真実の愛のせいで婚約破棄された鈍感お嬢に気付いてもらえない毒舌執事の一日。今日も二人でお茶を飲む。
「おかえりなさい、お嬢」
「ただいまー」
若干疲れたような顔をしながら部屋へと戻るお嬢こと、フィオナお嬢様。伯爵令嬢だ。
そして俺はその伯爵家に仕える執事、イアン。
ほぼお嬢の専属執事である。
「? どうかしたんですか?」
帰って来たばかりのお嬢は椅子に座り一息つく。お嬢の帰りに合わせ用意していたお茶を出す。
「え? なにが?」
お嬢はカップに手を伸ばしながら逆に聞き返す。
「いや、なにか元気がないような……」
明らかにいつもの明るさがない。いつもなら帰って来てからも疲れた様子など見せないお嬢だ。
そんな僅かな違いだろうが俺には分かる。
「えっ! イアン、そんなことまで分かっちゃうの!? 普通にしてたつもりなのに」
「そりゃ分かりますよ。お嬢は分かりやすいですから」
「えぇ? そう?」
「そうですよ」
「んー、イアンだけだと思うんだけどねー。まあ良いや」
俺だけだと言われドキリとする。
「今日ね、婚約者のライアン様とお茶会だったじゃない」
「でしたね」
お嬢には同じ伯爵家の令息である婚約者がいる。顔はまあそこそこだったはず。
定期的に二人はどちらかの屋敷に赴き、お茶会で顔を合わせるのだ。
今日はその日だった。
「そこで婚約破棄されちゃった」
「は?」
「だから婚約破棄」
「え? は? いや、ちょっと意味が分からないのですが」
「真実の愛を見付けたんだってー」
あっけらかんと言ってるけど、ちょっと待て。
「元々政略結婚のための婚約だしねぇ。特に好きでもなかったし、ショックも受けなかったよ。それよりも好きな人が出来るなんて羨ましいなぁ、と思って、思わず「お幸せに」って笑顔で言っちゃった」
「アホですか」
「ひ、酷い!」
あまりに簡単に言うお嬢に頭を抱え、溜め息を吐いた。
こんなことを言っていながら、お嬢は一人になったら泣くのだ。いつもそう。他者に弱味は見せない。俺にくらい弱いところを見せてくれてもいいのに。
◇◇
お嬢と初めて会ったときも一人で泣いていた。
あのとき、俺はまだ幼く執事見習いとして、この伯爵家へやって来てまだ幾日も経っていないときだった。
俺はまだお嬢には直接関わりはなく、見かけたときにたまに声をかけてくれる伯爵家の子供、くらいの認識しかなかった。
裕福に育った奴は他人にも優しいんだろな、というくらいにしか思わず、どちらかと言えば、貧乏なうちに比べて何の苦労もなく育ったお嬢を嫌いだったかもしれない。
その後病弱だった伯爵家の夫人、お嬢の母親が亡くなった。
そのときお嬢は泣いていなかった。葬儀の間も涙一つ見せてはいなかった。
俺は冷たい女だな、と冷たい視線を投げかけたのを覚えている。
しかしその夜、俺はたまたま声を殺し一人で泣くお嬢を見てしまった。
母親とよく一緒に歩いたという、敷地内にあるバラ園で一人泣いていた。
俺は声をかけようか迷い、しばらくそっと見守った。やがてしばらくするとひとしきり泣き尽くしたお嬢は俺に声を掛けた。
『傍にいてくれてありがとう』
『気付いてたんですか?』
『フフ』
そう言って笑ったお嬢は隣に座るよう促した。
本来なら執事がお嬢様の隣に座るなど以ての外だろうが、お嬢は『今だけ傍にいて欲しい』と言った。
『なぜ葬儀のときに泣かなかったんです?』
今一人で泣くくらいならば、葬儀で泣いてもいいじゃないか。父親の前で泣き崩れたらいいじゃないか。そう思った。
『だって私が泣いたらお父様が余計に悲しくなってしまうじゃない』
お嬢は少し寂しそうな顔で言った。自分が辛いときに父親の心配か。そんなことを心配するとは……
『あんたアホか?』
あ、しまった、つい本音が。
しかしお嬢は驚いた顔こそしたが、それでも笑って許した。
『フフ、それが貴方の素なのね? そっちのほうがいいわ』
その顔が忘れられなかった。涙が光るその瞳は美しく、悲しみを乗り越えたその笑顔はとても綺麗だった。
ドキリと心臓が跳ね、そんなはずないと一度は考えを振り払ったが、そのときの美しい笑顔が忘れられなかった。
俺はそのときお嬢に落ちたのだ。
それからは何をしても何を言っても可愛いと思ってしまう。俺がアホだな、と自身で苦笑した。
◇◇
それ以来俺はお嬢を支えるために必死に勉強し、今や専属執事だ。
いやまあ、俺が影であらゆる手でお嬢を守っていることは、本人は知らないのだが。
今回の婚約破棄とやらは完全に俺の落ち度だ。見抜けなかった。くそっ。
きっと今夜もお嬢は一人で泣くのだ。平気な顔をして一人泣く。伯爵令息許すまじ。俺のお嬢を悲しませやがって。
いっそ……
「俺にすれば良いのに……」
「え?」
しまった!! 口に出てた!? 一瞬慌てたが、俺の得意技、無表情! 執事のなせる技!
