この時点で、相当、消耗してんだよっ!! 気力も体力もなっ!! 車降りた後の脱力感がハンパねえんだよ!!」
「うるっせえな! 人の所為にしてんじゃねえよ! お前が勝手に騒いでるだけだろーがっ! 黙って乗ってりゃ、疲れねえだろ!」
「どう考えたってお前の所為だろっ!! じゃあ! 黙って乗っていられる運転しろよ!」
「分かった」
「え?」
やけに素直……かと思いきや、エンジンが唸り、更に速度が上がった。
急激な速度変化とハンドル捌きで、前後左右の重力が僕に負荷を掛ける。
「っ……!!」
重力加速度に耐えようとする僕は、恐怖も相俟って言葉も出なかった。
「着いたぞ、来」
さっさと車を降りる麻緋に、よろよろと車を降りる僕。
内臓の位置が……変わるかと思った……。
「どうした? 来。顔色悪いな。感傷に浸るのは後にしろよ?」
「誰の所為だと思ってんだよ……感傷だって? そうじゃねえ。確かに黙っていたけどな……」
ははっと笑う麻緋を、僕は睨む。
だけど……もう大声を張り上げる程の気力がない。
「声が出なくなる程の運転しろって……言った訳じゃねえんだけど……どれ程の負荷を与えたと思ってんだよ……? 下手したら気絶するぞ」
僕は、歩を進めて行く麻緋を、ふらふらとした足取りで追いながら言った。
麻緋は、ふっと笑みを漏らすと言う。
「じゃあ、その負荷に耐えられたなら、大丈夫だな」
「あ? なに……大丈夫って、なんの話……だよ」
麻緋がピタリと足を止める。
急に立ち止まった事で、僕は麻緋の背中にぶつかって止まった。
「なんだよ……? なんかあったのか……?」
麻緋の横から、覗き込むように顔を出す。
僕は、ゆっくりと一歩踏み出し、僕が住んでいた地をぼんやりと目に映した。
うっすらと照らす月明かりが、闇に馴染んで、辺りを藍色に染める。
あの後……どうなったかなんて、分かりきった事だ。
それでも。
持たずにはいられなかった淡い期待は、目の当たりにしている現状によって崩れ去る。
復興もままならないまま、皆、亡くなってしまった。
だけど……。
ガタガタと、瓦礫を掻き分けるような音がする。
低く唸るような声があちこちから聞こえ、ザッと地を蹴るような音と共に、黒い影が飛び交った。
静かに流れる麻緋の言葉にも答えられず、僕はただ茫然と前を見つめていた。
「……ゴーストタウンだ」