プロの執事はどんな状況でも、沈着冷静に。感情を表に出さない。これ、鉄則。
「いえ、なにも」
「そう? あぁ、それにしても私はもうこのまま結婚は出来ないかもしれないわねー」
「…………」
「そこは「そんなことないよ」とか言ってよ!」
いやだって、実際婚約破棄なんかされた令嬢は次を見付けるのが大変だと聞くしな。
「私、嘘は付けませんので」
極めて執事らしく冷静に返答した。
「こんなときだけ畏まって!」
ぷりぷりと怒るお嬢に笑いそうになった。
「ずっと伯爵家におられたら良いじゃないですか。俺が死ぬまでお世話しますよ」
「笑いながら言われても」
ムスッとしながらお嬢は言う。そして拗ねたように口を尖らせ、上目遣いで俺を見た。
なんだこれ、可愛いな、くそっ。
「死ぬまでなんて無理じゃない……」
「?」
「だって……だっていつかイアンだって結婚するでしょ? そうしたら私が一番じゃなくなっちゃう」
ブツブツと拗ねている。くっ、これ、分かってやってんのか!? だとするとめちゃくちゃ悪女だな!
そんなのを可愛いと思ってしまう俺がアホなのか!
「なら、俺と結婚しましょう」
「へ?」
あ、思わず口に出た。くそっ、我慢出来るか、こんなん!
「な、なに言ってるのよ。イアンと結婚なんかしたら……」
「したら? お嬢様と執事だから身分違いとかはなしですよ?」
「うっ」
もうこの際だ、からかってるとか思われてもいい。「もしも」の話でもいい。お嬢が俺をどう思っているのかを聞いてみたい。
「俺と結婚したらなんなんです?」
グイッと顔を近付け問い詰める。
間近で見るお嬢の顔は透き通るように綺麗だ。白い肌が一気に赤く染まる。可愛いな、おい。
「だ、だって、イアンと結婚するってことは子供を作るということ……でしょ?」
「ん? そりゃ、結婚したら子供は欲しいですよね」
「だ、だから! それが……」
もごもごと口篭り、真っ赤になり俯くお嬢。
あぁ……なるほど。いかん。ニヤニヤしてしまう。
「フッ。お嬢は俺といやらしいことを想像したわけだ」
ニヤニヤしそうな顔を必死に抑えるが、明らかに口角が上がる。それを隠すために口元を手で隠す。
「ち、違うわよ! 私は! そんな……」
ガバッと顔を上げたお嬢はプシューッと空気が抜けるかのように再び俯いた。
そしてボソッと小さく呟いた。
「イアンは真面目だし、いやらしいことをしたいとは思わない?」
「は? そんなのしたいに決まってんでしょうが」
「!!」
再びガバッと顔を上げたお嬢。俺が真面目だとかお嬢の目は節穴か。
「逆になんで俺が思わないと思うのかが不思議ですね。俺だって男ですよ? 好きな女とはあれこれしたいと思うに決まってるでしょうが」
「す、好きな女……あれこれって」
「おや、試してみます?」
お嬢の耳元に顔を近付け、吐息を吹きかけ囁いた。
言葉にならない悲鳴を上げたお嬢は耳に手をあて、バッとこちらに振り向いた。その顔は真っ赤。
「ブハッ。お嬢、真っ赤!」
「バカ!!」
真っ赤な顔で若干涙目で俺の胸をポカポカ叩くお嬢。
いや、可愛いの塊か!
このやり取りのおかげかお嬢はその夜泣かなかった。
それは良かったのだが、なぜか俺の告白はお嬢を励ますための冗談だと思われているのは遺憾だ。
くそっ。いつか絶対振り向かせてやるからな。覚悟しろよ、お嬢……
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